2024年に観た映画を「音」で振り返ろう
2024年が終わる。数多の人間がSNSで映画とかのベスト10を発表して今年を総括していく季節になった。あ、私は発表しません。
理由としてはどうしても作品に順位をつける行為が不得意なのもあったり、あと大した本数観てないから別にランキングにする意義も薄いかな……という気持ちもあったり、そんな具合です。とはいえ今年出会った映画を振り返らないのも寂しい。
そんなわけで今年は特定テーマを軸としたまとめを作ることにしました。順位づけは特になし、総合的な面白さよりも音の面で印象に残った作品をピックアップ。テーマは「音」
音とは具体的に何を指すかというと劇伴だったり主題歌だったり効果音だったり、とにかく音波の形を成す事象全般のことだと思っていただいて大丈夫です。とはいえ私自身映画音響の専門家というわけでは全くなくて、素人の浅知恵披露みたくなってしまうのでご了承ください。むしろ私としてもその道に詳しい方による映画音響ランキングを読んでみたいくらいの想いですから……
ウマ娘 プリティダービー 新時代の扉
今年はどんな年だっただろうか、仕事や私生活や時事などそれぞれの切り口ごとに答えは変わるだろうが、映画という切り口で語るならこうなるだろう。ウマ娘の映画が公開された年だと。
大前提として私はウマ娘というコンテンツが好きだ、最近はアプリに触れられてないし今や単なる馬券狂いになっている気もしないではないが、それでも私はウマ娘ファンだと言い張りたい。TVアニメは3期まであるが劇場版はこれが初めて、しかも私の好きなアグネスタキオンが重要な役柄として出演するのだがかか私を胸を躍らせた。予告編を見る限り見てくれは問題なさそうだし、最悪脚本とかがグチャグチャでも、アグネスタキオン点が部分点で入るのでまあいいだろう……そんなつもりで劇場に足を踏み入れた、だが私は完全にナメていた、劇場版ウマ娘は1000%本物の、信じられないほどの傑作なのだった。
断言するが『ウマ娘 プリティダービー 新時代の扉』は完璧な映画だ、欠点らしい欠点はほとんど見当たらない。本作を名作たらしめている要素はガンギマった演出や作画とか、三幕構成に忠実でよくできた脚本とかいろいろあるが、その中でも劇伴のすばらしさというか、いい意味での異様さは外せない。
とりあえずお気に入りの曲を以下に貼る。
DOPE・・・・・・
DOPE・・・・・・
CHILL・・・・・・
いや本当にね、これが「萌え絵の美女をいっぱい出して……オタクを釣る!」なアニメで流れる意義はとてもデカいんじゃないか。曲そのものが私の好みのドストライクなのもあるとしても。
私はいわゆる劇場版アニメというものにある種の特別感を求めている。例えばふだん春日部で平和に暮らしている野原家が世界の危機に立ち向かわされたり、ルパン三世が巨大な脳ミソと戦ったり、ルフィの幼馴染が急に生えて世界を滅ぼそうとしたり……そういう平時ではお目にかかれないお祭り感、ケに対するハレというべき要素があると私はうれしくなる。
一方でウマ娘は構造上、話の面で特別感を出すのが難しい。本作のストーリーは言ってしまえば、実在する競走馬の過去のレース結果に基づいた大河ドラマで、その点はTVアニメ版やwebアニメ版と変わらない。だから下手こいたら「それって映画館でやる必要あった?」という感想で終わる可能性もあったわけだ。
しかしその可能性は完全に払拭された、新時代の扉は頭から尾まで劇場で観るべき映画として仕上がった。それも劇伴が一役買っているのではないだろうかと私は考えている。異様な電子音が鳴りびびく過剰にかっこいいBGMが何か特別な雰囲気を纏わせたのではないか。ウマ娘というコンテンツを更なる高みに押し上げてくれた横山克氏には感謝しかない。
とはいえ
最後の最後に突然ウイニングライブ(意味不明)とうまぴょい伝説(上のPVの曲、歌詞がハッパをキメてる)をかまして余韻がぶち壊しになるのはいささがもどかしい所だ。
本編がスポ根アニメとしてあまりにも極まっているがゆえに、シリーズの伝統である上記要素が不協和音と化しているのは悲しくもあるが、考えようではこれもまた乙かもしれない。日光東照宮の門の柱が1本だけ逆さになっている理由のような、あえて完璧にしない美学みたいな……
カラオケ行こ!
