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「もうすぐ春」へんいちエッセイ講座上級参加作品

いつでも春は、私にとって特別な季節だった。とりわけ、学生時代、北海道の長い冬が終わり、新しいクラスへの期待や不安、卒業して友と別れるときの寂しさなど、心に抱いたさまざまな感傷は今でも忘れられない。

今から40年も前のこと、大手化粧品会社は、卒業前の女子高校生を集め『初めてのメイクデビュー』というイベントをこぞって開催していた。受験前の私と友だちも、ブースでメイクの仕方を教わった。化粧品のCMでは、若手スター布施明が歌う『君は薔薇より美しい』が流れ、TV画面から黒髪のエキゾチックな女優オリビア・ハッセーがこちら側をじっと見つめていた。彼の歌声と彼女の眼差しのコラボレーションは、大学という少し大人の世界を私に思い描かせてくれた。それほど私には『合格』に対して妙に自信があり、満面の笑顔で春を迎えるはずだった。

合格発表の日、大学前の掲示板に私の番号はなかった。心は冬のまま、季節は春になり、予備校生の私は、大学生になった友だちを避けた。みんなお化粧をして、綺麗になって、ずいぶん大人に見えたから。

そんな荒んだ浪人生活にもささやかな楽しみはあった。2浪の友達は、山小屋風の喫茶店に誘ってくれた。外ではじめて飲んだココアは、甘く温かく、乾いた心を少しだけほぐしてくれた。

2回目の受験がやってきた。母は、試験が終わる時間に大学の前で待っていてくれた。しんしんと雪が降る中、地面をキシキシと踏みしめながら、駅前の喫茶店に二人で入った。外は寒かったけれど、頼んだクリームソーダで興奮した心が少しやわらいだ。あの日のココアで心が変化したように。

合格発表は、掲示板を見に行けずに、身を固くしてラジオの前で聞いた。自分の番号が呼ばれた瞬間、母と一緒に抱き合って喜んだ。そうして、やっと大学の門をくぐることができた私にとって、「もうすぐ春、大学生になったら、お化粧したい!」という憧れは、もうどうでもよくなっていた。

毎年、春はめぐってくる。でも、大人になってからの春は、入学、進級、卒業の節目が繰り返し訪れ、そのたびに心が揺れる学生時代の春には到底かなわない。

今でもあのCMソングを耳にすると、ココアやクリームソーダの甘さとともに、私の心はざわざわと揺らぐ。そうして人は、出会いや別れの季節を超え、嬉しさや切なさを積み重ね、少しずつ大人になっていくのだろう。

今年も、もうすぐ春がやってくる。

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エッセイを書き始めて、ずっと胸の中に秘めていたこと、それすら忘れていたこと、やっと気がついたこと、点と点がつながり線になること……たくさんのことに出会えることが嬉しい。しかし、作品として仕上げることは、ほんとうに難しいと今回の上級コースで実感しました。
へんいちさん、添削ありがとうございました。苦しかったけど、とても楽しかったです!


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