「即」という名のアポリア 番外編 その2

番外編その1はこちら


本題に入る前に

 前回に引き続き、今回は後期密教の曼荼羅や瞑想法について見ていきたいと思います。ただ、今回述べる内容は、後期密教以前の仏教に関する背景知識がないと理解しづらい面があるように思われます。そこで今回は、まず時計の針を戻して、知っておいた方がいいと思われる背景知識を紹介してから本論に入っていきたいと思います。

中有(ガンダルヴァ)

 仏教は、釈迦の死後時代が下ると、多くの部派へと分裂していったことは既に述べたとおりです。そのなかでも特に有力だった部派の一つが説一切有部(略して有部)であることや、有部の教義をまとめた『俱舎論』という書物があることも第9回で申し上げたとおりです。

 ちょっとだけ脱線すると、『俱舎論』を書いたのは、第27回で登場してもらったヴァスバンドゥ(世親)です。かつてオーストリアのフラウワルナーという学者は、『俱舎論』を書いたヴァスバンドゥと、『唯識三十頌』などの唯識の論書を書いたヴァスバンドゥは、同名の別人だという説を唱えたことがあります。いわゆる世親二人説です。この説は現在では学界で支持されているとは言えませんが、フラウワルナーの研究が契機となって、ヴァスバンドゥまわりの研究が大きく発展していくことになりました。

 それはともかく、『俱舎論』はその後インドのみならず中国にも日本にもチベットにも伝わり、広く読まれて研究され、仏教史に大きな影響を与えました。密教にも影響を与えています。ですので、仏教について知る上では決して避けてとおれない書ですし、後期密教について知る上でも、予備知識として『俱舎論』に見られる有部の主張を押さえておく必要があるわけです。

 ともあれ、ここで押さえておきたいのは『俱舎論』に見られる有部の輪廻解釈です。第7.5回で申し上げたように、仏教では輪廻説が説かれており、衆生は解脱しない限り延々と生まれ変わり死に変わりを繰り返し、迷いの世界をさまよい続けることになっています。有部によれば、輪廻というのは「生有→本有→死有→中有→生有→……」というプロセスを延々と繰り返し続ける流れだとされます。まず「生有」というのは、衆生が母胎に受生する瞬間のことです。次に「本有」は、衆生が受生してから死ぬまでの期間のことです。「死有」は死ぬ瞬間です。そして「中有」というのは、死んでから新たな生を迎えるまでの期間のことです。以上の生有・本有・死有・中有をあわせて「四有」と言います。

 ただし、有部は中有の存在を認める立場ですが、仏教世界全体を眺めると、中有の存在を認めない部派も結構存在していました。また、中有の状態がどれくらい続くかというと、有部の内部でも諸説あったのですが、最長で49日続くという説が有力でした。日本で現在も行われている四十九日の法要というのは、この説に基づいたものです。

 中有の衆生は我々の目に見える身体は持っておらず、物体をすり抜けることもできるんだそうです。サンスクリットで中有の衆生のことをガンダルヴァ(gandharva)と言います。漢訳仏典では、「乾闥婆」とか「食香」と訳されています(食香と訳されたのは、ガンダルヴァは米や野菜といった食べ物ではなく、香りを食べるとされていたからです)。このガンダルヴァは、自分の両親になる男女が交合しているのを目撃することになります(どの男女を目撃するのかは、前世の業=行為によって決まります)。それを見たガンダルヴァは、母親の子宮のなかにある母親の経血と父親の精液の混合物のなかへと吸い寄せられます(ガンダルヴァは物体をすり抜けることはできますが、母親の子宮はすり抜けられないんだそうです)。そして、両親の交合を見たときに、父親に愛欲を起こして母親に嫉妬すると女に、母親に愛欲を起こして父親に嫉妬すると男に生まれるんだそうです(面白いですね)。ちなみに、ガンダルヴァの起源は、バラモン教・ヒンドゥー教の聖典であるリグ・ヴェーダに登場する神様です。ここでも例のごとく、換骨奪胎が行われているわけです。

三世両重の因果説

 さて、四有の次に押さえておきたいのは、『俱舎論』で説かれている「三世両重の因果説」です。『俱舎論』によると、有部は十二支縁起(第4回で説明しました)を、輪廻説と結びつける形で解釈しています。十二支縁起について簡単におさらいしておくと、ドゥッカ(苦)の根本原因は無明だという話でした。その無明によって行が生じ、行によって識が生じ、行によって名色が生じる、という具合にどんどん連鎖していき、最終的に生によって老死が生じる。

①無明 ②行 ③識 ④名色 ⑤六処 ⑥触 ⑦受 ⑧愛 ⑨取 ⑩有 ⑪生 ⑫老死

 ゆえに、無明を滅ぼせば行は滅び、行が滅びれば識は滅び、識が滅びれば名色が滅び、最終的に老死も滅びる。無明を消すことができれば、あとはドミノ倒し式に各要素が消えていき、ドゥッカ(苦)を滅ぼすことができる。そういう考え方でした。

 この十二支縁起は、十二の要素がそれぞれ具体的に何を意味しているのか、十二支同士の関係はどんな具合になっているのかといったことが、いわゆる「初期経典」には明確には説かれていません。ですので、十二支縁起というのはぶっちゃけ“よくわからない”教えであるがゆえに、後世においていろんな人がいろんな解釈を提示していくことになりました。そうやって新たな解釈が提示されることで仏教史が形づくられていったという面があります。有部はこの十二支縁起を輪廻説と結びつけて解釈し、「三世両重の因果説」という学説を提示しました。三世両重の因果説によれば、十二支縁起のうち、①の無明と②の行は前世の話で、③の識から⑩の有までは現世の話で、⑪の生と⑫の老死は来世の話だとされます。そして、十二の要素はそれぞれ次のようなものだとされます。

①無明 根本的無知 
②行  無明に基づいて作られる業(行為とその影響力)
③識  (前世の業に基づいて現世で)母胎に受生する瞬間
④名色 六処(6つの感覚器官のこと。眼・耳・鼻・舌・身・意の6つ)が形成される前の胎児の段階(受生後四週間ほど)
⑤六処 六処が形成された後の胎児の段階
⑥触  母胎から出生し、認識対象を弁別できるようになる段階(出生から2,3歳まで)
⑦受  感情を伴った認識が起こる段階(4,5歳~14,15歳まで)
⑧愛  欲望を伴った認識が起こる段階(14~15歳~)
⑨取  激しい執着を伴った認識が起こる段階
⑩有  受・取によって作られる業(行為とその影響力)
⑪生  (現世の業に基づいて来世で)母胎に受生する瞬間
⑫老死 (来世で)受生してから老いて死ぬまで

 三世両重の因果説では、前世での無明・行が原因となって現世で識・名色・六処・触・受という結果が起こり、現世での愛・取・有が原因となって来世で生・老死という結果が起こることになります。このように、前世・現世・来世の三世にわたって二つの因果関係を立てて十二支縁起を解釈するので、三世両重の因果説と呼ぶわけです。三世両重の因果説を先ほどの四有の説と合体させると、ガンダルヴァが母親の経血と父親の精液の混合物に吸い寄せられて、母親の子宮に宿る瞬間が「識」だということになります。ちなみに、後期密教の問題と絡んでくるので一言申し上げておくと、「受」の段階ではまだ性欲は生じず、「愛」の段階では性欲が生じてもまだ活発に追求しないとされます。それが活発に追及されるようになるのは「取」の段階です。

四大種と名色

『俱舎論』の四有と三世両重の因果説についてはひとまずこれくらいにします。次はやや視点を変えて、「四大種」に関する問題について少し見ておきたいと思います。第3回で申し上げたことをもう一度おさらいしておくと、いわゆる「初期経典」では無我説が説かれており、「自分」という「もの」に実体はなく、五蘊(色・受・想・行・識という5つの要素)が集まっているだけだと説かれています。そこにあるのは五蘊が集まって無常に変化を続けているプロセスだけであり、そこに「自分」という「もの」は存在しないというわけです(無我説については第6回で述べたような微妙な問題もあるのですが)。この五蘊と関連する仏教用語に、「名色」というのがあります。古い経典には次のような一節があります。

 比丘たちよ、では、名色(五蘊)とはなんであろうか。受(感覚)と想(表象)と思(思惟)と触(接触)と作意(意志)と、これを名というのである。また、四大種(地・水・カ・風)およびそれによって成れるもの、これを色というのである。つまり、そのような名とそのような色とを、名色というのである。

相応部12・2、増谷文雄編訳『阿含経典1』ちくま学芸文庫

 ここで説かれているのは、「名色」というのは人間を構成する物質的要素と精神的要素のことであり、名は精神的要素(五蘊で言うと受・想・行・識)で、色は物質的要素だということです。そして色(物質的要素)とは、四大種と、それによって構成されるもののことだとされています。四大種というのは、物質を作り上げる地・水・火・風の4種類の元素のことです。古代インドには、物質世界は地・水・火・風の4つの元素によって構成されているという思想がありました。この思想が仏教にも取り入れられているわけです。ちなみにこの四大には、時代が下ると「空」も加わって地・水・火・風・空の五大がたてられるようになりました(この「空」というのは、「すべては空である」とか「空の思想」と言うときの「空」ではなく、「空間」のことです)。

宇宙の生成・消滅と四大種

 この四大は、仏教の宇宙観とも関わってくる概念です。仏教には、宇宙は天文学的周期で延々と生成と消滅を繰り返しているという宇宙観があります。宇宙が生成されるのが「成劫」、生成された宇宙が存続する期間が「住劫」、宇宙が破壊される期間が「壊劫」、宇宙が無に帰って虚空だけが残るのが「空劫」です。そして空劫が終わると、また次の成劫が始まります。このサイクルを繰り返しているというわけです。『倶舎論』によれば、宇宙の形成は虚空に「微風」が吹き起こることから始まるんだそうです。この風はやがて密度を増し、やがて巨大な円筒形の「大気の層」が成立します。これを風輪と言います。次に、この風輪の上に巨大な円筒形の「水の層」が形成されます。これが水輪です。やがて水輪の上層部は次第に凝固していき、「黄金の層」になります。これを地輪とか金輪と言います。我々が知っている大地は、この地輪(金輪)の表面です。そして地輪の上に山や川などが形成されていって、自然界が成立します。