和山やま先生が送る傑作短編漫画『カラオケ行こ!』が映画化されると聞いた時、私はこう思ったものだ。声変わりするギリギリに立たされるソプラノ担当の男子中学生の役をどこから連れてくるんだ……!?と。
そんな心配は、驚くべきことに杞憂に終わった、齋藤潤という逸材を見事に発掘し、綾野剛とブロマンスして完全に満たされた、これはとんでもないことですよ。
この物語のサビは声変わりの最中にある中学生が魂の熱唱をして完全に喉を潰し、大人の階段を駆け上がる、そういう点にあるだろう。それを齋藤潤は己の歌声1つで、ナレーションや説明台詞もなしに見事に表現してみせた。ほんとうによくぞやった。こうまで原作の意図を映像メディアで、しかし原作のトレースではない形で達成されてしまうと平服するほかない。
あとはこの世の終わりみたいなLemonが面白すぎて未だに脳裏にこびりついている、本当に大好きだ。これに限らず古今東西の名曲が流れるだけで、映画に彩りがうまれるものだなぁ。私はマスに流行ってる楽曲というものをうっすらナメているのだけど、そういう態度はいかんよなと考えを改めさせられる。
返す返すも超ハイレベルな映画化。関係ないが今最も話題の音楽漫画『ふつうの軽音部』も映像化の時にはこんな感じがいいな……!と思った次第だ。
我、邪で邪を制す
♪かつて私はあてもなく 闇路をさまよっていた
ネトフリオリジナルの台湾映画、指名手配ランキング3位の男が2位と1位の男を殺してトップに成り上がろうという物語なのだが、これは一体何と言ったらいいのだろうか。鑑賞者の期待も予想も裏切る展開、分かりやすい暴力映画と思いきやそうもいかないもどかしさ、しかしそんなツンな部分も含めて好きな映画となった。観終えたあと、こりゃあ只事じゃないぞという満足感があった。
記事トピックに合った見どころを挙げるならば後半のカルト教団の下り、特にカルト教団のテーマソングが歌われるシーンだろうか。いかにもな宗教性は薄くて耳障りのいい歌なのがかえって不気味だ。しかし、本当に問題なのはその後の……
♪それが人生の旅路
シビル・ウォー アメリカ最後の日
シビル・ウォーもまた音の面で一切抜かりのない映画だった。音響の総合点だけで言えば1位かもしれない。妙に知能指数の低い登場人物とか、混迷の世界情勢に即した内容であったかなど疑問点はあるものの、ある種のアトラクション体験としては臨場感満点で文句なし。早期にアマプラ入りしたが劇場で鑑賞できて大満足であった。
音響面で白眉なのは銃声の表現であろう。銃を撃つとメチャクチャデカい音が鳴ってビビる、という言われてみれば至極当たり前のことに真剣に向き合っていて、非凡な迫力が産まれていた。
特に中盤訪れる廃ビルでの銃撃戦、それまで穏やかな夜景のシーンがダラダラ続いていたのが0フレームでいきなり生死の間に引きずり込まれる。そしてあまりの銃声のデカさに「ヒィッ」と叫びそうになる。あの瞬間に産まれた映画の加速力、鑑賞姿勢を否応なしに正される感覚、まさに名場面ならぬ名場面転換であろう。なんらかのオブザイヤーを与えたい。
ふと『ジョンウィック : コンセクエンス』をドルビーシネマで観たときのことを思い出す。最初の木人を正拳突きするシーンの打撃音たるや、キアヌの拳が文字通りシネマを揺らしていたあの体験は忘れがたい。シビルウォーの銃声も大体同じような効果をもたらしていたように思う。
アクション系のコンテンツに浸っていると、暴力が巻き起こり人間がバカスカ死ぬことの重大さを忘れそうになる。ゆえにこそ鉛玉や拳の重みを思い出させてくれる作品との出会いを大切にしたい。
ルックバック
これまで音響や挿入歌といった観点で目を見張るべき作品たちにいくつも出会えてきた。じつに恵まれたことだ。とはいえそんな中でも「オヤッ」と首をかしげる作品に巡り合ったのも事実、映画を観ていればどうしても口に合わない映画にぶち当たってしまうのは仕方のないことだ。私にとってのそれはよりによってルックバックだった。
