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愛着図鑑④ 自由の象徴

 自由ってなんだろう?

 私が実家に帰ってきて一番感じたのは「移動の不自由」だ。

 逆説的に、神奈川にいた頃は移動の自由があったということ。

(まあその自由を行使していたか? というと…)



 実家でなぜ移動の不自由を感じたかというと、

「親に車を頼まないと、どこにも行けない!」

という、田舎あるあるだ。

 一応、実家は駅から10分のところにあるが、大きい施設は車でないと行けない、行きづらいところが多い。

 だから父に車を借りていたが、あまりにも危なっかしく、人の目を借りないと運転させてもらえなかった。

 結局親がいなくては運転ができなかった。

 ペーパードライバー歴4年のせいだ。



 車を買う話が出たのは母きっかけだった。

「そろそろ就職見据えて、車買いん」

 実家を出たり帰ったり、進学したりで現実から逃げていたが、とうとう現実を突きつけられるようになった。

 たかが23才、されど23才。

 田舎の民、ほぼ就職なり結婚なり経済活動に参加している年頃。

 年齢という目に見えない現実を薄目で見たふりをしつつ、就職を見据えてという名目で車探しを始めた。



 初めはスズキのラパン、ハスラーを狙っていた。

 ラパンはよく見るし、ちょっとレトロな感じが良いと思った。

 ハスラーはちょっと厳つい? アウトドアな雰囲気が気になる。

 なのでとりあえず、母とスズキのディーラーに足を運んだ。


 ラパンってあんな乙女仕様車だっていうことを知らなかったのだ。

 以前の愛着図鑑で言ったように、私は中性的で普遍的なものが好きだ。

 ラパンをその私の好きに照らし合わせると、あまりに可愛すぎた。

 でも可愛いの完成度がすごい高い。天井のキルティングとか、あらゆるところがうさぎうさぎしてるところとか。

 現物見て置いて良かったと心底思った。


 一方ハスラーくんは、想像通りとても良かった。

 乗り心地と使いやすさを足して綺麗に等分したような感じ。

 後部座席がフラットになるから、車中泊もしやすそう………

 ただ、なんとなく車高が高めなのが気になって、その場では結局決められなかった。





 家に帰って、少し考えた。

 就職を度外視したとして、私自身が車でやりたいことはなんだろう? と。

 自由が欲しくて、私は車を乗りたいと思ったのだ。

 自由とは? 移動と、趣味の自由だろう。

大学時代。
河原で何か食べるのにハマってた。


 アウトドア派ではないけれど、自分なりに車の中に色々持ち込んで、車中泊やキャンプをしたい。

 じゃあ、それをできる車を選ぼう。




 そういうわけで、私が車を選んだ条件は三つだ。

  • そこまで車高が高くない(視野が狭くない)

  • 後部座席がフラットになる(車中泊のために

  • 国産車






 そしてなぜか最終的に、中古車のN-ONEくんが私の車になった。




 N-ONEはすごく小さい。

 計4人がちょっとゆったり乗れるくらいの車だ。

 最初に父から「どうだ」と話が来た時、相当迷ったし調べた。

 決めるために色々考えて、調べた。


 調べてみたら、インターネットのあらゆるところに「N-ONEで車中泊やっています」という人たちがいた。

 こんなにたくさんアイデアと情報があるなら、できるんじゃないか?

 そう少し背中を押してもらえた。


 私は狭い、小さいところが好きだ。

 ごちゃごちゃものを持ち込めば、秘密基地になる。

 そして何より、落ち着く。

 そう思って、自分の車を、N-ONEに決めたのだった。




8月某日 N-ONEくんが我が家に
目が覚めるような赤
一応後ろはフラットになって、
1人なら斜めに寝られる
車中泊準備号





 9月21日。N-ONEで初めて車中泊をした。

Twitterから


 色々手間取りながらセットして、それでも想像通り、想像以上に、寝られた。

 本も読んだ。

 ご飯は失敗したけども、次は給水忘れないようにしようと思う。



 久しぶりに自由を感じた。

 自分1人でキャンプ場に行って、1人で時間を過ごす。

 少し前までそれが普通だったのに、いつの間にか家にいても閉塞感ばかり感じていた。

 やっぱり外はいい。

 せこせこ動かなくても、外の風を浴びて、好きなことをやってるだけでちょっと楽しい。

 そして、虚しい。


 私はキャンプに行くと「何やってるんだろうな〜」という気持ちになる。

 ただそれは、悪い感情ではない。

 どこか緊張ややること、考え事で満ち満ちていた私の中から、スッと力が抜けるのだ。

 やらなきゃいけないことの一切を一度片隅に置いて、また向き合うためのやり直しにできる。

 この自由は、「抜く」ための自由だった。




 私は、自由の反対は不自由ではないと思う。

 自由の反対は依存だ。

 他人への依存心で、自分から自由を奪ってしまうことがある。

 車を買う前の私は、まさにそういう状態だった。

 どこかへ行くにも親同伴。

 誰かが決めてくれる方向に進む。

 それは、自分から自由を捧げて、近道のような回り道をしている行為だった。


 一方、依存しながら自立することも大切だとわかる。

 人は誰かがいないと生きられないというが、自分の足で立ちつつも、1人に偏ることなく少しずつ頼るのは、

ある意味、自分から自由を奪わないためにも大事なことだろう。



 私にとって車は、自由の象徴になった。

 どこにでも行ける足になった。

 少なくとも、しばらくは、私のN-ONEと自由を謳歌したい。

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