※かなりテキトーな図なのであしからず

  我々が住む世界を支える基盤が、風輪→水輪→地輪(金輪)の順で生成されるというお話なわけですが、この基盤は壊劫においては逆に、地輪→水輪→風輪の順で解体していくとされます。ちなみにこれはトリビアですが、金輪と水輪の境界のことを「金輪際」と言います。大地の底です。これが転じて「物事の極限」「最後の最後」といった意味になり、さらに「徹頭徹尾」「断じて」という意味になって、日本語で「もう金輪際酒なんか飲まねえ」とか「あんな輩とは金輪際関わりたくない」などと言うようになったというわけです。

『倶舎論』から時代が下ると、風輪と水輪のあいだに火輪も説かれるようになります。これは、風→火→水→地の順に粗大な要素が生じて我々衆生が住む自然界が成立し、それが滅ぶときには地→水→火→風の順で解体してゆくいう世界観だと言えます。こういう形で、四大と四輪が関わっているわけです。

五字厳身観と五輪塔

  さて、後期密教の話に入る前にもう一つだけ紹介しておきたいのが、日本の真言密教で行われる「五字厳身観」と呼ばれる修行法です。五字厳身観は、『大日経』に基づいて形成されていった修行法です。厳密に言うと、『大日経』には五字厳身観に関係する要素が断片的に説かれてはいるものの、ガッチリと整備された形では説かれていません。五字厳身観はあくまでも、『大日経』やその注釈書などに基づいて、徐々に今日の日本に伝わっているような形になっていったものです。とりあえず『大日経』の「持誦法則品」には、次のような一節があります。

 本尊の瑜伽に住して、加うるに五支の字を以てす。下体と及び臍の上と、心と頂と眉間となり、三摩呬多に於て運送して安立すべし。この法に依りて住するを以て、即ち牟尼尊に同じ。阿字は遍く金色なり。用いて金剛輪と作して、下体を加持す。説いて瑜伽座と名づく。鑁字は素月の光にして、霧聚の中に在り。自らの臍の上を加持す。これを大悲水と名づく。囕字は初日の暉にして彤赤にして三角に在り。本心の位を加持す。これを智火光と名づく。唅字は劫災の焰の如く、黒色にして風輪に在り。白毫際を加持す。説いて自在力と名づく。佉字及び空点は一切の色を相成し、加持して頂の上に在く。故に名づけて大空と為す。

『大正新脩大蔵経 第18巻』大蔵出版

 ここに書いてあるのはどういうことかというと、第30回で申し上げたように密教では、尊格をvtuberの「推しマーク」みたいにして梵字一字であらわすことがあります。「聖性」を帯びた要素を梵字一字であらわすわけです。ここに説かれているのは、「聖性」を帯びた阿・鑁・囕・唅・佉(a,va,ra,ha,kha)の五つの字をそれぞれ、自分の腰・臍・胸・眉間・頭頂に配置する瞑想法です。また、ここでは五字がそれぞれ、先ほど述べた地・水・火・風・空の五大を象徴しているともされています。ともあれ、このようにして修行者の物質的な身体と、仏の身体が“本来的に”一体であることを体得しようとするのが五字厳身観です。

 ところで、仏教に特に興味がなくとも、日本のお寺で五輪塔を見たことがあるという方はおられるでしょう。この五輪塔は、五字厳身観と密接な関係があります。

(public domain)

 五輪塔は第26回で述べたストゥーパの一種ですが、このような形のストゥーパは日本以外では見られず、日本で考案されたものだと言われています。五輪塔の5つのパーツは下から順に、先ほどのa,va,ra,ha,khaの五字に相当し、地・水・火・風・空にも相当します。第26回で述べたように、ストゥーパというのは仏の色身ですから、この五輪塔全体が仏身だと解釈できることになります。以上のように見てくると、五字厳身観というのは、自分の身体が“本来的に”ストゥーパ=仏身であることを体得する修行法だということがわかります。ここにも、象徴(五字)と象徴されるもの(仏の身体)が相似の関係にあることがイコールの関係へと飛躍するという、これまでに何度も見てきた密教のロジックがはたらいているわけです。

後期密教の曼荼羅

『秘密集会タントラ』の曼荼羅――五蘊“即”五仏

 さて、予備知識はこれくらいにして話を後期密教に戻すことにします。後期密教が開発した曼荼羅や瞑想法について見てみましょう。

 まず、曼荼羅について。前回扱った『秘密集会タントラ』はその後のインドで大きな権威を持った経典となり、『秘密集会タントラ』を解釈する「聖者流」「ジュニャーナパーダ流」などの学派が成立していくことになります。『秘密集会タントラ』の曼荼羅は、それらの流派によっていろいろと違いが見られます。というのも、『秘密集会タントラ』の曼荼羅は、『秘密集会タントラ』の第一分に基づいて描かれるのですが、第一分に明確に説かれているのは、五仏・四仏母・四忿怒尊の十三尊だけです。これを根本十三尊と言います(忿怒尊というのは、ひとまず日本で言う明王に相当するものだと考えておいてもらって大丈夫です)。聖者流やジュニャーナパーダ流などの流派ではそれぞれ、根本十三尊にいろんな尊格をつけ加えたりして、曼荼羅を構成します。つけ加えられる尊格は流派によって異なるので、それぞれ異なる曼荼羅になるわけです。例えば、ジュニャーナパーダ流では根本十三尊に、六金剛女と呼ばれる女性の菩薩六体を加えた十九尊の曼荼羅を用います。聖者流では、根本十三尊に五金剛女と八大菩薩を加え、さらに忿怒尊を六体追加した、合計三十二尊の曼荼羅が説かれます。

『秘密集会タントラ』の五仏は、阿閦如来・毘廬遮那如来・宝幢如来・阿弥陀如来・不空成就如来です。第30回で申し上げたように、『金剛頂経』の五仏は毘盧遮那如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来です。宝生如来が宝幢如来になっている(注釈書などでは同じ如来だと見なされています)こと以外は同じです。ただし、五仏の中心となるのは毘廬遮那如来(大日如来)ではなく、阿閦如来です。実際、聖者流の三十二尊の曼荼羅では、真ん中に描かれるのは阿閦如来です。この阿閦如来という仏は、初期大乗の時代には人気があったんですが、その後フェードアウトしていました。ところが密教の時代になると復活し、後期密教の時代になるとついに大日如来を押しのけてしまったのです。

 日本では密教と言えば大日如来だというイメージが強いですが、密教で大日如来が中心的な役割を果たしていたのは、中期密教までの話です。日本には後期密教は浸透せず、中期までの密教しか根づかなかったため、大日如来のイメージが強いわけです。ともあれ後期密教では、大日如来ではなく阿閦如来を中心とする考え方の方が一般的になりました。これも、中期密教の時代にはなかった新展開です。

 さて、『秘密集会タントラ』の思想や曼荼羅と、従来の密教の思想や曼荼羅との違いがよくあらわれている一節が、『秘密集会タントラ』の第十七分にあります。

 集約していえば、五蘊は五仏であるといわれる
(中略)
 地はローチャナーといわれる。水界はマーマキーとされる。
 火はパーンダラーとなされ、風はターラーと称される。

松長有慶『秘密集会タントラ和訳』法蔵館、太字引用者

 ローチャナーとマーマキーとパーンダラーとターラーは、『秘密集会タントラ』の曼荼羅で描かれる四仏母です。つまり、五仏は五蘊を象徴し、四仏母は四大種(地・水・火・風)を象徴していると言ってのけているのです。

 このような思想は、中期密教までの密教にはほとんど見られなかったものです。中期密教にも、仏の知慧や身体などの聖なるものを、尊格や文字によって象徴するという考え方はありました。例えば、第30回で述べたように『金剛頂経』では、毘盧遮那如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来という五仏はそれぞれ、法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智という智慧を象徴していました。また、先ほど紹介した『大日経』に基づく五字厳身観も、聖なる文字を「自分」の身体に配置して、「自分」と仏が“ 本来的に”仏と同一であることを体得しようとするものでした。これらは、聖なるものを尊格や文字で象徴するという考え方です。

 ところが『秘密集会タントラ』では、曼荼羅に描かれる尊格たちは、智慧や仏身などの聖なる領域に属するものを象徴するだけではありません。我々衆生を構成する要素である五蘊や、物質世界を構成する四大種といった、俗なる領域に属するものをも象徴しているとされるのです。色・受・想・行・識といった、修行者の身体を構成する要素や、元々仏教で「覚り」を得るために制御され斥けられるべきだとされてきた俗なる心のはたらきまでもが、曼荼羅の尊格によって象徴されるようになったのです。これは後期密教における新たな展開です。後期密教の曼荼羅に描かれる仏格たちは言わば、聖なる存在であると同時に俗なる存在でもあります。後期密教の曼荼羅は、聖なるものと俗なるものが同時に顕現する場なのです。

 そういうわけで、第八分には次のようにあります。

 両乳首の間と、頭頂の先端と、中間と、足と[腿]の間に、儀軌を知る者は布置すべし。
 臍と腰と秘所に、諸仏子の五部族の布置をなすべし。

同前

 己の身体を構成する要素が“即”五仏である。だから、己の身体の各部を象徴する尊格たちを身体に配置する瞑想法を通じて、五蘊が“即”五仏であることを体得せよ。そのような論理であるわけです。