まず私は原作漫画版の『ルックバック』を溺愛している。ほとんど崇拝に近いほどで、愛がこじれすぎて逆に単行本を読み返せていない始末だ。そんな輩が劇場版を観たところでどこまで原作に近づけているかの検品作業にしかならないので、正常な評価なぞ下せない。なのでそういう人間の感想なのだと参考程度に思っていただきたい。
音がデカい
PVの時点でBGMがデカいけど映画館だと倍以上デカくて卒倒した。念のためアマプラで革新したらやっぱりクソデカ劇伴だったのでこれは映画側の問題だと確信できた。いや、本当にデカいんだが、どうなってんだ、なあ。
映像メディアにしろゲームにしろBGMが盛り上がると熱くなるものだが、しかし過剰に盛り上がりすぎるのも考え物だと思っている。雄弁なBGMは受け手の感情を指定することができる。ほらほら、ここは感動的なパートですよ、お手元の"哀"ボタンを押してください、とでも言うように。そんな劇伴の魔法も度が過ぎれば押しつけがましさに反転する。
いいか、よく聞け、お前はキアヌの打撃音でもシビル・ウォーの銃撃音でもないんだ。デカければデカいほどいいって話じゃないんだぞ。そもそもゴスペル調の主題歌であったり、ひたすら明るくてメロディアスの劇伴ばかりなのも好みではない。それは確かに原作の解釈としては間違っていないのかもしれない。それでも漫画の方にあった、読者に感情の補完を委ねた余白の部分を感動的なBGMで埋めてしまうのはもったいなく思う。もっと客を信頼してほしい。
にしたってデカかったな、音。優れた音響の条件というのは記憶に残る劇伴や作りこまれた効果音とか色々あるだろうが、「音量がちょうどいい」というほとんど目立たない細部の仕事も含まれているのでしょう。
関心領域
さて、音がデカくて押しつけがましい映画というとこちらも挙げなければならない。ある裕福な家庭の幸せな日常を描いた映画だ。そんな映画が一体どうして一躍注目を浴びたんだい?
本タイトルはある種「音」が主役として扱われていた稀有な作品だ。冒頭に挟まる長い真っ暗なカット、そこで我々はこう語りかけられる「さあ耳を傾けてみよう。世界の音色、何があってどんなことが起きているかな?」以降、観客の鑑賞姿勢は「傾聴」へと切り替えさせられる。
そこからはもう私達は、怒号、悲鳴、銃声、何かが燃やされる音、そういった音から耳をふさぐことはできない。私達は恐ろしい出来事を前に、そしてそれがないものとして扱われる非道を前に傾聴をやめさせてくれない。なんて前衛的な映画体験か……そんなコンセプトを実現させてしまう製作人の技術と覚悟は敬服するしかない。アカデミー賞音響賞の栄誉もまったく相応しいものでしょう。
そして私は、あの怨嗟のようなエンドロール曲が脳裏にこびりついて離れないまま今に至る。つくづく恐ろしい映画だった、そう総括するのはまだ早い。我々が真に恐るべきはこの関心領域と地続きの現実世界で、劇中とほとんど遜色のない非道が今も横行していることなのだから。
Chime
恐ろしいと言えばこのChimeも挙げなければ。私としては先述の関心領域よりも背筋が凍り付いたし、なんなら今まで観てきたどのホラー映画よりも怖かった。基本的に私はホラー映画に本気で恐怖を感じることは少ない、血糊やサイコ人間が出てくるとむしろ楽しくなるからである。本作も一般的なホラーの例に漏れずサイコ人間が出てきて人が死ぬのだが、完全にヤバかった。
「人間が突然発狂するとびっくりする」という全く当たり前のことがどうしてこんなに恐ろしいのだろう?料理教室というシチュエーション(無数の他人が全員刃物を持ってる!)だったり、不快な人物の質感だったり、色々要因はあるだろうけど、この記事のトピックに沿っていうならば効果音も一役買っていただろう。例えば包丁を食材に立てる音だったり、ゴミを捨てる音、箸が食器と擦れるなど、本当に何てことのないありふれた日常の効果音が鋭利に、鼓膜から脳までえぐるように耳に刺しこまれる、そんな居心地の悪い聴覚体験がそこにある。
