中年女たちよ、人生の舵をとれ!
昨年のわたしも中年女でした。今のわたしも中年女です。
昨年までのわたしには人生の中心に家事がありました。
今のわたしは家事を手放し、手放した先に・・・この本に出会いました。
ジェーン・スーさん、大好きです。追っかけるほどではないけど、平日昼間、耳があいてると、ふとTBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」がBGMになっています。それでなんとなく著作が読みたくなって手に取りました。
同世代というか、若干年下なのですが、まあそこは多めに見ていただきましょう。知的でピシッとした物言いが好きです。
この本を読んでいて、ここのところもやっとしていた霧が晴れたようでした。
それは「継続」と「連続」は別物で、いまはほとんどの物事が継続でOKなんではないかということです。
著書ではラジオ体操のことが書かれていますが、例えばわたしは学校は毎日行くのが正しいと思っていたし、エレクトーンを習っていた時も毎日練習、しかも曲を一度も間違えずに3回連続で弾けたらよし!みたいなことを自分に課していました。一日でも休んだら自分がダメな人間だという思いに浸っていました。
でも、皆勤賞になんの意味があったというのでしょう?エレクトーンの練習で家で3回連続間違えずに弾けたとしても、本番で間違えたら結局できなかったことになってしまう。なんでそんな自分を責めていたんだろうかと、あの時の自分に、ひと声かけてやりたいです。
今は違います。継続でいいのだとやっと思えるようになりました。
なにかに参加するにしても、物事を始めるにしても8割でOK、いったん休んだとしても、また復活すればOKだし、そこからまた始めればいいとやっとわかったんです。
その言葉の定義が「連続」と「継続」だったんです。
昨年までのわたしは人生の中心に家事がありました。めんどうだと思うこともゼロではありませんでしたが、好きでしたし、家事が終わらずに寝ることの方が気分が落ち着かないのでした。
だから、自分の決めたゴールに向けてもくもくと家事やっていましたが、なにかの事情でできなかったりすると、「連続」できなかったので、機嫌の悪い自分がいました。
過去のアルバムを見ていると一生懸命お弁当を作ってたことを思い出すのですが、投稿のためというよりは「連続」に価値を感じていたのです。完全なる自己満足の罠です。
家事を手放してはじめて、そんなに一生懸命やることでもなかったし、やらなくてもなんとかなるもんだと思えたのでした。
おまけに、起業、副業、複業、フリーなどなどのワードでよく耳にするのが
「好き×得意×ありがとうと言われること」だということですが、わたしにとっての家事って「好き」なだけでした。はい。That’s all.
ジェーン・スーさんはパートナーの方が家事をなさっているようで、家事についても言及されています。稼ぎのメインが男性で、家事のメインが女性という家族にはなるほどと思わせるところもジェーン・スーさんの好きなところです。
人生100年時代と言われるようになって、働きかたや生き方の見直しを様々に考えざるを得ない今日この頃ですが、昔にくらべると中年時代が長いように思うのです。見た目にも若くはない、けど老いぼれてもいない、自分で考えて動ける女性が圧倒的に多いと思うのです。
ダイエットも、美容も、勉強も、自己啓発も、スケジュールも、友達付き合いだって、連続じゃなくていい、継続でいい!8割でOK、そんなふうに考えられたら、中年女の生き方はとっても楽しみに思えるのでした。
だからジェーン・スーさんのおっしゃるこの「中年女よ、人生の舵をとれ!」はわたしのような者へのエールに思えました。
もひとつ、この本でうんうんとうなずいてしまうこと、
「女友達は、唯一元本割れしない財産である。」
名言だと思います。柴門ふみさんの著書でも見たことあるような気がするけど、中年になってよりそう思います。結婚しててもしてなくても、子どもがいてもいなくても、ペットがいてもいなくても、親がいてもいなくても・・・。子どものころのように「みんなとなかよく」する必要もなくて、時にはNOを言えて、8割くらいのつきあいでOKですって。
記憶力と集中力と体力と美貌と・・・あれもこれも徐々に失われていくけれど、「中年女よ、人生の舵をとれ!」どうにかなる。たぶん。
そういえば、このnoteも連続投稿できたらそれはそれは拍手なんだけど、継続でいい!そう思っています。
To be continued・・・