 前回も述べたように後期密教では、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という初期大乗の頃から説かれていた思想が特定の方向に突き詰められた結果、俗なる世界と「覚り」の世界の距離が圧縮され、今生で仏になることが可能だと明言されるに至りました。俗なる世界と「覚り」の世界の距離が非常に小さいわけです。後期密教のこのような方向性が曼荼羅にも反映されているわけです。

 さて、ここで『秘密集会タントラ』の曼荼羅の一例として、ジュニャーナパーダ流のものを見てみましょう。先ほど申し上げたように、ジュニャーナパーダ流では根本十三尊に、六金剛女(女性の菩薩)を加えた十九尊の曼荼羅を用います。

『秘密集会タントラ』ジュニャーナパーダ流十九尊曼荼羅

 画像が小さくて見えづらいかもしれませんが、ここに描かれている十九尊は、パートナーを抱いた男女合体尊です。(チベットではこのような男女合体尊の形態をヤブユム(父母仏)と呼びます。ヤブユムについてはまた後で触れます)。現在のチベットで見られる作例でも、六金剛女はそれぞれ、配偶者の六大菩薩を抱擁した姿で描かれることが多いです(この六大菩薩については十九尊にはカウントしないのが通例になっています)。この場合、五仏は五蘊を、四仏母は四大を、六大菩薩は眼・耳・鼻・舌・身・意の六根( 六つの感覚器官)を、六金剛女は色・声・香・味・触・法の六境(六つの感覚の対象) を象徴するとされます(六根六境については第4回で説明しました)。第4回で述べたように、六根六境(十二処)は古くから仏教で説かれている教えで、人間が認識したり考えたりする「もの」や「こと」をすべて網羅したものです。ですので『秘密集会タントラ』は、限られた数の仏格で、我々が経験する世界のすべてを象徴する曼荼羅を構築したことになります(なお、四忿怒尊は、それぞれ右手・左手・口・生殖器を象徴しています。つまり、忿怒尊たちは手足などの行為器官とそのはたらきを象徴していることになります)。

象徴(尊格)と象徴されるもの(五蘊・四大種・十二処)

 ところで、五仏は五蘊を、六大菩薩は六根を象徴しているとされるわけですが、五蘊は我々の心身を構成する要素で、六根は感覚器官です。「主体」と「客体」という切り分けをあえて用いれば、五蘊も六根も「主体」の側に属する要素です。そして五仏と六大菩薩は男性の尊格です。よって、「主体」方面の要素は男性に割り当てられていることになります。一方、四仏母は四大を、六金剛女は六境を象徴しており、これらは「客体」の側に属する要素です。そして、四仏母も六金剛女も女性です。「客体」面の要素は女性に割り当てられているわけです。

「主体と客体」というのは人間が恣意的に打ち立てた二元対立的な「分別」に過ぎず、「覚り」の世界では「主体」も「客体」も空なる「もの」であるーーこれは密教に限らず仏教で説かれてきた思想です。そして前回申し上げたように後期密教は、「般若は女性であり、方便は男性である」というテーゼを、男女の合一によって般若と方便が合一し、「覚り」が生まれるという方向で解釈しました。つまり、性的ヨーガを通じて般若と方便が合一し、「主体」と「客体」が不二である境地に至るというわけです。『秘密集会タントラ』の曼荼羅では、そのような思想が象徴的に表現されていることになります。

 六根(六つの感覚器官)を象徴する六大菩薩(男性)と、六境(六つの感覚の対象)を象徴する六金剛女(女性)が抱擁した姿で描かれているのも、こういう思想的な背景があってのことです。六根と六境は不二であり、主体と客体は不二であるという思想を象徴的に描いたものだったわけです。

 このように、『秘密集会タントラ』の曼荼羅は、限られた数の尊格に対して、五蘊や四大種などの仏教の概念を秩序立てて当てはめて、世界のすべてを説明しようとした優れたものだったので、この方向性はその後も継承され発展していくことになります。第30回で述べたことの繰り返しになるようですが、曼荼羅には以上のような非常に理論的で秩序だった面があるということは、強調しておきたいと思います。

恐るべきイダムたち

 さて、前回も申し上げましたが、『秘密集会タントラ』は父タントラと呼ばれる系統のタントラです。父タントラとは異なる流れとして、『ヘーヴァジュラ・タントラ』や『チャクラサンヴァラ・タントラ』などの母タントラと呼ばれる系統もあります。そこで今度は母タントラ系の曼荼羅も見てみたいところですが、その前に少しだけ寄り道をして、チベットでイダム(守護尊)と呼ばれている尊格について触れたいと思います。

 イダム(守護尊)は、後期密教のタントラで中心的な役割を果たす尊格です。先ほども触れましたが、後期密教の曼荼羅で真ん中に描かれているのは大日如来ではなく、この守護尊が描かれていたりします。厳密に言うと「イダム」というのはチベットでの呼称で、日本では「イダム」に「守護尊」という訳語を当てることが多いですが、サンスクリット語には「イダム」に厳密に対応する用語は見つからないようです。とはいえ「守護尊」や「イダム」に代わる適切な用語も見当たらないので、この雑文ではこの用語を便宜的に用いることにします。

 百聞は一見に如かずということで、具体例をあげましょう。これはヴァジュラバイラヴァという、父タントラ系の代表的な守護尊の一人です。

ヴァジュラバイラヴァ

 また、母タントラ系の『ヘーヴァジュラ・タントラ』の曼荼羅では、ヘーヴァジュラという尊格が真ん中に描かれています。

ヘーヴァジュラ

 同じく母タントラ系の流れを汲んだサンヴァラ系統の曼荼羅でも、チベットでチャクラサンヴァラと呼ばれる尊格が真ん中に描かれます。

チャクラサンヴァラ

 そういうわけで『ヘーヴァジュラ・タントラ』とか『チャクラサンヴァラ・タントラ』といったタイトルは、タントラの中心となる尊格の名前をタイトルにしたものだったわけです。ヘーヴァジュラやチャクラサンヴァラなど、母タントラ系で中心的な役割を果たす尊格は、ヘールカと呼ばれています。

 さて、いかがでしょうか。呆れる方、唖然とする方、ラスボスか何かかと思う方、「仏教とはいったい……うごごご!!」となる方もおられるかもしれません。この異様な姿は、現代人が見てもかなりインパクトがあります。

 見てのとおり、守護尊は恐ろしい表情をしていたり、顔や腕がいっぱいあったりすることが多いです。ヘーヴァジュラは手という手にカパーラと呼ばれる杯をいっぱい持っています。カパーラは人間の頭蓋骨でできていて、そのなかには血があふれんばかりに入っています。チャクラサンヴァラはチャクラサンヴァラで、ヒンドゥー教の神様たちを踏みつけ、左手には血であふれたカパーラや梵天の首を持ち、ドクロの髪飾りをしています。

 なお、後期密教ではこのように妃を抱いたり、露骨に性交のポーズをとる男女合体尊が描かれるようになります。チベットではこのような形態をヤブユム(父母仏)と呼び、曼荼羅に描かれる仏格たちは、曼荼羅の中心に描かれるヤブユムによって生まれると説明しています。ちなみにチベットでは現在でも、一般信徒が参拝する場所では、このようなヤブユムの下半身には前張りがしてあって、局部が拝めないようにしてあることが多いんだそうです。

 ところで、こうした守護尊(イダム)たちはいったいどこから来たのでしょうか。結論から申し上げると守護尊は、初期密教や中期密教で説かれていた明王(忿怒尊)の発展形です。第29回で述べたように明王は、仏や菩薩が通常の手段では救いがたい衆生を救済するために怒りの姿であらわれたものだとされます。同様に、守護尊も仏や菩薩の特殊なあらわれだと考えられています。

 ここでちょっと思い出していただきたいのは、『金剛頂経』の「降三世品」に出てくる、金剛手菩薩がシヴァ神をSATSUGAIして強制的に仏教に帰依させたというエピソードです(第29回で触れました)。第29回でも言いましたが、降三世明王は金剛手菩薩のあらわれだとされます。降三世明王は、ヒンドゥー教の神々のなかでも特に強力なシヴァ神を調伏し、仏教に強制的に従わせるパワーがあると考えられていたのです。

 これはほかの明王も同様で、明王にはヒンドゥー教の神々を調伏するパワーがあるとされます。例えば、例えば、軍荼利明王という日本でもなじみのある明王は、元々はガネーシャというヒンドゥー教の神様を調伏する明王です。軍荼利明王はチベットやネパールではヴィグナーンタカと呼ばれていて、ネパールでは今日でも、ヴィグナーンタカがガネーシャを踏みつけている図像を見ることができます。

ヴィグナーンタカ
ガネーシャ

 ちなみに日本には、歓喜天という神様を祀っているお寺では、歓喜天の悪いはたらきを封じるためだと称して、軍荼利明王を一緒に祀る風習があります。この歓喜天というのは、ガネーシャと起源を同じくする神様です。これは、軍荼利明王が元々はガネーシャを調伏する明王だったことの名残です。

 同様に、大威徳明王という日本でもよく知られた明王は、ヤマというヒンドゥー教の神様を調伏するために文殊菩薩が明王の姿であらわれたものだとされています。大威徳明王はサンスクリット語で「ヤマーンタカ」と言います。「ヤマを降伏させる者」という意味です。ヤマは死者の王者とされる神様で、仏教に取り入れられて、中国で閻魔と漢訳されました。これが皆さんもご存知の閻魔大王です。ちなみに、ヤマはインド最古の文献である『リグ・ヴェーダ』に早くも登場しているんですが、『リグ・ヴェーダ』の時点では日本の閻魔のイメージとは全く異なる存在でした。『リグ・ヴェーダ』によれば、死後の世界であるヤマの王国は天界にあって、その王国は食べ物も飲み物も豊富で、地上では得がたい快楽に満ちているんだそうです。ここではヤマは死者を裁いたりしないし、恐ろしい神様でもありませんでした。ヤマが生前悪行をなした死者を裁く恐ろしい神様だと考えられるようになっていったのは、後世のことです。