私が観たのは劇場だったので当然途中で音量を下げたり、再生を停止して「こわいよ~たすけて~」などとTwitterでつぶやくこともできない。文字通り逃げ場のない45分、これが2時間くらいの長尺だったら完全に憔悴していたに違いない。
侍タイムスリッパー
Chimeの後に観た映画だ。王道で面白く安心感にあふれた内容で救われた気持ちになった。
返す返すもインディーズとしては、いや、今年公開された大抵の映画と比較しても脅威の面白さだ。笑いどころはしっかり外さず人物は皆魅力的で、後半からは思いがけない展開が訪れ、そこからは各々の信念がぶつかり合い、哲学があり……それら全て最高の最終決戦に収束する。こんな物語を描けるクリエイターに憧れるものだ。
ラストの殺陣について褒めるべき点はあまりに多く、私の知識量ではそれを十分にお伝えできない。しかし本記事のトピックに絞っていうならば、注目するべきは斬り合いが始まる直前。
あの間合い、無音の時間、一体どれほどの長さだったろうか。私はあの瞬間に息を呑み、心臓の鼓動が止まった気がした。緊張"感"ではなく真の緊張が劇場に走ったに違いない。もし映画の神がいるとしたら、あの数秒間の無音にこそ宿っていたのだろう。素晴らしいものをみせていただきました。
それともう1点、映画本編とは別に鑑賞する環境にも恵まれたことも付け加えたい。場所は池袋のシネマ・ロサ、まだこの映画が世間に浸透していなくて何やらヤバいインディー映画があるぞと一部で話題になっていた頃に観ることができたのだが、とにかく周りのお客さんのノリがよかった。笑うべきところでどっと笑いがこみ上げ、しんみりするシーンでは静かに、上記のラストバトルでは真の無音が訪れ幕が下りると万雷の拍手が沸き起こった。実に充足した劇場体験だった、こんなのはカメラを止めるな!を初見で観に行った時以来、こんな興奮する体験がもう一度味わえるなんて願ってもみなかったな。
ジョーカー : フォリ・ア・ドゥ
問題作、良くも悪くも多くの映画ファンの間で話題騒然となったアメコミ続編映画だ。面白くないので観なくていい。
……そう言い切れないのがこの作品の厄介なところで。あなたの持つ映画のツボ次第では今年最高の作品に化けるし、逆に最低の映画にもなり得る。私には刺さらなかったが、それでもこの歪でねじれた物語は実に語りがいがある、それこそその辺の佳作なんかよりも。
さて、このフォリ・ア・ドゥはピカレスク物の新たな金字塔として名を轟かせた前作から5年を経ての反省会というか「まあ現実はそう上手くいかないし、上手く行っちゃっても困るよね」的な総括で、コンセプト自体は調理次第でより広く受け入れられる作品にできたのかもしれない。しかし製作陣やワーナーは明らかに余計なものを入れてしまった。それは「世界的歌手レディー・ガガがヒロインとして登場し、古今東西の名曲をアーサーと歌いまくる」という鶏油を超えた軽油であった。
全国のガガファンにとっては承服しがたい言葉だろうが、とにかくハーレイがしゃしゃり出てくるシーンはどれも一切面白くなく、ガガ様がジョーカーの妄想上のミュージカルもどきのダサいセットで熱唱するシーンは死ぬほどだるい。ええっそんな事あっていいのか、だってレディー・ガガだぞ、洋楽に疎い私でも知ってるあのガガ様だぞ、どうしてこんな。
何が悪いかって、第一ハーレイのキャラ造形が全然なってない、ジョーカーのジョーカー性を解体する脚本の要請で配置された舞台装置みたいになっている。「登場人物Aにとっての死神にあたる登場人物B」みたいな関係性は確かに萌えるが、大前提となるキャラの基礎がふにゃふにゃでは救えない。映画の根底にある理念や一部のシーン一応評価はできるが、ハーレイのキャラだったり全体的な退屈さ、悪質な予告編詐欺(ジョーカーとハーレイが中段蹴りするシーン何だったの?)もあって非常に悪印象のまま終わってしまった。
そしてエンドロールで劇場に響き渡る、ガガ様歌唱の「That's Life」嫌味かよ、あんなむかっ腹の立つ歌もない。世界的歌手の声色にこんな感想を抱かせるのも、これもまた映画の魔術なのかもしれない。
……いやマジで2人が中段蹴りするシーンなんだったの?
