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流産経験から知る「レジリエンス」


前回、レジリエンスについて書きました。

今回は、私の体験したレジリエンスについてもご紹介したいと思います。

*注*
以下、流産・出産に関する記事になります。
苦手な方、読みたくない方は、読み進めないで下さいね。



私には、7歳の息子と2歳の娘がいますが、その間に1名、生きたまま生まれてこられなかった男の子がいました。

上の息子は、生まれたときからとても手のかかる子で(彼は発達障害の可能性がありそのことが大きく起因しているのだと思います)、私は当時(今でもたまに思いますが)何度となく、「なんでうちの子は、他の子たちのように普通に出来ないのだろう」と思い悩んでいました。

彼の場合は「社会性のなさ」が一番目立つところなのですが、息子が何とか孤立しないように、どうにか普通の子のように子どもらしくいられるように、外にたくさん連れ出したり、習い事に連れて行ったり、子ども向けのイベントに参加したり、多くのエネルギーを注いでいました。

でも、やはり多くの場面で、周りの子たちとうまくいかなかったり、感情をコントロールできなかったり、他の大人に注意されたり、本人もそうだと思いますが、母の私も傷つく出来事が何度となくありました。

そういったこともあり、私は子どもはもう1人で十分、と思っていたのですが、息子が年を重ねていくにつれ、私にも免疫が出来てきたのか、もう1人、家族が増えるようになるのもいいかもしれないな、と思うようになりました。

2回の化学流産を経て、次の妊娠をしたのですが、妊娠12週位のときに、胎児に異常があるかもしれないと言われ、専門医のところにも行くように言われました。

初回、専門医を訪れた際にエコーで何箇所も「異常」箇所が指摘され、羊水検査をすることを進められましたが、まだ若干胎児が小さいこともあり、1週間後に検査の予約をして、帰路につきました。

1週間の間、本当にありとあらゆることを考えました。
医師からは染色体異常だろうと言われていたので、色々と調べ、主人ともとことん話し合い、ある程度は覚悟が出来ているつもりでした。(ちなみに、私はどんな状況あれ、出産するつもりでした)

羊水検査を待つ間の1週間、ある晩、本当にどう説明したらいいのかわかりませんが、お腹の子がもう旅立ってしまったということが「分かる」瞬間がありました。

別に痛みがあった訳でも、身体に異常を感じた訳でもないのですが、ただ、「あぁ、もういってしまったんだな」と感じたのです。

結局、羊水検査をする当日に、思っていた通り、お腹の中で亡くなっている分かり、そのまま分娩のために入院となりました。

所謂後期流産で、もうある程度の大きさがある胎児だったので、誘発分娩と処置手術が必要でした。

経口薬による誘発分娩でしたが、私は、この目で、生きて生まれてこられなかった子を見、その小ささに、そして小さいのにもう立派に人間の形をしていることに、涙しました。


結局、誘発分娩&処置手術をしてから、検査結果が出てくるまでの約3週間強の間が一番つらかったと思います。


意識しなくても、気づいたら泣いていたり、

特に退院直後は、ホルモンバランスの乱れもあったと思うので、感情の起伏がジェットコースターみたいでした。


とりあえず、ひたすら悲しみに浸ろう、ということと、

あとは、自分が一番表現しやすい方法でカタルシスをしよう、

それだけを考えていました。


そして、検査結果。


私が思っていた通り、「トリソミー18」でした。

22本対ある常染色体のうち、18番目の染色体が1本多い状態でした。

生まれてこられる可能性は5~10%。
そして、生まれてこられても1歳の誕生日を迎えられる確率もその中の10%。多くの場合、非常に重い障害を持って生まれてくる、そうです。



結果が出て、勿論、お腹の中にいた子がまた戻ってくるわけでも、やり直せるわけでもありませんが、それでも私はスッキリしました。

私の場合は、けじめをつけるために、結果を知ることが大切でした。


自分自身がカウンセリングの勉強をイギリスの大学院でしたこともあり、ヒーリングのプロセスなど、頭で知っていることはありながらも、やはり自分自身が実体験としてそのプロセスを踏むとなると、

