【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S22】
<Section 22 呪いの森と少女>
僕が驚いて立ち尽くしているとソフィアはゆっくり祭壇の座布団へ向かい腰を下ろした。
「状況はおわかりですね?わたしがファダムです。しかしその理由がおわかりではないのでしょう?ニーアオ。説明を。」
「はい。ミハイル様、このマンヘイムの森に“ファダム=ベベケス”なる人物はおりません。」
「え!?どういうことですか?ソフィアが、いやソフィア様が長だということは分かりましたが。」
「そもそもファダム、というのは人物名ではございません。
言うなれば称号です。このマンヘイムに代々伝わる称号なのです。
長になった者が誰であれファダムと呼ばれます。
ベベケスは即位の時期を表しており、男性であれば鳥の名を、
女性であれば花の名を冠します。」
たしかに我が街に伝わるマンヘイムの伝承はかなり昔の話で、
御伽噺に近いようなものだ。
そんな昔の話なのにまだ当時の“ファダム・ベベケス”が生きていたら
それこそ化け物である。
「ちなみに前ファダム様は男性で、即位は暗い時期でしたので夜鳥の名から“ファダム=グーフォ”とお呼びしておりました。現ファダム様は女性で、即位が霞む時期でしたので霞む花“ベベケス”を冠しておられます。」
「そうすると、この森に入った“ファダム・ベベケス”というのは・・・。」
ぼくは伝承にある“ベベケス”と世話役のフリをしていた“ベベケス”が混同してわからなくなっていた。
「この森に入り、開拓されたのは現ファダム様の高祖母でございます。」
「あぁ。こうそぼ、なんですね。」
ぼくは何代前かはわからなかったがもうどうでもいいやと諦めた。
「それにしても長があれだけ民と仲がいいというのもなかなかみない風習ですよね。」
話を今現在に戻すことにした。
昔の話をしだすと長くなりそうだ。
ソフィアは面倒くさそうに答えた。
「この村の民のほとんどはわたしがファダムだと知りませんから。」
「え!?知らないんですか?」
「村の民全員が“村の民の誰か”がファダムだと言うことは知っています。
だからこそ他人につらくあたったり、礼を欠いたりすることができないんです。今隣にいる男がファダムかもしれない思えば失礼な態度は遠慮するでしょう?」
「確かに。昔本で読んだことがあるのですが、
とある別の世界には“三脱の教え”と言うのがあったらしいと。
他人に対して年齢や職業、地位を聞いてはいけないという教えです。
そうやって他人に礼を持って接する教えがあったそうです。
それに似ていると思います。」
「さすが記録士、知識の量はニーアオにも負けず劣らずですね。」
ニーアオは貶されたはずなのに含み笑いをした。
どうやら貶されているのはぼくの方らしい。
「でもどうして記録士だって分かったんです?
ん?そもそもニーアオさん、どうしてあの場に迎えに来れたんですか?
