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【エッセイ】「タダでやってほしい」「売上が立ったら報酬」のやり方をどう捉えるか?



ここ10年、ずーっとお手伝いをしてきた骨董屋さん。
プライベートでも友人関係である、30歳以上年上の女性。

当初は「パソコンを教えて。ブログを書きたいの」が始まり。出会った頃、私は出産したばかり。仕事もあまりなかったので「いいですよ」と色々なことをお手伝いしてきた。

【手伝ってきたこと】
①ブログ記事作成代行
②通販(BASEのショップ開設、運営、注文対応、梱包、発送)
③上記のBASEページ制作全般(撮影、コピーライティング)
④暮らしのお手伝い(不在時の猫の餌やり、たまに送迎など)

色々お手伝いする中で確実に金銭が発生したのは、BASEの売り上げのみ。
また、お家にお邪魔させていただくたびに食事やお茶をご馳走になり、本の話、その他いろいろおそらく金額では測り知れないほどの価値を得てきたと感じる。

が。

そろそろ「私はやり方を間違えた」と思う面も出てきてしまった。

「断らない」ことで私の価値を下げてきた

頼まれるたび、「友達だし、お世話になっているし」そう思ってなんでも引き受けてきた。困っていることを手伝うのは、プライベートの範疇だから大丈夫だったんだけど(そこについては今でも全然後悔はないし、これからもやると思う)。

中には仕事的なリソースを割く依頼も混ざっていたのだ。

これを積み重ねていくと、相手にとって、私が「依頼相手」から「仲間内」のような意識に変わってくる。

例えば、コロナ禍初期にマスクが足りなかった頃、骨董屋さんからもらった藍染の生地でマスクを作って売っていた。

その時、骨董屋さんが
「300円くらいで売りましょうよ。まずは安く売って良さをわかってもらわなきゃ」そう言ったのだ。

しかし、型紙を探し、生地を切り、縫い合わせ、専用のゴムを通して完成させてアイロンをかけたのは私。少なく見積もっても1時間程度時間をかけていて、それを「300円で」と言われた時に、私の工賃を無料カウントしていることに気がつくべきだった。

また、「ホームページに載せていない高額の骨董を売りたい」時、

「2人で手分けしてホテルなどへ営業に行きましょう」
「(ちょっと遠方まで)視察に行きましょう。2人なら身軽だし早いわよ」

いろいろと提案されるものの、すベてもちろん無報酬。いつか売れたら売上の一部をくれるという形。

しかし今の私は、子どもたちが学校に行っている時間に仕事を受けていて、フリータイムはできるだけ仕事に充てたい。むしろ、「骨董を売る活動のために仕事時間を割く」という謎の状況が生まれていることになってしまう。

そこで、やっと気がついた。

「今までなんでも引き受けてきたことで、私は私の価値を下げてきた。本当はもっと慎重に動くべきだった」。

断るという選択肢を持つ

でも、本当に無償でやることが絶対ダメとも思ってない。

そもそも友人でもあるし、私は年上の友人が大好きだから。この関係性はお金を出して買えるモノではなく、自分に新しい知識をもたらす存在は貴重でさえある。

また、駆け出しのフリーランスとしても、責任を伴わずに経験値を積めることは有益。失敗が許されない世の中で、「失敗してもいい」プロジェクトを動かすことのメリットは大きい。未経験から骨董屋さんのノウハウをもらいながら通販もできた。

ただ、「断らない」ことはリスクを伴う。

あの人なら受けてくれる。
ちょっと安くても文句を言わないだろう。
無茶を聞いてくれる。
時間がないと言えばきっと早くやってくれる。

そのカテゴライズは自分の価値を下げることを意味する。

現に、金銭がほとんど発生しない骨董屋さんの依頼において、要求はどんどんスケールアップしていた。あれもやりましょう。これはどうかしら。でも実際に動くのは私。

だから。

最近はついに「断る」という選択肢を取り入れてみたのだ。

断るのってエネルギーを使う

「私には、営業回りはできません」

少し前、骨董屋さんにはっきりと伝えた。震えていた(声が)。
もしやるなら、どうかお一人でやってください。その想いを告げたのだ。

彼女は、「そう、ならしょうがないわね」と一回で引き下がってくれた。私が断ったのはこれが初めてだった。

「実は通販の梱包も非常にストレスフルで、注文が入るたびにビクッと反応してしまうほどつらいです」

実は、これも初めて伝えた。これまで、ヤマトさんの指示に基づいて(ヤマト運輸の皆さんが本当に良い人ばかり)割れ物を絶対に割らせない梱包の仕方を学び、一度も破損させずに全国に発送してきた。

ただ、商品にあうサイズの箱を用意して、梱包でぐるぐるにして緩衝材を詰めて、慎重にヤマトの宅配センターまで運ぶと半日かかってしまうのだ。

私の半日!

みたいな状況がどうしても生まれてしまう。

ただ、どちらもあっけなく許容してもらえた。
梱包もやってもらえることになった。

「そんなにつらいなら言ってくれたらよかったのに!」

という返答。

そうか。断ってもよかったのか。

私は「断る」ことのエネルギーの大きさを想像し、やりたくなかっただけなのかもしれない。それに初めて気がついた。

検索すると、「断りブランディング」みたいな記事も散見するのだけど。
つまり、断ることで選択と集中ができる。

それによって、やると決めた案件に力を注ぐ余力が生まれる。すると仕事のクオリティが上がり、「あの人はいい仕事をする」と話題になり、人気が高まるループが生まれるとのこと。

やらなければよかったのか?というと

結論として、「じゃあ最初から協力しなければよかった」かというとそんなことはない。

少なくとも、これくらいの文章が書けるほどには経験値が残っている。

また、タダ働き自体はあまり続けられない(気持ち的にも、体力的にも)という状況は認識できた。

これからの人生に生かせばいいという話。

もうちょっと賢く生きなければな。と、毎日思っている(が、できるかどうかは別の話)。


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ライター和田知子:CLANG CLANG クランクラン
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