はじめは、

「本当に、私、この闇から抜け出すことが出来るの!?」

と半信半疑だったりもしました。


でも、人間って、よくできているというか、ちゃんと自分で落とし前を付けて、それで前へ進めるようになっているんですね。

勿論、亡くなってしまった子のことは一生忘れないと思いますが、

そのことについて、ちゃんと自分なりの解釈・納得をして、前へ進んでいくのだと思います。

流産・死産をしたお母さんの数だけ、ストーリーがあると思います。

ある人は、

「忘れ物をとりに空に還ってしまった」

とか、またある人は、

「大切なメッセージを伝えにきてくれた」

とか。

色々なお母さんたちの解釈ストーリーをブログなどで読みましたが、私自身と照らし合わせてみると、なんとなくどれもしっくりとこず。でも、私にもあるとき、「ふっ」と今回の流産の理由が分かる瞬間がありました。


私のストーリーは、

前提として、「輪廻転生」の概念が必要なのですが、こんな感じです。


お腹の中にいた子は、

現世・人間界を終わらせて、次のステージ(天界か、ニルヴァーナか、よく知りませんが、とにかくそんなところ)に進むために、


あと「1単位」。

あと「1単位」だけ必要だった、のではないかと。


だから、生まれてくる必要がなかった、というか、

お腹の中に宿って、十数週間、お腹に滞在するだけで十分だった

それで、単位が取り終えられたから、

人間界にバイバイして、

いち早く、

ママより、パパより、お兄ちゃんより、

誰よりも早く、


イチ抜け♪して、次の高次なステージへ進んでいったんだな、と。

非科学的とか、そんな世界はない、とかなんと言われようとも、私の中ではそれが事実なのです。

こうして、自分自身のストーリーが、自分の納得する形で結論を結べたことが大切で、

ストーリーを完結させることが、私が、身体精神的バランスをまた均衡に保つために必要なことなのだと思います。


自分自身の解釈ストーリーが完結し、

それで納得出来たとき、

本当の意味での癒しが起こり、

そしてそれがきっかけで次のステージへと駒を運ぶことが出来るのだ、

そう私は自分の体験を通して学びました。


勿論、私がその段階まで這い上がってこられたのは、多くの、本当に多くの人の助けがあったからです。

恐らく、当時、流した涙の半分以上は、「悲しみ」よりも、そんな多くの人の「温かさ」に触れて、癒しの涙だったと思います。


私の好きなスープをいち早く差し入れてくれたご近所さん、

同じく私の好きなケーキをいち早く差し入れてくれた友達、

手紙とお花をくれたヨガの先生、

ただただ抱きしめ、泣いてくれた多くの友達、

数えきれないほどの花束、

じっと私の涙を受け止めてくれた人たち、

日本から元気になれるように支援物資を送ってくれた友達、

食事、お茶に誘ってくれた友達、

そして、日本から駆けつけてくれた母と、日本にいながらも常に心配してくれた父と祖母。


レジリエンスとは個人的な能力、素質だと思うかもしれませんが、そうとも言い切れません

周りからのサポート、もっと大胆に表現するなら、周りからの「愛」によって、レジリエンスが強化されるという面が、必ずやあると私は思います。


余談かもしれませんが、その後、私は自分の身体と向き合い、そしてテコ入れ(運動、食事、生活習慣)をすることで、次の妊娠に臨もうと再起しました。

もし、これで妊娠しなかったら、それはそれで、定めなのだろう、と。


結局、人生で一番悲しい思いをしたあの日から、半年ちょっとで、私はまた、子どもを授かることが出来ました。(そのとき39歳でした)

前回のことがあったので、不安の大きい毎日でしたが、

その時の子は、今、元気いっぱいのおてんば娘として、私達家族の一員になっています。


きっと、生まれてこれなかったお兄ちゃんが、ちゃんと妹をこちらまで届けてくれたんだろうな、そう私は思っています。


話がそれましたが、深い悲しみを経験し、そこから何とか這い上がってきたときに待っていてくれる希望の風景というものが存在する、と思います。

そこに至る道程は、厳しく、辛いものかもしれませんが、一人で出来なくても、きっと、助けてくれる誰かが、近くにはいるとおもうのです。


多くの人が、その希望の風景の目撃者になれますように。



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