連絡か何かあったんですか?」
「これがマンヘイムがマンヘイム足る所以と申しますか、暗き森などと揶揄される理由でございます。」
ファダムは何かしてやったりな表情をしていた。
「マンヘイムの長となるべきお方には一つ特殊な才能がそのわっておるのでございます。その名も【百眼】と申します。千里の果てまでも見通す力です。」
ニーアオはもっとしてやったりな顔をしながら補足した。
「ミハイルさん、あなたがここに来ることはすでに百眼で捉えておりました。案内がなければおそらくここまでたどり着くことはできなかったでしょう。」
「確かに。ある程度道は入り組んでましたし、
何より警戒されていたのか監視されてるようで・・・。」
「そのことではございませんよ。」
「え?」
「ミハイルさん。実はマンヘイムの森には【呪】がかけてあります。
あの森は自らの罪を受け入れぬ者には入ることすらできません。
入れてもその森の中で自らの罪に苛まれ、迷い、朽ちていくだけです。」
「罪を、受け入れる?」
「あなたのルーパさんへの罪、この森がしかと受け取りました。
そして森が許したからこそニーアオが待つ場所まで辿り着けたのですよ。」
「ルーパのことまで・・・。」
「あの森は人の罪を暴くのです。どんな小さな罪も暴くのです。
故に暗き森と呼ばれるようになったのです。そしてこの【百眼】も言わば森の呪いなのです。」
ぼくは道中のあの心境を思い出した。
ルーパという遠くなった存在を思い出し、
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自らの死のことまで考えた。
それが【呪】のせいだと言われればそうかもしれないが、
あの感覚は紛れもなくぼく自身から出たものであった。
「さぁ。ミハイルさん。本題に入りましょうか。」
ソフィアは姿勢を正した。
「三神の異変についてはこちらでも確認しておりました。
しかし私どもはリザールの申し子であり祝福を待つ民です。
いかに異変があろうともどうすることもできないでいました。
私どもも何かできることはないかと考えていた折、あなたがこちらへ向かうという【先予言】がありました。それならば暗き森の洗礼に耐えることができ、この地に辿り着けたならミハイルさんに任せてみようと思ったのです。」
ぼくは聞きたいことがいくつもあった。
「あの、ソフィア様は千里の果てまで見通せるんですよね?
人神のいる神海がどこにあるか分かりませんか?」
「神海の場所、ですか?」
「はい。どうやらその三神の異変の元には人神にあるんじゃないかと。
ですので人神に会って話を聞かなければならないんですよ。」
ソフィアは怪訝な顔をした。
その顔は幼く、まだ年端も行かない少女だということに今気がついた。
「ミハイルさん、神海なんて場所はありませんよ?この世のどこにも。」
「あ、いや。分かります。人神がいるところが神海なんですよね。
だからその人神がいるところが知りたくて。」
質問に対しての回答に、間を開けずに喋ってしまっていた。
ソフィアとニーアオは顔を見合わせていた。
何かに驚いたようだった。
「ミハイルさん。人神や神海の話は誰から?」
「えと、この旅に出る前の、会議で。」
「いえ、もっと前のはずです。」
ソフィアの目はぼくを見ていなかった。ぼくの背後にある何かを凝視していた。蝋燭が今までとは比べ物にならないほど揺れている。
「はい?」
「あなたはこの情報が少なすぎる旅に出る前日の会議で人神や神海の話を初めて聞いたのならばもっと動揺しているはずです。もっと前に、誰か信用できる人間から聞いたのではないですか?」
「もっと前、、、?」
よぎるハンスの顔。
もともとこの仕事はハンスが依頼してきた。
それがあれよあれよと進んで行き、気がつけば当の本人は行方知れず。
「友達、です。この旅を依頼してきたんです。」
「いいですか、ミハイルさん。
この世のどこにも存在しないんです。神海なんて場所は。
人神がいたとしてもそこは神海なんかではないんです。」
「どういうことです?」
さっきの怪訝な顔とは違い、ソフィアは同情の眼差しを、
ニーアオは俯き眉間に皺を寄せている。
「存在、しない・・・?」
旅の始まりは、旅の終わりをなくすことではじまった。
「この世のどこにも存在しないんです。
言い換えれば神海はこの世ではないんです。
この世には存在し得ないんです。
人神がいたとしてもそこはただの場所です。神海などではありません。
ただこの世ではないどこかにはあるでしょう。
存在することもあるでしょう。
しかしこの世には存在しないんです。」
「じゃ僕の友達は嘘をついたんでしょうか?
会議でも国のえらい人から頼まれたんですよ。それも嘘なんですか?」
ソフィアはゆっくり立ち上がり、ニーアオに何か目で合図をした。
ニーアオはそそくさとテントの外へと出て行った。
「ミハイルさん、もう今日は遅い。ここで一泊なさってください。
明日、私たちマンヘイムの【伝歌】を話して差し上げましょう。」
「伝歌?」
ソフィアは背を向け答えた。
「ある一つの“真実”です。」