「行きて帰りし物語」-エッセイ-
大学時代、児童文学の構造論の授業を受けていたのですが、先日部屋を整理していたら、その講義ノートが出てきました。
大事に箱に入れてあったので、よほど思い入れがあったんでしょうね。
というわけで、ちょっと振り返ってみます。
今回の表題「行きて帰りし物語」ですが。
よく好まれる「行って」「帰る」という物語の構造パターンの呼び名です。
(「い」じゃなくて「ゆ」じゃないか!と書いてから気付きました)
「ゆきて帰りし物語」という呼び方は、トールキンの小説『ホビットの冒険』に出てくる本の題名が元になっています。
ちなみに、その本は『ホビットの冒険』の主人公ビルボ・バギンズが、自らの冒険を書きつづったという設定です。
基本的なパターンとしては。
主人公が日常から非日常の世界に旅立ち、試練を乗り越えて成長と遂げ、また日常に帰ってくる。
……というような構造を持っています。
これと類似の物語構造のパターンは、児童文学に限らず、世界中の神話・民話に多く見られます。
例えば、桃太郎の場合、鬼退治のために旅に出かけ、仲間と出会い、鬼ヶ島へ行って仲間と力を合わせて鬼を討伐し、最後はめでたしめでたしで村へと帰ります。
かぐや姫なんかも彼女の視点からすると月から地上へ来て、最後はまた月へと帰るので、これもやはり同じ構造と呼べるでしょう。
ジブリとかだと、千と千尋の神隠しなどが王道パターンですね。
……ところで。
行きて帰りし物語の構造が万人受けするのは、なぜでしょう?
幼年文学の場合は、小さな子どもにとって、もっとも安心できる場所=家に帰るのが、何よりもハッピーエンドだと考えられるので納得はできます。
おとなの場合だと、どうなんでしょうね。
近年人気の異世界転生ファンタジーや異世界転移ファンタジーなどの場合、主人公が異世界に旅だった後に、元の世界へ戻ってこないことを選択するというパターンや、戻れない(元の世界では亡くなっている)事情を抱えていることが多いです。
でも、それは必ずしもバッドエンドとは限りません。
「行って帰らない」新天地を切り拓くという終わり方であっても、描かれ方によってはハッピーエンドとして受け入れられます。
とは言え。
個人的には、異世界へ行った主人公が元の世界に戻るかその世界に留まるかで葛藤し、そこにドラマを感じることも多かったので。
何とも容易く異世界での新しい人生を受け入れたり、元の世界に戻ってきても主人公がそこまで感慨深げにしてなかったりする作品だと、何となく物足りなさを感じることもあったりします。
最近は、VRゲームなどでどんどん異世界を体感しやすくなり、小説にリアリティのある異世界描写が求められなくなっているのかもしれないですが。
やっぱり、もっと細かく作り込まれた独自の世界観の物語が恋しいというか……。
ここではないどこかの不思議な世界にどっぷりと浸れるような、そんな作品に出会いたいなと思ってしまう今日この頃です。
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