 さて、先ほど述べたように、これら明王(忿怒尊)が後期密教で発展したのがイダムです。例えば、先ほど紹介した父タントラ系のイダムであるヴァジュラバイラヴァは、大威徳明王の発展形です。一方、先ほど申し上げたように、母タントラ系のヘーヴァジュラやチャクラサンヴァラは、ヘールカと呼ばれるイダムです。このヘールカというのは、結論から言えば降三世明王の発展形です。

 ヘールカについて理解するには、当時のヒンドゥー教の動向に目を向ける必要があります。密教が展開していった時代のヒンドゥー教では、シャクティ信仰と呼ばれる動きが盛んになっていました。ヒンドゥー教では、シヴァ神には女神パールヴァティー、ヴィシュヌ神には女神ラクシュミーといった具合に、男性の神様には妻がいて、夫に劣らないほどの信仰を集めています。シャクティ信仰というのは、「男神(特にシヴァ神)の力の源は、妻の女神が持っているシャクティ(性的エネルギー)だ。シャクティは宇宙の原理であり、シャクティと合一することで解脱することができる」と考え、女神をシャクティとして崇拝するものです。このような女神は「マートリ」とか「マートリカー」と呼ばれ、漢訳仏典では「母天」と訳されています。母天は『大日経』に登場しており、いわゆる中期密教の時代にはすでに仏教に取り込まれています。

 ところで、『金剛頂経』の「降三世品」では、降三世明王がシヴァ神をSATSUGAIして強制的に仏教に帰依させる場面のすぐ後に、金剛界二十天と呼ばれる二十人のヒンドゥー教の神様を引き寄せる真言と、彼らの妻にあたる二十人の母天を引き寄せる真言が説かれています。そして、この二十人の母天を引き寄せる際に説かれる真言が、ヘールカの真言なのです。どういうことかというと、ヘールカは元を辿れば、降三世明王の変化形態として、ヒンドゥー教の女神たちを従わせる役割を担っていた尊格だと考えられるのです。ヘールカはそういう文脈で密教の歴史に登場し、母タントラにおいて大いに発展してヘーヴァジュラやチャクラサンヴァラが生み出されていったと考えられるわけです。そういうわけで母タントラ系のイダムも、明王(忿怒尊)の発展形だと考えられるのです。

母タントラの曼荼羅

 さて、イダム(守護尊)についてはいったんこれくらいにして、母タントラの曼荼羅も見てみましょう。母タントラは数が多いので、その曼荼羅すべてを見ていくことはできません。ここでは二つほど例をあげることにします。まず、『ヘーヴァジュラ・タントラ』の曼荼羅はいろいろ種類があり、流派によって違いがあったりもしますが、チベットで圧倒的に流行したのは九尊曼荼羅と呼ばれる系統のものです。

ヘーヴァジュラ九尊曼荼羅

 このように、真ん中にヘーヴァジュラとその妃のナイラートマーをヤブユムの姿で描いて、その周りに8人の女神を描くというものです。この九尊は、『秘密集会タントラ』の五仏と四仏母と同様のはたらきをすると解釈されています。

 次に、『サンヴァラ・タントラ』の曼荼羅も見てみましょう。『サンヴァラ・タントラ』は単一のタントラではなく、サンヴァラ系と呼ばれるタントラ群の総称です(『般若経』が単一の経典ではなく、『八千頌般若』や『二万五千頌般若』や『理趣経』などのいろんな経典の総称であるのと同じことです)。ですので一口にサンヴァラ系といってもいろいろなんですが、ここではひとまず、サンヴァラ六十二尊曼荼羅と呼ばれるものを取り上げたいと思います。サンヴァラ六十二尊曼荼羅の構図は次のようになっています。

サンヴァラ六十二尊曼荼羅

 サンヴァラ六十二尊曼荼羅は同心円構造をしており、5つの層で構成されています。5つの層は内側から順に、大楽輪・意密輪・口密輪・身密輪・三眛耶輪と呼ばれています。

サンヴァラ六十二尊曼荼羅の構図

 内側から見てみましょう。真ん中にチャクラサンヴァラ(①)が描かれ、その上下左右に女神(②~⑤)が配置されています。この部分が大楽輪です。大楽輪の中心に描かれるチャクラサンヴァラは、妃のヴァジュラ・ヴァーラーヒーを抱いたヤブユムの姿で描かれます。大楽輪は、先ほど紹介した『ヘーヴァジュラ・タントラ』の九尊曼荼羅に相当します。ただしサンヴァラ六十二尊曼荼羅では、チャクラサンヴァラの上下左右には女神(②~⑤)が配置されるものの、左上・右上・左下・右下には尊格は配置されません。その代わりに左上・右上・左下・右下には、カパーラが配置されています。カパーラのなかには、人間の血や精液といった、いかにも後期密教らしい供物が入っています。

 次に、大楽輪の外側にある3つの輪が意密輪・口密輪・身密輪です。これは三密輪と呼ばれており、身・口・意の三密を象徴しています。つまり、青い部分が意密輪(⑥~⑬)、その外側の赤い部分が口密輪(⑭~㉑)、さらに外側の白い部分が身密輪(㉒~㉙)です。身密輪の外側が三昧耶輪です(㉚~㊲)。以上の37体の尊格のうち、⑥~㉙の24体と①のチャクラサンヴァラはヤブユムで描かれますから、ヤブユムは合計25体です。よってこの曼荼羅は、ヤブユムは一人としてカウントすれば合計37、二人としてカウントすれば37+25で合計62の尊格から構成されていることになります。そういうわけで六十二尊曼荼羅と呼ぶわけです。

 この37という数は、三十七菩提分法を象徴しています。三十七菩提分法というのは、古い時代の仏教から説かれていた37の修行法のことです。具体的に言うと、四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の合計37です(詳しい内容が気になるという方はググって下さい)。また、この37という数は、第30回で紹介した金剛界曼荼羅の基本パターンの尊格数でもあります。つまり、金剛界曼荼羅の流れを継承しているわけです。なお、三密輪に描かれる合計24の尊格は、インドとその周辺の地域に実在したとされる24の聖地を象徴しているとされます。この24の聖地は、ヒンドゥー教で説かれる聖地とかなり重なっています。ここでも例のごとく、ヒンドゥー教の要素を取り込んで換骨奪胎するということが行われているわけです。ともあれ、この曼荼羅でもやはり、教義上の概念が尊格によって象徴的に表現されていることになります。

種子と五相成身観の変容――単性生殖から両性生殖へ

 さて、今度は後期密教で開発された瞑想法についても見てみましょう。既に申し上げたように、インド密教がなにゆえ性的ヨーガを導入していったのかはよくわかっていないようです。しかし、インド密教が瞑想法に性的要素を導入していった背景にある文脈については、ある程度は辿ることが可能な部分もあります。ここではそういった背景も含めて見てみたいと思います。

 まず、先ほども述べたように密教で、は尊格などの聖なる要素を「推しマーク」、もとい種子一字で象徴的に表現することがあります。8世紀頃のブッダグヒヤという人が書いた『大日経広釈』という『大日経』の注釈書は、種子についてこう説いています(ここもよくわからなければいったん読み飛ばしてしまっても大丈夫です)。

 勝義●●の教示はそのa字門から真如が教示されたのである。世俗●●としての教示は、そのa字より大丈夫の三十二相の出生として教示され、およそ「百字の自性を成就する章(百字成就持誦品)」の中に、この諸々のaよりkaなど三十二に細分されて説かれ、その三十二などがまた、
  「大丈夫の三十二相として見よ」
と出ているからである。

北村太道訳『全訳 ブッダグヒヤ 大日経広釈』起信書房、2020年、pp.186-187、傍点原文

 また『大日経広釈』では、『大日経』の「阿闍梨真実智品」を注釈した箇所で次のようにも言っています。

 胸に心真言を布置して、諸支分に支分を布置すべしとは、胸にa字を布置し、諸支分にkaなどの諸種字を、後出の[「布置品」の]
  「kaは喉にと知るべし」
云々の順序で布置するということである。

同前、p.322

 ここで言及されている「布置品」を注釈した箇所を見てみると、こうあります。

「字を布置する章」が仰せられることは、前の(阿闍梨真実智品)に
  「諸支分に支分を布置すべし」
と総じて述べられた。それについて、kaなどの諸支分を身体のそれぞれの支分に布置する場所の教授を仰せられたのである。この三十二字などの布置は、大丈夫の三十二相に関係づけられるものである。

同前、p.327

 これらの箇所で説かれているのは、仏を象徴する種子であるa字(「推しマーク」です)から、kaなどの32の文字が生まれるという教えと、その32字を修行者の身体に配置する布字観と呼ばれる瞑想法です。また、ここに出てくる「大丈夫」というのは仏教用語で仏のことです。よって、「大丈夫の三十二相」というのは「仏の三十二相」と言い換えることができます。ゆえにこれらの一節は、32の文字は仏の三十二相を象徴しているのだと説いていることになります。

 仏の三十二相というのは何かというと、仏教では古い時代から、仏になった者は、三十二相八十種好という常人にはない身体的特徴を備えることになると言われていました。例えば、我々が日本で見かける仏像は、パンチパーマみたいな髪型をしていますね。あれは毛上向相という三十二相のうちの一つです(仏の三十二相八十種好を全部列挙していると長くなるので、気になるという方はググって下さい)。ともあれこの瞑想は、仏の身体的特徴を象徴する字を修行者の身体に配置するものだということになります。ですので、自らの身体は仏の身体と“本来的に”異ならないことを観てとるものだと言えます。

 次に、第30回で申し上げたように『金剛頂経』では、五相成身観という修行法が説かれていました。五相成身観の五段階は次のとおりです。

①通達菩提心 ②修菩提心 ③成金剛心 ④証金剛身 ⑤仏身円満

 ①の通達菩提心では、胸のなかに月輪(輪のように丸い満月)を思い浮かべます。密教では、満月は清らかな菩提心(「覚り」を求める心)の象徴だとされます。『金剛頂経』を見ると、一切義成就菩薩はこの通達菩提心の段階を経た後に、「いま、わたしの胸のあたり[自心]に、月の輪のような形が見えます」と言っています。 

