今更の映画鑑賞3「ダンケルク」
第2次世界大戦中、フランスのダンケルクに追い込まれた英仏軍の撤退戦の様子を描いた作品。この映画、面白いと言うわけにはいかないし、つまらないと言って片づけることもできない。なかなか困った作品というのが正直な感想だ。
■主人公の不在と物語の欠如
この映画は群像劇だ。トミーとギブソン、ドーソンとピーター、ファリアとコリンズ、それぞれの時間軸で映画が進行する。トミーとギブソンはダンケルクからの撤退を待つ兵士の中の一人だし、ドーソンとピーターはダンケルクに救援に向かう民間人の中の一人。作中数少ない敵に反抗したファリアとコリンズでさえ、一方は捕虜の中の一人となり、もう一方は民間人に救出された兵士の中の一人だ。この映画には、物語をけん引するような"主人公"らしい人物がいない。
そもそも、この映画には"物語"が無い。(もちろん、映画としてのプロットはあるのだけれど)誰かの身体的・精神的な成長も無ければ、兵士同士の友情や絆みたいなヒューマンドラマもないし、反攻作戦を立案・実行するような、生存をかけて敵と戦うといった熱い展開もない。ただただ、状況に翻弄されて、生きるか死ぬかを繰り返すというのが大半を占める。
この映画は何らかのドラマを描いたりしていないし、ストーリーによって何かを伝えるということもやっていない。
■何を見せられたのか?
作中、状況を打破しようとする兵士たちの試みは、その悉くが上手く行っていない。生還できた兵士たちは、自分たちの行動によって生を掴み取ったわけではない。
では、兵士たちの生死を分けたのは何かといえば、それはただの「運」である。運が悪かったから爆発に巻き込まれた。乗艦した船がたまたま奇襲を受けてしまって、運悪く脱出できず溺死した。たまたま船に乗れなかったから死なずに済んだ。運よく助けが来たから生き残れた。どれも偶然によるもので、そこに本人の意思は介在していない。
"英雄"(主人公)を見せることもなければ、"物語"を見せるわけでもない。
本作を通して私が見せられたのは、自分の生き死にを前にして、自分自身には何も為すすべがないという不条理と無力感。そして、生死を決めるのが単なる運でしかないという、身も蓋もない残酷で当たり前の"現実"であった。
さて、困ったことになった。生き死にの現実を見せられて、「面白かった」とか「楽しかった」なんてことは口が裂けても言えない。この現実を突きつけられて、「面白くない」とか「つまらない」なんて言葉で終わらせてしまうこともできない。
■蛇足
絶望的な状況にも関わらず、劇中で「何かに祈る」という描写が一切ない(なかったはず・・・)。生き死にの問題を信仰の問題に帰着させたくなかったからだと解釈している。
武力を持った軍人でさえ何もできない絶望的な状況であっても、民衆の力というのは何かをなし得るという希望的なメッセージも受け取った。
本作のテーマを「生きることへの執着や渇望」と捉える人もいるようだが、個人的にこれは違うと思っている。浜辺で爆弾に吹き飛ばされていった兵士も、沈みゆく艦艇の中で溺死していった兵士も、重油まみれになって焼かれていった兵士も、皆、生きて故郷に帰りたいという強い思いはあったはず。生き残った兵士たちと死んでいった兵士たちの間に、生きることへの執着に違いがあったとは思えない。彼らの明暗を分けたのは「執着心」だとか「思いの強さ」みたいなものではない。だから、これを作品のテーマと言ってしまうことには違和感がある。(あくまで、私がこう思っているだけで、私の捉え方が間違いなのかもしれない。)
この映画は登場人物に感情移入したり、共感したりといった楽しみ方をさせてくれない。また、物語そのものを楽しんだり、物語を通して何か教訓めいたものを見つけるような楽しみ方もさせてくれない。目に写ったものをどう解釈するかというのが、この映画の楽しみどころだと思う。