自然のチカラに感謝しても、しきれないこと
前回の記事。
少しのアップダウンがあるのは、それは人生の中で当然起こりうることですが、たまに、「ガクーン」と落ちることがあるのも人生。
思いっきり負のループに引きずり込まれていた私です。
もがくこと、半月。
ようやく、上向きに登っていくきっかけがつかめたような気がしています。
とにかく、気持ちが塞がらないように、後ろ向きな思考に自分を占拠されないように、意識的に気持ちが晴れるように試みました。
自分がネガティブなときは、本当に世の中すべてのネガティブを吸い寄せるようで・・・。
主人もここのところずっとイライラしていたし、溜め息を日に何十回とつくし、言葉尻が荒くなるし。
とにかくマイナスの感情を顕にされるのが、私は苦手です。
主人はドイツ人で、自分の感情をストレートに外に出すのはある意味お国柄とも言えるのですが、海外に長く住んでいてもこのところには抵抗を感じます。
主人がイライラし出したら、私はさり気なくその場を去る。
それを徹底しています。
彼の溜め息や、暴言によって、自分まで見えないレベルで傷ついたり、どんよりとした気分になってしまいますから。
別にものにあたっているわけではないのですが、気持ちが荒んでいるときは、行動も荒くなって、結果、ものが壊れたり、平常心のときにはうまくいくようなことも、出来なくなったりします。
親が発するその「イライラムード」は、勿論、子どもにも伝わっていて、うちの場合、特に上の子は7歳ということもあり、
「パパ、イライラしてるねぇ」
と私にコソコソ言ってきたりします。
親がイライラしていると、一番とばっちりを受けるのは子どもですよね・・・。
私も、何度となく、ちょっとしたことで爆発したことがあります。反省。
前回の記事で、負のループ真っ只中だった際、「瞑想」や「砂遊び」の助けを借りたと書きました。
そして今回もまた、「自然(ネイチャー)」に助けて貰ったなぁ、と感じています。
厳しいロックダウン中のドイツ。
一人でちょっとお茶をしたくても、レストランやカフェは11月からずっと閉まっているし、
ショッピングで気晴らししようにも、お店も12月から閉まっています。
(スーパーや薬局など生活に欠かせない店は開いています)
旅行もNG、ホテルもビジネス目的以外は現在宿泊客を受け入れてくれません。
要するに、逃げ場がない。
ちょっと気晴らし、が難しい今。
ちなみに、春のロックダウン(ドイツでは3ヶ月間、学校やお店などが閉まりました)のとき、我が家は、家庭菜園をはじめ、毎日の水やりや雑草取り、ナメクジとの戦いをしながら、毎日確実に育っていく野菜たちを愛で、それを1日の楽しみにしていました。
前回のロックダウンは、春先で、暖かくお天気もよかったことから、1日の大半を子どもたちと庭で過ごし、我々が外にいっている間に、主人が部屋に籠もって仕事をするという形でうまく回っていました。
今は、真冬。
そしてドイツの冬は半端なくグレー。
元都民の私からすると、冬はスッキリ晴れた日が多いイメージなのですが、ドイツの冬はとにかくどんよりとしています。
そんな中でも、家にいると(そしてネガティブな状態で)気が狂いそうになるので、どんなにどんよりしていようと、小雨が降っていようと、物凄く寒かろうと、外に出るようにしています。
(2歳の娘がいるので、必然的に外遊びのため、自分の希望とは関係なく毎日外にいかなくてはならないのですが)
そんなとき、私は森へ向かいます。
とにかく、森を歩く。
近くには、大きな川も流れているので、川を見に行ったりもします。
そうやって自分よりも「大きい」ものの中に身を委ねていると、
いい意味で、全てがどうでもよくなったり、
心に掛かっていた靄がスーッと晴れていったり、
完全にとは言わなくとも、一旦自分を出来るところまでリセットすることができたり、
自然のチカラは本当に凄いです。
日本に住んでいた頃は、電車に1時間以上揺られて、ようやく「自然!」と呼べるような場所にたどり着けたのですが、今となっては、別に大自然の中にいくだけが「自然の中に身を置く」ことではない、と言えます。
部屋に生花を飾るもよし、
月が綺麗に見える夜に、夜空を眺めるもよし、
街路樹の四季折々の姿を観察するもよし。
要は、生活の至るところに実はある「自然」に気がついて、それにコネクトさせてもらうだけでいいのだと私は思います。
現状、私の場合は、たまたま家から歩いて行ける距離に森や川があるので、その環境に感謝しつつ、これからも何度となく、自然に助けてもらうことになるだろう、とそう思います。