 ②の修菩提心の段階では、この月輪がはっきりとした形になります。一切義成就菩薩は「月の輪の形のように見えていたものは、いま、月輪であるとはっきりと確認することができます」と言っています。

 ③の成金剛心では、月輪のなかに金剛杵を思い浮かべます。そして④の証金剛身や⑤の仏身円満は、一切如来が修行者のなかに入ってきて、修行者と一切如来の三密が一体となる段階です。

 五相成身観が以上のようなものであることは既に述べました。ところが、『金剛頂経』の少し後に成立した『金剛頂タントラ』という密教文献(『金剛頂経』の内容を解説したものです)を見ると、①の通達菩提心で出現するぼんやりした月輪のような形の内部に、②の修菩提心で出現する第二の月輪を思い浮かべよと説かれています。そして、この『金剛頂タントラ』の説を発展させた『秘密相経』ではさらに、①の通達菩提心で出現する第一の月輪のなかに、Aをはじめとするサンスクリットの16個の母音の字を思い浮かべて、②修菩提心で出現する第二の月輪のなかには、kaをはじめとする34個の子音の字を思い浮かべよと説いています。

 要は月輪のなかに「推しマーク」、もとい梵字を思い浮かべよというわけです。実は、この母音字と子音字の観想は、五相成身観に性的要素を導入していく最初の一歩になったのです。というのも、『ヘーヴァジュラ・タントラ』「第一儀跡」の第8章には、次のような箇所があるのです。

 Aをはじめとする[母音]は月の姿で住し、太陽はKaをはじめとする[子音]の姿で[住する]。
 月と太陽の二者の会合によって、ガウリー等[の女神たちが生まれるといわれる。月は大円鏡智を有し、八頭立ての馬車[に乗る太陽は]平等性智を具す。
 本尊の種字と標幟(シンボル)は妙観察智と言われる。[それら]すべてが一つ[になるの]は成所作智であり、[仏の]姿が完成するのが清浄法界[智]である。
 賢者は、説かれた儀軌通りに五相を修行すべし。

田中公明『性と死の密教』春秋社、1997年、p.93,95

 この箇所は、五相成身観を説いたものだとされています。まず、ここに出てくる「月」というのは、①の通達菩提心で出現する第一の月輪に当たると考えられます。この月輪にはAをはじめとする母音字が配置されます。この点は『秘密相経』と同じです。次に、Kaをはじめとする子音字を「太陽」に配置すると説いています。この太陽というのは、『秘密相経』で説かれていた第二の月輪を日輪(太陽)へと改変したものだと考えられます。

 そして「標幟」というのは、③成金剛心で出てくる金剛杵に当たります。これらすべてが一体になるのが『金剛頂経』の④証金剛身の段階に当たり、仏の姿が完成するのが⑤の仏身円満の段階に当たるということになります。ところで、第30回で申し上げたように『金剛頂経』では、毘盧遮那如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来という五仏はそれぞれ、法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智という智慧を象徴していました。『ヘーヴァジュラ・タントラ』では、この五智が、五相成身観の各段階に割り当てられており、最終的に仏の姿が完成する清浄法界智に至ると説かれていると解釈できます。

『金剛頂タントラ』や『秘密相経』や『ヘーヴァジュラ・タントラ』に見られる五相成身観の変容を超駆け足で辿ってみました。ざっくりまとめると、五相成身観が徐々に改変され、第2の月輪が日輪に変化し、月輪には母音字が、日輪には子音字が配置されるようになっていく流れがあったわけです。この問題をもう少し詰めてみましょう。『サマーヨーガ・タントラ』という、母タントラ系統の後期密教の源流となった文献があるんですが、そこにも母音字と子音字を配置する瞑想法が出てきます(『サマーヨーガ・タントラ』続々タントラ第19章)。そこでは、子音字を均等に配置し、月輪の中央にA字などの母音字を配置せよとしたうえで、次のように言っています。

 中央に金剛の性質を有する不変のA字を修習せよ。その[さらに]中心に、大貪欲の大楽[金剛薩埵]を[修習せよ]。(第十九章、第七偈)
 そこから動(生物)と不動(自然)のすべてが生じるゆえ、これこそ一切の仏の、仏の影像と呼ばれるものである。(第十九章、第八偈) 

同前、p.87

 これはどういうことかというと、母音字と子音字の組み合わせによって多様なコトバが生まれるように、大いなる性欲を持った金剛手菩薩(大貪欲の大楽[金剛薩埵])とその妃の性行為によって、(曼荼羅によって象徴される)多様極まりないこの世のすべてが生まれるということです。母音字と子音字の組み合わせという象徴によって、それを表現しているのです。月輪に種子を配置する瞑想は、仏とその妃からこの世のすべてが生み出されるのをシミュレートしようとするものなのです。あえて現代風に言うなら、父親の精子と母親の卵子に含まれる遺伝子の組み合わせの違い(母音字と子音字の組み合わせの違い)によって、多種多様な子供が生まれるのと同じようなものでしょうか。

 話をまとめてみましょう。『大日経広釈』は、大日如来を象徴するa字からka字などの32字が生まれ、その32字が仏の身体的特徴を象徴していると説いていました。これは、男性の仏である大日如来を象徴するaという一字からすべてが生まれるという話ですから、言わば単性生殖です。ところが母タントラの源流となった『サマーヨーガ・タントラ』では、母音字と子音字の組み合わせによってすべてが生じると説かれています。両性生殖への飛躍が起こったわけです。

 先ほど申し上げた『ヘーヴァジュラ・タントラ』に見られる五相成身観の改変も、これと同様に理解することができます。要は、母音字を配置した月輪は男性原理であり、子音字を配置した日輪は女性原理であり、両者の融合によって仏の身体が完成するという話だからです。そういうわけで、母音字と子音字の観想は、五相成身観に性的要素を導入していく最初の一歩となったのです。後期密教が性的ヨーガを導入していく流れを辿ると、以上のような文脈もあるわけです。

生起次第

 さて、それでは後期密教が開発した瞑想法の具体例を見てみましょう。後期密教の瞑想法はざっくり言うと、生起次第究竟次第の二種類が基本になっています。

 まず生起次第は、修行者が曼荼羅の尊格たちを次々に思い浮かべて、曼荼羅が生成される過程を観想し、それと一体になる瞑想法です。修行者が曼荼羅の中心に描かれるヤブユムになりきって一体化し、パートナーとともに曼荼羅に描かれる尊格たちを生み出すプロセスを追体験するということが行われます。生起次第は、後期密教以前から行われていた曼荼羅瞑想法が発展したもので、その延長線上にあります。いわゆる中期密教の時代までの曼荼羅瞑想法は日本にも伝わっていますから、生起次第は日本密教で行われる曼荼羅瞑想法とも共通点がいろいろあります。ただし、曼荼羅の中心となる尊格と妃による曼荼羅の出生といったような性的要素が加わっている点では、従来の瞑想法と異なっています。

 一方、究竟次第というのは、後期密教が新たに開発していった瞑想法であり、日本密教にはなじみのないものです。究竟次第は、経典や流派によってかなりの違いがあります。ただ、ざっくりした傾向としては、父タントラ系統では主に、人間の死のプロセスをシミュレートして、死を解脱へと転化しようとする瞑想法が中心となります。このことを指して、父タントラは「空」を中心とすると言います。一方、母タントラ系統では主に、性快感を極限まで高めて、至高の快楽という形で仏の究極の智慧を体得しようとする瞑想法が中心になります。そのため、母タントラは「楽」を中心とすると言われています。

 まず、生起次第の一例を見てみましょう。『秘密集会タントラ』の解釈学派であるジュニャーナパーダ流の文献に、『小口伝書』というものがあります。そこで説かれる生起次第では面白いことに、曼荼羅を用いた瞑想法を十二支縁起と結びつけています。ここには、最初に紹介した『倶舎論』で説かれる中有のガンダルヴァや、三世両重の因果説などが絡んでくるのです。どういうものなのか順を追って見てみましょう。

 まず、「三真実」と呼ばれる白色のオーン、赤色のアーハ、青黒色のフーンの3つの種子が、虚空から修行者自身の口に入るのを観想します。オーン字は毘廬遮那仏を、アーハ字は阿弥陀仏を、フーン字は阿閦仏を象徴しており、それぞれ仏の三密(身・口・意)の象徴でもあります。同時に、白いオーン字は精液を、赤いアーハ字は経血を象徴し、青黒いフーン字は胎内へと取り込まれるガンダルヴァ、すなわち中有の死者を象徴しています。そして修行者は真言を唱えつつ、いかなる「もの」にも実体がないと思念します。以上のプロセスが、十二支縁起で言う「無明」の段階に当たるとされます。

 その次に、修行者の口に入った種子が月輪に変化したり、尊格たちが入ることになる曼荼羅の楼閣が現れたりする段階があります。これが十二支縁起の「行」の段階です。

 それから、尊格たちが座るための月輪と日輪を思い浮かべます(先ほど申し上げたように、『秘密集会タントラ』の曼荼羅は、ジュニャーナパーダ流では19の仏格で構成されますので、月輪と日輪の数も合計19です。例外はあるのですが、基本的には日輪には男性の仏格が座り、月輪には女性の仏格が座ります)。次に、中央の月輪の上にさらに二つの月輪を思い浮かべます。このうち左の月輪のうえには白色の母音字たちを思い浮かべ、右の月輪には赤色の子音字たちを思い浮かべます(さっきと同じような話になってきましたね)。二つの月輪が、子供(曼荼羅に描かれる尊格)を生み出す男性原理と女性原理をそれぞれ象徴していることは、もはや言うまでもないでしょう。

