【読んだ本の記録】アメリカインディアン、ナバホ族について「本からしか得られない情報」
以前、ナバホ族のサンドペインティングについて、ネットで調べた知見のみでテキストを書いたところ。私の文章が生成AIの一次ソースになっていたという経験を文章にしました。
が。
なんとなく知識を深めようと、Amazonで目についた書籍を購入したところ。
「インディアンに関する日本語の書籍は数多く出版されており、そこには情報がたくさんある」
という事実を改めて認識しました。
ネットの世界に情報がないだけ。
まだまだ情報がオンライン化されていない分野が幅広くあり、それは書籍を探求しなければわからないということ。
心理学者の河合隼雄さんがナバホ族を訪ねたエッセイ
河合隼雄さんが臨床心理学者ということだけは知っていても、どんな? 何系? どういう治療をするの? は知らない私。
さらっと調べると、日本人で初めてユング派分析家の資格を取り、箱庭療法を日本に持ち込んだ人。とのこと。
深層心理にある「無意識」を重視されているようです。
なぜ河合隼雄さんがナバホに興味を持ったのか、というと。
ナバホの人々は現代も神話の世界で生きていて、独自の治療法を確立し、人の心と体を救っているから。
彼らは、メディスンマンという、祈祷師かつ医師である特別な職業を生み、「現代の最新医療では救えなかった精神病患者を治すこともできる」のだそう。
その実態はどういうものなのか?
ナバホ族の価値観とは?
現状の彼らの生活は?
などなど、深掘りするために、河合さんが奥さまや仲間たちとナバホの居留地を訪ね、現代に生きるメディスンマンたちにインタビューを重ねた、その記録。
2002年に上梓されていますが、河合さんはおそらく70歳前後?
フットワークの軽さに驚きます。
書籍から、さっそく誤解が解ける
ネットで調べただけの情報では「メディスンマンは祈祷師」と書かれていたので、私はこれまで「ただ祈る人」だと思ってきました。
しかし書籍をきちんと読めば、「祈祷師の中に、医療的な役割を持つ人が派生として生まれ、彼らをメディスンマンと呼んだ」とわかりました。
ずっと誤解していたと気が付きました。
そして、河合さんがアメリカを訪れた時、ナバホ族の人々はすっかり近代化した暮らしをしているのです。
「えっ、そうなの?」と私は再び驚くことに。昔ながらの暮らしを続けていると勝手に思い込んでいました。
インディアンたちは現代的な家に住み、普通の洋服を着て、英語を話しているのです。ナバホ語を話せない若者も増えているのだとか。
ナバホの居住地は独立した国家になるので(ナバホ・ネイション)、そこには学校などもあるのだけど、働く場所は少ない。若者は国の外に出てアメリカ人と一緒に働き、残った人はやることがなくて半数以上が無職。だから多くの人がアルコール中毒になっている現状。
でも、それを救うための施設が生まれ、そこでは神話の世界と家族のコミュニティをベースにした独自の治療が行われているのでした。
祈祷、歌、アート。それらがどうのように心を救うのか
最新医療の現場にいる河合さんが、なぜ神話やアートによって治療するナバホに興味を持ったのか。
それを表す文章が本の冒頭にありました。
大地を母、空を父として崇め、東西南北の方角すべての山、緑、土など、自然そのものを敬いながら暮らす、「神話を信じ、生きること自体が宗教」というナバホの人々。
彼らは同じ景色を見て、同じ仕事をし、同じものを食べ、同じ時間に眠る。それを河合さんは「共同幻想」という表現で説明されています。
「共同幻想があれば、病気の人を救える」のだと。
同じ価値観と絆を持つ人々が、仲間の病気を治すために儀式用の建物に入り、メディスンマンの指示のもと儀式を行う。砂に絵を描き、歌い、何日も続く儀式を終えたあと、患者の病気はすっかり治っているのです。
地域の祭りを見ながらナバホを思う
共同幻想。
コミュニティ。
家制度。
それらから連想するのは日本のこと。
私の話になりますが。
最近、近所にある神社のお祭りがありました。小さな神社で、地域で育つ小学生が50人もいない少子化真っ盛りのエリアですが、屋台を引き回し、太鼓を奉納し、笛を吹き、花火をあげます。
これは、同じエリアで農耕をして生計を立て続けた、地域の人の共同幻想。この神社を祀り、祈りを捧げることが、まさにメディスンマンたちと同じ心持ちになれるのでは。
河合隼雄さん自信も、ナバホとキリスト教の違い、またナバホと日本の共通点を見出しておられましたが。
キリスト教は神と人が直接結ばれ、人が自然を支配するという考え方。
対してナバホは、自然の中で暮らすことそのものが宗教であり、無意識のうちに自然を崇めている(そのため、宗教という言葉や概念を持たない。キリスト教の人々のことをパートタイム宗教だと揶揄することもあるらしい)。
対して日本人は、natureの訳語が見当たらなかったほど、「自然」を無意識に捉えて生きてきました。
おお、似てる?
似てるかな?
人と大地と、つながりの中で生き続けること
最終的にこの本が伝えるメッセージとは。
日本人はもともと、自然やコミュニティとのつながりを大切に生きてきたものの、明治以降から急速に西洋化し、個人主義という価値観が台頭してきたわけです。
それは自然との絆を断ち、自分たちが自然を操り、個人としての幸せを追求して生きていく姿勢。
それを続けた結果、今、どうですか?
幸せですか?
確かに個人として生きやすくなる部分もあるかもしれません。
ただ、もともと自然との調和、集団との調和を基盤として生きてきた私たちにとって、実際どうなのか? ということ。
昔のような社会に戻したいという話ではなく(だってナバホの人たちも近代化した暮らしをしている。昔ながらの家には住んでいない)。
「つながり」続ける方法を、模索したい、しよう、というメッセージだと捉えました。
はっきりした結論がドーンとあるわけではないのですが。
その「曖昧さの中にメッセージを潜ませる」感じがとても日本っぽい(?)。
次は、河合さんが本の中で対談している、「ぬくみちほ」さんのナバホ族についての本を読んでみたいと思います。