センチメンタル・ギョーザ
かつて共に暮らした彼は家事を一切しない男だった。
たちの悪いことに、文句だけは一流だった。
「俺、味噌汁に薩摩芋は嫌なんだよね」
「みかんって皮むくの面倒だから好きじゃない」
「文句があるなら、自分でやれ!」と喉元まで出かかること数知れず。
結局、ただの一度も言えずじまいだったけれど。
そんな彼が、唯一担当していた家事がある。
それは、冷凍ギョーザを焼くこと。
そして憎らしいことに、私よりずっとずっと上手だった。
横で彼の焼き方を見る限り、たぶんタネも仕掛けもない。
パッケージの裏面に書いてあるつくり方に忠実であること。
たったそれだけ。
それだけのことが、実はたいそう難しい。
人生、宇宙、すべての答え。是れ則ち、ギョーザの焼き方。
万事において基本が一番、アレンジもショートカットも不要である。
森博嗣氏が言うところの「学問には王道しかない」とは、まさにこのこと。
そんな日々も今は昔、もう失った過去のことだ。
過去を封じ込めてしまいたい私は、皿をフライパンにかぶせて覆う。
宙に舞う思い出をみないふりして、えいやっとひっくり返せば、狐色の羽を広げたギョーザ諸君が行儀よく並んでいる。
上出来、上出来。
右手にお箸、左手に缶ビール。
本当のひとりだもの、お行儀が少しばかり悪くたってかまやしない。
もちもちの皮も滴る肉汁も黄金の泡も、底なしの胃袋へとおさめられる。
胃袋って宇宙みたいだ。ああお腹いっぱい。
綺麗さっぱり片付けられた食卓で、私は孤独の海に溺れそうになる。
缶をつぶし、思い出を振り払うかのように右脚のつま先で蹴飛ばす。
がらんどうの缶は空虚な音を立て、月の裏側へと飛んでいった。