 この二つの月輪のあいだに、火あるいは熱エネルギーを象徴するラン字を思い浮かべます。ラン字によって二つの月輪が溶けあい、そこから放たれた光からフーン字が生じ、フーン字から金剛杵が生じ、さらに金剛杵が変化して、三十二相八十種好を備えた持金剛仏の身体が完成するのを観想します。この持金剛仏は、曼荼羅のすべての尊格を生み出す基盤となります。

 次に、金剛界自在母という女性の尊格を思い浮かべます。そして、金剛界自在母が修行者の口から体内に入って尿道から出て行き、宇宙大の大きさの女性器の形になると観想します。それから、曼荼羅に描かれる仏母と金剛女たちも、次々に修行者の体内から尿道を通って女性器のなかに放出されると観想し、曼荼羅に描かれるすべての尊格を生み出します。以上が、十二支縁起の「識」の段階に当たるとされます。ここでは、曼荼羅に描かれる尊格たちが生み出されるプロセスが、性行為による受胎になぞらえているわけです。ところで、『倶舎論』で説かれる三世両重の因果説では、十二支縁起における「無明」と「行」は前世の話で、「識」はガンダルヴァが子宮に受胎して現世の生が始まる瞬間だとされていました。つまりこれは、曼荼羅に描かれる尊格たちの誕生が、十二支縁起のプロセスにおける衆生の誕生と対応しているという考え方なのです。

 次の段階では、これまでに観想してきた尊格たちの姿をいったん消し、持金剛が物質的身体をあらわして……という具合に生起次第はまだまだ続いていくのですが、その段取りはここでは省略します。最終的に、持金剛の性的ヨーガによって文殊金剛(文殊菩薩の密教バージョンです)とその妃のマーマキーが生まれ、曼荼羅の中心に座る段階が、十二支縁起の最後の「生」と「老死」に当たるとされます。

『倶舎論』の三世両重の因果説によれば、十二支縁起の「愛」は性欲が生じてもまだ活発に追求しない段階だとされています。そして成人後、性生活も含んだ様々な活動をする段階が「取」です。その後、現世で亡くなって来世で次の母親の子宮に宿る瞬間が「生」で、それ以降が「老死」だとされていました。それに対して『小口伝書』の生起次第では、持金剛仏の性的ヨーガを「取」に当てはめ、それによって曼荼羅の中心に文殊金剛とマーマキーが生まれる段階を「生」と「老死」に当てはめました

 そもそも三世両重の因果説には、前世・現世・来世という三段階の話が含まれています。そこで『小口伝書』は、前世を終えたガンダルヴァが現世の母親の子宮に宿る段階である「識」を、持金剛仏の誕生に当てはめました。そして、現世が終わって来世の母親の子宮に宿る段階である「生」は、持金剛仏による曼荼羅の生成に当てはめたのです。衆生が受胎するプロセスを説いた三世両重の因果説を、曼荼羅の生起と結びつけて、曼荼羅を用いた瞑想法に性的要素を導入したわけです。

 ここでは、曼荼羅の中心になる主尊が行う性的ヨーガによって曼荼羅の尊格たちが生起していくプロセスが、十二支縁起のプロセスと対応するものだと捉えられているのです。『小口伝書』に説かれる性的要素を含んだ生起次第は、衆生が受胎し生まれるプロセスをシミュレートすることで成立していることになります。性的要素をも含んだ生起次第が開発されていく背景には、後期密教が十二支縁起を再解釈し改変していく流れがあると考えられるわけです。後期密教の性的ヨーガの導入は一見すると非常に突飛なものに見えますが、仏教に古くからある十二支縁起を密教風に再解釈していったものだという面もあるのです。

母タントラ系の究竟次第と四輪三脈説

 生起次第についてはいったんこれくらいにして、次は究竟次第を見てみましょう。究竟次第を理解するには、後期密教で展開していった特殊な身体観についての知識が必要になります。この身体観については、文献によって書いてあることが微妙に異なるのですが、後期密教で有力になったのは「四輪三脈説」と呼ばれるものです。

 例えば、母タントラ系の『へーヴァジュラ・タントラ』に説かれる四輪三脈説によれば、人間の身体には、頭部(眉間)・喉・心臓・臍にそれぞれ一つずつ、チャクラというものがあるんだそうです。チャクラというのは「輪」を意味することばで、後期密教で人体に設定される特殊な器官です(チャクラの場所や形については、文献によって微妙に違いがあります)。そしてこれら4つのチャクラを、3本の脈管が垂直に貫いています。まず人体の中央には、脊髄に並行してアヴァドゥーティーと呼ばれる脈管が走っているのだそうです。その左右には、ララナーラサナーと呼ばれる脈管が並行して走っているそうです。3つの脈管は並行に走っているけど、チャクラがある場所では接合していることになります。

 荒唐無稽だと思われるでしょうか。もちろん、人間の身体を解剖すればこういうものが出てくるというわけではありません。これは後期密教が展開した、物質的な身体とは異なる「宗教的な身体」とでも言うべきものです。ちなみに、チベットには後期密教が伝わっていますが、人間の身体を解剖しても目に見えるチャクラや脈管が出てくるわけではないことは、チベットの人々も知っています。チベットは鳥葬で有名ですし、鳥葬の様子を見れば、身体をかっさばいてもチャクラや脈管が出てくるわけではないことは誰でも分かることです。インドでもチベットでも、脈管が目に見える血管や食道や神経などと同一視されていたわけではおそらくないでしょう。

 どうしてもピンとこなければ、中国の鍼灸治療で用いられるツボや経絡の理論のようなものだと雑に思っておいてもいいかもしれません。ツボや経絡の理論は近代以降、非科学的な迷信だと言われることもあれば、近代科学の立場から再評価しようとする動きもあります。

 究竟次第を説いたテキストには、ある方法で効果があらわれなかった場合はこうせよとか、副作用が生じたらこうせよといった具合に、様々なケースごとに具体的な対応策がこと細かに書かれています。身体に具体的な効果をもたらしており、そのすべてを直ちに迷信だとは言い切れることはできません。こういう身体論も将来的に何らかの形で再評価される動きが出てくるかもしれません。出てこないかもしれません。そのあたりはわかりません。

 さて、我々の目に見える血管に血が流れているのと同じように、脈管には血液や精液などが流れているとされます。例えば、母タントラ系の『へーヴァジュラ・タントラ』「第一儀軌」第1章には、ララナーは「阿閦如来」を運び、ラサナーは「赤」を運び、中央のアヴァドゥーティーは「般若と月」を運ぶとあります。「阿閦如来」は精液、「赤」は血液、「般若と月」は精液と血液の混合物だと解釈されています。ただし、脈管の内容物については諸説あり、文献や流派によって異なっています。例えば、父タントラ系の『秘密集会タントラ』を解釈する流派である聖者流では、中央脈管は空っぽで、残りの2つには「風」と呼ばれる「生命エネルギー」が流れているのだとされます(「風」については後で説明します)。ちなみに、『へーヴァジュラ・タントラ』では精液のことを「菩提心」と呼んでいます。ですので、精液を放出することは「覚り」を求める心を捨て去るのと同じだと見なされました。よって究竟次第では射精がタブーとされ、修行者は覚醒中はもちろんのこと、寝ている間も夢精を防ぐ努力をすることになったなどという、なんともコメントしづらい話もあります(もっとも最近の研究によると、後期密教の黎明期の一時期は、射精は必ずしもタブーとされていなかったようです)。

 ともあれ、母タントラ系の究竟次第では、以上のような身体観に基づいて性快感を極限まで高め、至高の快楽という形で仏の究極の智慧を体得しようとする瞑想法が説かれています。そのため、母タントラは「楽」を中心とすると言われています。具体的には、射精を抑えながら脈管の下端、すなわち生殖器の基底部に生じた快感を、次第に上のチャクラへと上昇させるテクニックが用いられます。そうすると、下のチャクラで発生した快感が高められて次第に上のチャクラへと波及していき、①歓喜・②最勝歓喜・③離喜歓喜・④倶生歓喜という四段階の快感へと高められるのだそうです。これを四歓喜と言います。ただし、逆に上のチャクラで発生した快感が、下のチャクラへと下降するという説もありました。

父タントラ系の究竟次第

仏典は死という現象をどう語ってきたか

 母タントラ系の究竟次第はこれくらいにして、父タントラ系の究竟次第も見てみましょう。先ほど述べたように、父タントラ系の究竟次第では、人間の死のプロセスをシミュレートして、死を解脱へと転化しようとする瞑想法が中心となります。そこで、本題に入る前に時計の針を戻して、密教以前の仏教文献では死という現象がどのように捉えられていたのかを少し見てみましょう。

 先ほど見たように古いパーリ経典では、「名色」というのは人間を構成する物質的要素と精神的要素のことだと説かれていました。名は精神的要素(五蘊で言うと受・想・行・識)で、色は物質的要素です。そして色(物質的要素)とは、四大種(地・水・火・風の四つの元素)と、それによって構成されるもののことだとされていました。

 一方、古いパーリ経典には、人間の死という現象を表現した定型句として、“kāyassa bhedā”というものがあります。これは「身体が壊れて後」という意味であり、地・水・火・風の四大種によって構成されつなぎとめられていた身体が、元々の四大種へとばらばらに「壊れる」ことだと解釈できます。

 このbhedaという語には、「破壊」のほかに「分離」という意味もあります。そのため後世には、このbhedaを「分離」を意味するのだと解釈する説も出現します。ヴァスバンドゥによる『縁起経釈』という論書では、「bhedaとは名身が色身から分離することだ」と説かれています。一方、先ほど申し上げたように、ヴァスバンドゥが書いた『俱舎論』に見られる十二支縁起解釈では、母親の経血と父親の精液との混合物にガンダルヴァが吸い寄せられて胎内に宿ってから、やがて六処ができあがるまでの期間が、十二支縁起の4番目の「名色」にあたるとされていました。

