都合のいい弱者が本当の弱者
※この記事はADHDや発達障害者を批判するものではありませんが、おそらく一般的に理解されにくいことを書いています。
ご理解の上お読みください。
最近、というか何年も前から、ADHD、ASD、吃音、うつ病など、自分自身の弱さをアピールする人が増えたように感じる。
特にSNSでは、「田中太郎@サラリーマン × ADHD」みたいな感じで、一種の属性みたいな主張がなされているのをよく見かける。
実際、インターネットやスマホが発達したこの10数年の間に、世界中でADHDと診断される子どもが増えているらしい。
そんなことを言ってる僕も、ADHDグレーゾーンだ。
正式に診断されたわけじゃないが、昔は病院のカウセリングにも通っていた。
だがそんな立場の僕でも、昨今のその弱者性を主張する界隈の気持ちがわからない。
という話をしたい。
弱者性を主張する人の特徴
ADHDやASDなどの、言わなきゃバレない(かもしれない)弱者性を、見ず知らずの他人にアピールするのはなんのためだろうか?
WEBライターさんの仕事用SNSアカウントで、ユーザーネームにADHDと入れていた人を見たことがある。
もしそのアカウントで仕事の発信をしたいなら、ADHDをアピールするのはどうなのだろう?
僕なら業務上のトラブルを考えて依頼したくないと思う。
仕事をアカウントでADHDを名乗るのは、恋愛市場で例えると浮気性だと公言するのに近い。
マッチングアプリのプロフィール欄に、「浮気しやすい性格です」って書いてあったら、その人と交際を前提に会いたいと思う人は格段に減るはずだ。
同じ悩みを持つ人で繋がって、互いに情報交換をしたりしたいというのなら、そういうコミュニティでひっそりやればいいと思うし、実際にそういう目的でSNSアカウントを作成している人もいる。
ADHDを名乗る人は、なぜ公にしたがるのか?
考えうるメリットは、おそらくは「配慮」だろう。
身体にハンデを持つ人は、「そういうもんだから仕方ない」と、言わずとも周りが配慮してくれる。
それと同じものを、(真偽は別として)ADHDを自称する人たちは望んでいるのではないか。
つまり、
ADHDだと言えば、忘れっぽかったり、いい加減なことをしてしまったり、注意力散漫だったりしても、「そういうものだからしょうがない」という免罪符として使える。
使えてるかどうかは知らないが、そう思ってる人は多そうだ。
要するに、自身の弱者性を、障害としてラベリングすることで、他者からの配慮を得ようとしている。
これがADHDを公に名乗る目的だろう。
そうじゃないよっていう人もいるだろうが、そう思う人こそ、この続きを読んでいただきたい。
弱者は弱者性を嫌う
作家の乙武さんは、身体的な面で言えば明らかに弱者だ。
しかし彼は、総合的に見て弱者だろうか?
金銭面や、知名度はさておき、彼のメディアでの発言や振る舞いを見ると、自分の弱者性に配慮してほしい、自分を特別視して欲しいみたいな雰囲気は全く感じない。
むしろネタにして欲しいと思っている節がある。
こればすごいことだ。
生え際の後退が著しい僕が、仮にハゲ・薄毛をネタにされたらブチギレる自信がある。
「頭皮にいい食事だよ」とか言われても余計なお世話だと突き返すだろう。
もっと身近で自分事として考えやすい例を挙げると、年齢という相対的な弱者性がある。
僕らが子供のころは、子供扱いされるのがなんとなくいやだったはずだ。
逆に、老人扱いすると嫌がる高齢者もたくさんいる。
僕が高齢者と言われる年齢になったとしても、身体が元気な限りは自分が年齢的弱者であることを認めることはないだろう。
つまり、本来の弱者性とは、弱者本人はその弱者性を認めたがらないものだ。
僕のように、指摘されることを嫌がる人、つまり現実逃避型もいれば、乙武さんのように自分の弱者性を全面的に認めた上で配慮されることを拒否する人もいる。
どちらも自分は弱者でなく普通の人間だと主張する点では共通のものと言えるだろう。
本当の弱者とは
ADHDやその他の発達障害を公言する人は、どちらにも当てはまらない。
発達障害という弱者性を受け入れた上で、配慮は求めるし、普通の人間ではなく弱者だと主張するのだから。
日本には障害者雇用枠だったり、特別就労支援みたいな形でハンデ持ちの人専用の働き口がある。
個人差はあれど、やれる仕事に限界があるので、賃金が安いのが通例だ。
仮に、ADHDを含む発達障害者専用の働き口ができたとして、見た目ではわからないその人たちが、ADHDを名乗るだろうか?
おそらく、金銭的な話など、明確な分別がなされてデメリットを押し付けられてしまうと、今度はそれに文句を言う勢力がでてきそうだ。
でも本当の弱者性とはそういうもののはず。
周りは配慮する、でもその分健常者が受けられるメリットも割引されてしまうのが弱者だ。
しかし自称発達障害者たちは、弱者として扱われることを進んで受け入れようとする。
そしてその上で、健常者と同じ権利も主張する。
要するに、発達障害を盾に配慮のカツアゲをしているのだ。
これは社会に対する甘えと言ってもいい。
本当の弱者性とは、どんなハンデを持っているかではなく、都合よく弱者性を利用しないと生きていけない、甘えた精神性だと思う。
これを指摘され、「そうじゃないんだ」と反論するなら、前述のように本人が認めたがらないわけだから、本当の弱者性にほかならない。
人は誰しも、なにかしらの弱点を持っている。
どんな完璧な人でもいつかは老いていく。
みんなそれぞれの弱さを持っているのだから、配慮に甘えない、強い生き方を見つけてほしい。