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【新書】『訂正する力』
6月7日
久々の読書日記だ。
前回がいつだったのかも分からない。
ちょっと言い訳。
本を読んでいなかったわけではないのだが、読書しているといえるような読書量ではなく、
書くに至らなかった。
2024/06/16
この記録をすることも面倒になっている…
こういうのって、なんでこんなことしてるんだろうとか、
なんの意味があるんだろうって考え始めたらだめだよね。
だいたいが意味のないことに思えてきて、なんにもできなくなる。
今日は読書しかしないと決めて、久々に本にちゃんと向き合う。
この記録も、記録してなかったところも振り返って記録しようと思ってる。
2024/07/31
前回の記録のあと、6月の後半は勢力的に読んだ。
ノートへの記載はちゃんとしてある。
でも、7月に入りガクンと量が減ってしまった。
残り50ページほど残し停滞。
今日に至ってしまった。
今日は、残りを一気に読もう!と思っているが、他の本をすでに読んだあとなので、
ちょっと負け越しだ。
2024/08/01
読めないかも、と文字にした途端に急激に眠気が押し寄せ、案の定、読まなかった。
2024/08/03
ついに読み終わった。
で、日記を読み返したら、この本について何も話してないじゃないか…
ということで、最後にちょっと触れておこうと思う。
(手書き読書録より)
ウィトゲンシュタインは、プレイ上ではつねにルールが書き換わっているが、プレイヤーはその事に気が付かない。言語というのはそういうゲームなのだと主張(言語ゲーム論)
そして、東氏は、これは言語だけでなく社会の様々な事象にあてはまると言っています。
社会がそうだから言語もそうと言えるし、言語がそうだから社会もそうとも言える。
私は、子どものころ、そのことが不思議だった。
「あれ?ルール変わったのになんで誰も反応しないんだろう?」って。
小学校時代はそればかりが気になって、止まってしまっていたけど、成長するにつれて
あぁ世の中はそういうものなんだと。
だから、この本を読んだときに、違和感の正体が分かってスッキリ。
世の中の潮流に乗れていなかったのは私なのか…
同じぺーじに
“当事者にはアイデンティティはつくられない”
とあるんだけど、これ、貧困の勉強したときに出てきたのと同じかも。
ある人が貧困である、と決めるのは社会だというもの。
それとにているなと思った。
ChatGPTのところで、人間の人間性を支えているのは
「あれ?間違ったかな」という訂正だと。
AIとか出てきて、人間との違いとか、人間とはを説明すると、みたいなのが話題に上がったりしていたときに、私もヒトとロボットは何がちがうのか、
ということを考えていたけど
食事をしない、排泄しないみたいなことしか出てこず。
最後に、どうでもいいことを…
「萌芽」という漢字が出てくるんだけど、
何回みても私の脳はまず「もえ」と認識する。
絶対に「もえ〜」のせいだ。