 そうすると「名色」というのは、前世からやってきたガンダルヴァ=名身(精神的要素)と、母親の経血と父親との精液の混合物という将来の身体=色身(物質的要素)とが、結合した状態に至った段階だということになります。この名身と色身の結合した状態は、個体が生存している間は続いていくんだけれども、死ぬときには再び分離することになるというわけです。ヴァスバンドゥは、古い時代から用いられてきたbhedaという定型句をこのように再解釈したのです。衆生が死ぬときには、受胎の際に個体を形成した要素が、受胎のときと逆の流れを辿って解体する。このような思想は、後期密教の時代に入ると再び注目されるようになります(この点については後ほど述べます)。

 密教以前の仏教文献で、人間の死という現象がどのように捉えられているかをもう少しだけ別の角度から見てみましょう。初期の唯識文献である『瑜伽師地論』には、こんな一節があります。

 又將に終らんとする時には、惡業を作りし者の識は所依に於て上分より捨す、卽ち上分より冷觸隨つて起るなり、此の如く漸く捨てて乃ち[終に]心處[心臓]に至る。善業を造りし者の、識は所依に於て下分より捨す、卽ち下分より冷觸隨ひ起り、此の如く漸く捨して、乃ち心處に至る。當に知るべし、後に識は唯心處に捨す、此れより冷觸遍く所依滿つと。

『国訳一切経 印度撰述部 瑜伽部第1巻』大東出版社

 これはどういうことかというと、人間が死ぬ際には、悪業をなした者は上半身から次第に識が離れて、身体が上の方から徐々に冷たくなっていく。逆に、善業をなした者は下半身から次第に識が離れて、身体が下の方から徐々に冷たくなっていく。そして死ぬときには、心臓から識が離れて、全身が冷たくなるのだと言っているのです。このような考え方は、後期密教にまで影響を与えていくことになります。

『瑜伽師地論』に加えてもう一つとりあげておきたいのが、『大宝積経』という大乗経典の「賢護長者会」という箇所です。この「賢護長者会」は『移識経』(『大乗顕識経』)と呼ばれ、衆生が死ぬときに識がどうなるのかを語った経典で、次のような箇所があります。

 識の遷り出ずるや、喉口及び諸の竅穴に由らず、所從を測るべき莫く、徑戸を知るべき莫きなり。
(中略)
 識は手足無く、支節・言語無けれども、法界中の念力強大なるに由り、衆生の死する時、識は此の身を棄て、識は念力の與に、來世の種と為る。卽ち識を離れては法界を得ず、法界を離れては亦識を得ず。識は風大、微妙の念界、受界・法界と和合して遷るなり。

『国訳一切経 印度撰述部 寶積部第7巻』大東出版社

 ここでは、衆生が死ぬ際には、識が「風大」(物質的要素としての風)と「微妙の念界」(潜在的な記憶)と「受界」(感受)と法界を伴って次の生へと向かうと説かれています。また、識の移動は、口をはじめとする身体の穴から出ていくわけではなく、その経路を知ることはできないとも言っています。衆生が死ぬ際は、識と一緒に「風」もついていく。この思想は、後ほど述べるように後期密教の時代に大きく発展することになります、実際、『行合集灯』という後期密教文献は、死亡時の識の移動について説く際に、この『移識経』を典拠として何度も引用しています。

「風」の退失と死の問題

 さて、やや前フリが長くなりましたが、父タントラ系の究竟次第について見ていきましょう。先ほど申し上げたように、父タントラ系の『秘密集会タントラ』を解釈する流派である聖者流の四輪三脈説では、中央脈管は空っぽで、残りの2つには「風」と呼ばれる「生命エネルギー」が流れているのだとされます。インドには古い時代から、呼吸を生命の根源だと考える思想がありました。「自我」を意味する「アートマン」という語も、「呼吸する」という動詞から派生したと言われています。「風」というのは、そのような「生命エネルギー」のことです。そこで、修行者が特殊な身体技法を用いて、脈管が接合している場所(先ほど申し上げたようにチャクラがある場所です)を緩めて「風」を中央脈管に流し込むと、生命活動が収束するのだそうです。父タントラ系の究竟次第では、そうやって人間の死のプロセスをシミュレートして、死を解脱へと転化しようとする瞑想法が中心となります。
 
 なお、後期密教で説かれる「風」には種類があって、重要なのは①プラーナ・②アパーナ・③サマーナ・④ウダーナ・⑤ヴィヤーナの5つです。これらは「根本の五風」と呼ばれています。このなかで、死のプロセスにおいて特に重要な役割を果たすのが①のプラーナと⑤のヴィヤーナです。まず、⑤のヴィヤーナは、死亡時以外は移動しないと考えられていました。逆に言うと、ヴィヤーナが運動を始めると死に至るのであり、死亡時に昏睡状態になるのも、ヴィヤーナが所定の位置から退失するからであると考えられました。

 ヴィヤーナが退失すると、体内のすべての「風」は左右の脈管へと集まり、さらに左右の脈管から中央の脈管へと収束し始めます。そうやって「根本の五風」が所定の位置から退失すると、身体に変調が生じます。②のアパーナが退失すると大小便が垂れ流しになり、③のサマーナが退失すると食べ物が消化できなくなり、①のプラーナが退失すると意識が朦朧として、④のウダーナが退失すると、食べ物が吐き出せなくなり、⑤のヴィヤーナが退失すると、身体に水腫ができるんだそうです。そしてすべての「風」が心臓のチャクラに収束すると、識が「風」に乗って体外に出る。これが死だと言うのです。ちなみに、識と一緒に体外に出る「風」は、プラーナだとする説もあればヴィヤーナだとする説などがあり、文献によって異なっています。後世のチベットでは最終的に、微細なプラーナだけが識と一緒に出ていくというのが定説とされるようになるのですが、必ずしもインド仏教でそのように説かれていたわけではありません。

 ともあれ、「風」が心臓へと収束するという思想は『瑜伽師地論』の説を継承しており、「風」が識と一緒に体外に出ていくという思想は、『大乗顕識経』の説を継承していると考えられます。後期密教には、一見すると非常に特異な内容が含まれていますが、このように仏教思想史の文脈に跡づけることが可能な部分はあるわけです。

「五相」のヴィジョン――四大と識の解体

 さて、父タントラ系の究竟次第について考えるうえで押さえておく必要があるのが、『秘密集会タントラ』の第18分に出てくる次のような一節です。 

 兆相は五種であると、菩提金剛は仰せられた。
 第一は陽焔相(mārīcikākāra)であり、第二は煙相(dhūmrākāra)である。
 第三は蛍光相(khadyotākāra)であり、第四は灯似焔相(dīpavajjvala)である。
 第五は雲のない、虚空のような常顕明相(sadāloka)である。 

松長有慶『秘密集会タントラ和訳』法蔵館

 これはどういうことかというと、瞑想の深まりにつれて、①陽焔相・②煙相・③蛍光相・④灯似焔相・⑤常顕明相という五相(5つのヴィジョン)があらわれるということです。『秘密集会タントラ』の本文には、この五相に関する具体的な教理上の説明はありません。その後『秘密集会タントラ』の系統が発展し、聖者流やジュニャーナパーダ流などの流派が成立すると、この一節は人間の死のプロセスと結びつける形で解釈されていくことになります。

 例えば、ジュニャーナパーダ流の基本テキストである『大口伝書』では、地が壊れると①の陽焔相があらわれ、水が壊れると②の煙相、火が壊れると③の蛍光相、風が壊れると④の灯似焔相があらわれ、最後に識が壊れると虚空のような常顕明相があらわれるのだと説いています。ところで、先ほど申し上げたように古いパーリ経典には、人間の死というのは地・水・火・風の四大種によって構成されつなぎとめられていた身体が、元々の四大種へとばらばらに「壊れる」ことだという思想が見られます。また、ヴァスバンドゥの『縁起経釈』には、名身(精神的要素)と色身(物質的要素)の結合した状態は、個体が生存している間は続いていくんだけれども、死ぬときには再び分離することになるという思想が説かれていました。つまりジュニャーナパーダ流の『大口伝書』は五相のうちの①~④を、人間の死のプロセスである四大の解体と結びつけて、⑤の常顕明相を、四大の解体の後に起こる意識の解体と関連づけたわけです。

 これは、仏教の宇宙観とも関わってくる話です。先ほど申し上げたように、仏教には世界が生成される際に、風輪→火輪→水輪→地輪の順で我々が住む世界の基盤が形成される(元々は風輪・水輪・地輪の3つだったんだけど)という宇宙観があります。これは、風→火→水→地の順に粗大な要素が生じて我々衆生が住む自然界が成立し、それが滅ぶときには地→水→火→風の順で滅ぶという世界観です。この地→水→火→風という順番は、『小口伝書』が述べる四大の解体と全く同じです。ここでは、人間の死のプロセスと世界の消滅のプロセスが、四大という概念を媒介にすることでパラレルに捉えられているのです。これまで述べてきたように密教は、この世のすべては仏のあらわれであり、仏の世界(大宇宙)と「自分」(小宇宙)が“本来的に”一つであるという立場をとります。ですので、このような見方が生まれるわけです。

『チャトゥシュピータ・タントラ』――死のシミュレート

 さて、死を解脱へと転化しようとする瞑想法を密教に導入するうえで先駆的な役割を果たした、『チャトゥシュピータ・タントラ』という経典があります。『チャトゥシュピータ・タントラ』は、意識が身体を離れる死の瞬間こそが解脱を得る絶好の機会だと考え、意識の行方を操作し、輪廻を脱した「覚り」の世界へと意識をジャンプさせようとする瞑想法を説いています。この瞑想法を「ウトクラーンティ」(utkrānti)と言います。この瞑想法の流れは、その後チベット仏教にも受け継がれました。チベット密教では、死をシミュレートする瞑想法の一つに、「ポワ」というものがあります。チベットでは、密教僧が死を迎えようとしている者に対して行う臨終の儀礼や、信者が死に備えて行う修行なども、「ポワ」と呼ばれるようになりました。前回も述べましたが、オウム真理教は「将来悪業を積む可能性のある人間を殺し、高い次元の世界に転生させること」をポワと呼んで正当化していましたが、元々の後期密教のウトクラーンティやポワという語にはそういう意味は全くありません。ウトクラーンティもポワも、人を殺害してやろうとする意図を含んだ瞑想法では決してありません。