スカイ・オン・ファイア 奪われたiPS細胞
問題作、ごく限られた界隈で話題騒然となり続けているカルト香港映画。面白くないので観なくていい。
……そう言い切れないのが本作の厄介なところで、いや、本編の9割5分はさっぱり面白くないのだが……残りの5分、いや2分くらいの部分がとんでもない、本当に信じられないことになっている。
問題のシーンは大体ラスト1分くらい、それまで曲がりなりにも貫いてきた物語の流れを全部破壊する出来事が発生し、あまりの事に皆呆然とし、そしてフワッとしたラストカットと共にぶつ切りめいて映画が終わる。私はもう爆笑するしかなかったのだが、その背後で流れる荘厳風な劇伴もまた笑いを誘う。多分、これが違う選曲だったらここまで笑える感じにはなってなかったんじゃないか、まさに選曲の妙。
この文章を観て気になった方もおられるかもしれないが、例の箇所以外は全然面白くないのでその点は承知して頂きたい。今現在(2024年12月31日)だと配信での視聴手段がないようだが……。
ロボット・ドリームズ
September、いい曲だよね。洋楽に明るくないアタシでも知ってるよセプテンバー全巻持ってるし。
でもそんな私たちだけれども、セプテンバーの歌詞の内容まで関心を向けている人はきっと少ない。APT.の意味が何なのか知ったうえであーぱつあぱつと歌う人々がどれだけいるのだろうか。だから私がセプテンバーの歌詞の意味を知ったのは、最近になってようやくなのだった。
えっ、セプテンバーって12月の曲だったんだ…………
ストレートに解釈するなら要するに「9月のあの日に分かち合った私達の思い出を12月に思い返している」という内容になるのだろう。その心は輝かしい思い出の回顧なのか、それとも二度と戻らない情景の名残惜しさか。
ロボット・ドリームズはまさにセプテンバーに始まりセプテンバーに終わる、セプテンバー映画であった。これ以外になんと表現しろというんだ。こいつを観て劇場を後にしたあの時、私は完全に打ちのめされていたし今も傷が尾を引いている。本当に勘弁してくれ、なんちゅうもんを作ってくれたんだ。
友情とか恋愛とか孤独とか絶望とか、このお話を表現するための語彙なぞいくらでもあるがそれを用いたら簡単に陳腐化してしまう、そんな気がしてならない。ネタバレへの配慮とかではなくてただ言葉にしたくない、このすぐに傷ついてしまいそうな感情を大切に守りたいんだ、そうだろう。
そんな訳でロボット・ドリームズは私ごときの力では筆舌につくせない、そんな映画だった。あえてベスト1を決めるならきっとこれになるんじゃないかと思います。
その他の映画たち
『エイリアン : ロムルス』- 今年のハリウッドで圧倒的ベスト。アトラクション型映画の誉。
『コンクリート・ユートピア』- 社会派ディザスター物で冒頭からラストまで唸らされた。ネトフリにある『バッドランド・ハンターズ』も同一世界観とのことで観たがあまりのトンチキSFぶりに温度差で風邪を引いた。
『ジャワーン/JAWAN』- 全てが過激なインドポリティカル映画、鑑賞した者はみな口をそろえてこういうだろう……GO VOTE.
『黄龍の村』- そんなエピローグ通ってたまるか。
『哀れなるものたち』- エマストーンと共にあてのない旅へといざなわれるような物語体験。18禁だがどこか心地のいい映画体験であった。
『コヴェナント/約束の救出』- アフガニスタン、米軍と現地通訳のバディ。稀に見るほど骨の通ったアクション物であり、エンドロールが重くのしかかる。
『オッペンハイマー』- 恐ろしいほど出来のいい映画だが意外とピンとこなかった、そういう事もある。とはいえオッピーが演説するくだりの意地悪さときたら。
『ザ・フラッシュ』- アカデミー賞ジオウOQ部門受賞。
『デッドプール&ウルヴァリン』- アカデミー賞ジオウOQ部門受賞。
『動物界』- フランス印の重苦しい内容だが、ラストカットの解放感は唯一無二であった。
『セーヌ川の水面の下に』- フランス印のナイスセーヌ。
『キラー・ナマケモノ』- やったーーーー!!!ぼく、キラーナマケモノ大好き!!!もしかしたら今年最も心に響いたキャラクターかもしれない。キラーナマケモノくんのお茶目な殺人センスや知性の高さ、運転スキルツリー、SNSも使いこなす意外な側面も本当に愛おしい。死に様もどこか憂いがあって、哀……このままキラーナマケモノが大バズりしてグッズとか出てほしいのだが、ねえっゲーセンのプライズとかにない?
未来へ
とりあえず来年はアニメ映画を注力的に観たいと考えています。トラぺジウムやきみの色とかも見逃したのは痛恨でしたので……
洋画の期待の星はやはりスーパーマンとサンダーボルツになりそう。というか、この2作がどっちも転けたらアメコミ映画の沽券もいよいよ、本当いよいよだと思うので緊張感を持って挑みたいですね。
来年も観た本数とかはあまり気にせず、インプットとアウトプットのサイクルがいい感じに回るようにしたいものです。2025年も素晴らしい作品に出合えるように。
ところでDead by Daylightの映画化の続報ってまだかのう。
おまけ
『ようこそ映画音響の世界へ』は映画音響のことを知った気になれる良いドキュメンタリー、おすすめ。