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【ノンフィクション】『デス・ゾーン』

1月31日

 あの日も、
    私には同じような日だった、と思う。
 テレビだったかスマホだったか、記憶にはないけど、
    流れてきた速報に非常に衝撃を受けた。
 「栗城史多氏 死亡」
    テレビをあんまり見ない私でも彼のコトは知っていた。
 私は、革命児が好きだ。
 栗城さんも、今までの登山家にはない感じの人で、
   いいなと思っていた。
 ゆえよく叩かれていたように思う。
 目立つ人はニュースになるので、
    何度目かのエベレストにチャレ ンジしていること、
    動画配信やsns投稿もニュースで取り上げられていた。
 こういうとき、直近の映像は悲しさを増す。
 
 滑落死だったそう。
「実力と見合ってなかった」 「最初から無謀だった」
「なるべくして起きた事故」
 
  非難の声が多かった。
  メディアで取り上げられたのが良くない声が多かったから
 そういう印象なのかもしれない…

 内部にいた人やプロの目線、知識をもった人たちからしたら
   “無謀”と言わざる得ない点もあったのかもしれない。
   けど、だから「チャレンジ」じゃないの?

 「無謀」と思われるチャレンジしている人はたくさんいる。
 成功したら讃えられて、失敗したらボコボコに叩かれる。
 失敗が許されない国。
 とかって言うけどさ、人生なんて失敗の連続じゃん?

 私だけなの?みんなそんなに成功ばかりの人生なの?

 実力不足かもしれない、準備不足かもしれない。
   でも、チャレンジしたいコトってあるでしょ?

 見合ってないかもしれない…
    そんな不安を抱えながら何かに望む…
   その方が多いように思う。

 

 内側なんて、
    本当の内側なんて誰にも分からないじゃん。

 だいたい、何かにチャレンジして失敗すると
  「計画が杜撰」と言われてるけどさ、

 じゃさ、どんな計画ならよかったんさ?って思う。

 そういった人、プラン立てて実行して成功を見せてよ。って。

 例えば、それが成功したって、いろんな条件は違うじゃん?

 関わる人数も、それぞれの性格も、捉え方や考え方、
    体力や忍耐力、すべてがその関わるひとりひとり違う訳で
「俺は出来たのになんでおまえはできないんだ」ってさ、
   色々違うからだろって。

 

 この本、実は単行本が創刊されたときに買ったのだけど、

 表紙さえ開けずにいた。

 栗城さんのことを知りたいと思う一方で、知る怖さもあって、        開 かないままだった。

 だいたい本は、
 「あとがき」や「解説」から読むのだけど、
   今回は七幕から読んだ。

 目次をみると、序幕から始まり第十二幕、
    最終幕まであるのに七幕に「取材の終わり」とあった。

 普通、取材の終わりって全部終わって振り返りみたいな感じで        書くんじゃない?

 何かあったのかな?と七幕から読むことにした。

 購入して直ぐにカフェに入り

 第七幕を読み、
    それから「解説」読んだ。

 

 栗城さんのお墓、故郷にあるらしい。

 一般人の、かつ無関係の私の訪墓が可能とは思えないが、
   単純に、純粋に、話がしてみたい。

 そう思った。

 私は、例えば、好きな人と同じモノを使いたいみたいな心理が        分からない。

 そのモノが自分の好みじゃなかったら?それより自分の好きな        モノ使いたいって。

 でも、今は、そういう心理を、理解できる。

 

  この本を読み終えて、
      映画『EVEREST』が無性に観たくなり観た。

     いつも以上に涙腺がゆるくなっており
     たくさん泣いた1日になった。






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