 ウトクラーンティは、『チャトゥシュピータ・タントラ』の第4章第3節に説かれています。まず修行者は、「クンバカ」を行います。クンバカというのは、サンスクリット語で「壺」や「瓶」を意味する語ですが、これは呼吸を制御して、「風」を自分の意思でコントロールしようとするものです。オウム真理教では「水中クンバカ」などと称して水に潜る修業(?)をしていたそうですが、もちろん水に潜ったりはしません

 そして、「自分」の身体にある「九孔」と呼ばれる九つの穴のうち、頭頂以外の八つを塞ぎます。『チャトゥシュピータ・タントラ』によると九孔というのは、眉間・臍・頭頂・眼・鼻・耳・口・尿道・肛門のことです。人間が死を迎える際には、これらの穴から識が「風」と一緒に出ていくんだそうで、どの穴から出ていくかに応じて、何に転生するかが決まるんだそうです。例えば、眼から出ていくとまた人間に転生しますが、尿道から出ていくと畜生になり、肛門から出ていくと地獄に堕ちると書いてあります(なお、九孔とそれぞれの転生先については諸説あり、文献によって異なっています。以上はあくまでも『チャトゥシュピータ・タントラ』の説です)。このような思想は、先ほどの『瑜伽師地論』の説の流れを汲んだもののようです。ともあれ、修業者がここで穴を塞ぐのは、識が九孔から地獄などの悪い場所に遷移してしまうのを防ぐためだと言われています。

 さて、修行者は激しい呼吸を行い、意識を「風」に乗せて中央脈管の上へと引き上げ、意識が頭頂から抜けるように努めます。このようにして、死亡時に起きる識と「風」の遷移を、生前からシミュレートするのがウトクラーンティです。『チャトゥシュピータ・タントラ』には、この識の遷移について述べた、次のような危うい一節もあります。

 九孔の上部から、即座に意識(マーナサ)が遷移すれば、日々バラモンを殺し、五無間罪を犯した者も、窃盗を好み楽しむ者も、この道によって浄化され、罪に汚されることなく、生存の難より遠く離れる。
 あたかも泥沼から生じた蓮華のつぼみが汚れなきように、泥沼である肉体から、知慧の身体を望みのままに成就する。

川崎洋一「『チャトゥシュピータ・タントラ』 「死」を「悟り」に転化する」、松長有慶編著『インド後期密教 下』春秋社

 第29回で申し上げたように『理趣経』は、「誰であろうと、もしこの教えを心にとめて忘れないようにし、読誦するならば、その人は、たとえ全宇宙の生きとし生けるものことごとくを殺害するようなことをしても、絶対に地獄に堕ちたりはしない」(正木晃『現代語訳 理趣経』角川ソフィア文庫)と語っていました。また前回で触れた『秘密集会タントラ』にも、“究極的な仏の立場から見れば”一切は空であるという思想を背景にして、殺人や盗みを肯定するような文言が出てきます。そのような思想がここにもあらわれているわけです。ただし現在のチベット仏教では、「ポワ」のような究竟次第系統の修業法が存在することを知ったり、修行する機会を持つことができるのは、前世で功徳を積んだ者にのみ可能なことだと言われています。「日々バラモンを殺し」たり、「五無間罪を犯し」たり、「窃盗を好み楽しむ」ような者はそもそも、究竟次第を知ったり実践したりすることはありえないということになっています。

『五次第』と「幻身」

 さて、『チャトゥシュピータ・タントラ』は、死のプロセスをシミュレートする瞑想法へと踏み込んだ先駆的な経典なんですが、この流れはその後、『秘密集会タントラ』系統の聖者流で発展していくことになります。聖者流の究竟次第は、『五次第』(パンチャクマ)というテキストに説かれています。チベット仏教の最大の宗派であるゲルク派では、聖者流をすべての密教のなかでも最高のものと位置づけており、いろんなタントラで説かれている究竟次第を、概ね『五次第』の究竟次第に準じて解釈しています。そういうわけで後世に与えた影響が大きく、チベット仏教に興味を持つ人々から注目されてきたこともあり、後期密教の究竟次第のなかでは、比較的研究がなされてきました。

『五次第』の究竟次第は、①金剛念誦次第・②心清浄次第・③自加持次第・④楽現覚次第・⑤双入次第の五段階から構成されています。ただし、究竟次第の前段階として⓪定寂身次第というのがあるので、実質的には六段階だと言われています。この修行法では、「風」を左右の脈管から中央のアヴァドゥーティーへと送り込んで保持することが重要視されます。これらの段階を踏むにつれて「風」は左右の脈管からアヴァドゥーティーへと送られ、遂には心臓へと収束します。

 ところで、先ほど申し上げたように、『秘密集会タントラ』は瞑想の深まりにつれて、陽焔相・煙相・蛍光相・灯似焔相・常顕明相という五相(5つのヴィジョン)があらわれると説いていました。聖者流は、最後の常顕明相を、顕明(空)・顕明増輝(極空)・顕明近得(大空)・光明(一切空)という四段階に分けました。この四段階を四空と言います。そして、最後の「光明」というのは、顕明・顕明増輝・顕明近得の三空が融合して生じるもので、この「光明」によって仏になることができると聖者流は主張しました。五次第では修行者は「風」を心臓へと収束させることで死をシミュレートして、最終的には「光明」に至るというわけです。

 まず三空(顕明・顕明増輝・顕明近得)は、②の心清浄次第で意識の解体に伴ってあらわれるとされます。それでは「光明」はどうなのかというと、②の心清浄次第と④楽現覚次第で出現すると説かれています。そこで後世には、②で出現する「光明」と④で出現する「光明」は同じなのか違うのかという議論が起こることになりました。現在のチベットでは、②の心清浄次第で出現する「光明」は本当の「光明」ではないということで、「喩の光明」と呼ばれています。修行者はこの②の段階を越えて、③自加持次第で「幻身」と呼ばれる「身体」を形成し、④の楽現覚次第で「光明」へと進み、そして最後の⑤双入次第で仏になるとされています。

 ここで問題になるのは、③の自加持次第で出てくる「幻身」という概念です。「幻身」は難解だと言われており、聖者流の註釈者の間でも見解に相違があります。『五次第』には、「風」と融合した「三識」が、修行者たちの身体として再び発生するのが「幻身」だということが書いてあります(第三次第第19偈)。一体どういうこっちゃという感じですね。ここでは一例として、ゲルク派をひらいたツォンカパ(1357―1419)が提示した解釈をひとまず見ておきます。

 ツォンカパによれば②心清浄次第において、顕明→顕明増輝→顕明近得の順に「三空」が修行者に現前した後で、今度は顕明近得→顕明増輝→顕明という逆の順番で「三空」を「風」と一緒に現前させて、「風」が「三識」(顕明近得・顕明増輝・顕明)と融合すると、「幻身」と呼ばれる身体が新たに発生するのだそうです。つまり、②の心清浄次第で「風」を心臓のチャクラに収束させて「三空」があらわれた後で、「三空」をそれと逆の順番で展開させることで、「風」と意識が融合した「幻身」が生成するのだと解釈したことになります。そして、③の自加持次第で生じる「幻身」は、まだ煩悩を完全に脱していないので、「不浄な幻身」と呼ばれています。これに対して⑤の双入次第では「清浄な幻身」が出現します。修行者はこの身体によって自在に衆生を救済できるのだそうです。この解釈はチベットでは正統的な説とみなされていますが、あくまでもツォンカパによる解釈です。先ほど申し上げたように、聖者流の解釈者のなかにはこれとは異なる見解を唱える人もいます。

 これまで述べてきたように、後期密教経典には、死ぬ際には識が「風」を伴って体外に出ていくという思想が見られます。『瑜伽師地論』や『大乗顕識経』などの密教以前の文献にも、このような思想に繋がっていく要素が見られます。このような考え方でいくと、『倶舎論』で説かれる中有のガンダルヴァは、識が「風」を伴って体外に出てゆくことで形成されることになります。また、『五次第』で説かれる究竟次第は、死のプロセスをシミュレートしようとするものです。以上のことを踏まえると「幻身」という身体は、死後の中有が持つ(微細な)身体に対応するものだと考えることができるように思われます。③の自加持次第は、死後の中有を假想的に経験しようとするものであり、その俗なる生死・輪廻のプロセスを「聖化」しようとしたもの、否、俗なる生死・輪廻のプロセスが“本来的に”「聖なるもの」であることを覚ろうとしたものであると考えうるわけです。假想的に死を経験することを通じて、物質的な身体とは異なる「幻身」が、(現代の日本人も使うことばであえて乱暴に言えば)「体外離脱」によって形成されると語っているかのようです。

 涅槃の極みは輪廻の極みである。その二つの極みの間にはわずかな隙間も決して知られない。
【別訳】涅槃の極みと輪廻の極み、この二つの極みの間にはわずかな隙間も決して知られない。

(『中論』第25章第20偈、桂紹隆・五島清隆『龍樹『根本中頌』を読む』春秋社)

 さて、これまでに述べてきた後期密教のいろんな要素は、10世紀から11世紀ごろに成立した、インド仏教最後の経典の一つである『カーラチャクラ・タントラ』で集大成されることになります。そういうわけで、次回は『カーラチャクラ・タントラ』を見ていくことにします。

 今回はこれくらいにします。

番外編その3はこちら

 

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