
アートと芸術って違うの?一緒ちゃうん?
■アートとか芸術って結局なんやねん。
アートってなんだろうと考えた時、
パッと浮かんだのは「芸術」という言葉。
アート=芸術と訳されるがどこか釈然としない感じがする。
とりあえずまず「アート」に近づくために「芸術」とは
どんなものかを考えてみた。
調べるとフランスには芸術に順序があるらしい。
第1「建築」
第2「彫刻」
第3「絵画」
第4「音楽」
第5「文学(詩)」
第6「演劇」
第7「映画」
第8「メディア芸術」
と、この8つに加え、最近9番目に「漫画」が追加されたとか。
芸術って言われると、素人からすればかなり敷居の高いものに感じる。
●第1の芸術「建築」
第1の「建築」というのは素人からすれば意外である。
だって住むものでしょ?建築って家とか建物とか。
でもよく考えてみれば
ちょくちょくサグラダファミリアとかニュースになってる。
なんの建物かは知らないけど、とりあえず住む建物じゃない気がする。
となると、昔は建物でさえ何かを表現するための「作品」だった、
もしくはそうなり得たということだろう。
●第2の芸術「絵画」第3の芸術「彫刻」
ゴッホとか、ゴーギャンとか、小学校や中学校の美術の教科書に載っているような絵画だったり、なんであんなユルユルの布しか羽織っていないのか不思議なミロのヴィーナスのような彫刻であったりする。
●第4の芸術「音楽」第5の芸術「文学」
第4、第5の芸術とされる「音楽」「文学」はどうだろう。
例えば芸術的な音楽と言えばクラシックがパッと出る。
ショパンやベートーベン、芸術的な文学と言えばシェイクスピアとか。
夏目漱石や芥川、太宰などもそうだろう。
「芸術的な音楽」と言われてあいみょんや米津玄師などを
あげる人は少ないかと思う。
めちゃくちゃ好きな人で「あれはもう芸術の域だ!」と主張したい人もいるかもしれないが。一般的な芸術ではない気がする。
●第7の芸術「映画」
第7の芸術である映画は、
個人的に言えばまごうことなき芸術であると認識している。
しているが、例えば人気俳優を起用したいだけのなんのメッセージ性もない空っぽの映画はちょっと芸術とは違う。
それはおそらく確実に「エンターテインメント」であり
「商業的」、「娯楽的」な感覚である。
●第8の芸術「メディア」第9の芸術「漫画」
第8、9のメディア芸術や漫画も
映画と似たようなものであると感じている。
いろんなメディア媒体があるが、テレビドラマなどの娯楽性の高いものやyoutubeなどで商品紹介やドッキリなどを
展開しているものは芸術とは違う気がする。
これも映画と同じく「エンターテインメント」であり
「商業的」、「娯楽的」な感覚。
■結局アート、芸術って?
・アートって何か楽しくない?
アートと言われると、バスキアやアンディーウォーホルのように
わりとポップなものをイメージする。
学校の教科書ではみない(と思う。)
芸術っていうのは感覚的に
「前提とした技術や知識を持ってる人が楽しむもの」
というイメージに対して、アートは
「作品はもちろん作者や背景、世間への露出すべてにおいて刺激的なもの」のイメージがある。
個人的な解釈としては
【芸術=健全なもの】
【アート=不健全なもの】
異論はあるかと思うが、私は専門的に学んでいないので
あくまで私の実感、持論としてかんべんしてほしい。
芸術は教科書に載るぐらい子供に見せても説明してもよいもので、
アートは結構それが難しかったりする。
原因としては、「芸術」が学問であるのに対して
アートがそうではないからではないか。
学問である以上、技術的な教授が可能であるし、
美術評論家や芸術評論家など基準や評価が一定に担保されている。
それに対してアートは、技術的な教授は難しい。
バスキアのような絵を描いたとしても
バスキアのような評価を受けるとも限らない。
そこにあるメッセージを受け取ろうとしない限りなんの価値もない
ただの落書きである。
しかしその落書きに人は魅了され、時には高値がついたり、目に焼き付いてしまい、たくさんの人がワクワクしたりするのはなぜだろう。
・芸術は学問、アートは・・・
それは「アート」が「芸術」より「エンターテインメント性」や
「商業性」や「娯楽性」を含んでいるからではないだろうか。
アートが「不健全なもの」であると解釈したのは、
何も「悪いもの」という意味の不健全ではなく、
「攻めている」とか「センセーショナル」などの意味である。
学問である芸術に対して、アンチテーゼというかその学問性を否定するものではないかと思う。
人は、特に日本人は「学問」が真面目であるべきという
観念があるため、芸術とアートを分ける必要があったのではないか。
小学校の時、教科書に載っている裸婦像をみて
「エロ本だ!」と言った子がガッチリ怒られていた。
「エンターテインメント性」や「商業性」を含んでいるものは、
説明が不可能である。
何がおもしろくて、何が売れるなんてことは
はっきりと評価が難しいのである。
・アート=エンターテインメント説
ここで疑問なのは、芸術というのはずっと前から芸術だったのだろうか。
例えば裸婦像は、本当に「芸術的な意味」で描かれたものか。
当時の人はこれを見て、「すごい芸術だ!」
「これはこんなメッセージが・・・」
なんて本当に思ったのだろうか。
中にはエロ本を見る気持ちで見てた人もいたはずだ。
昔は今より女性の裸というものには敏感だったように思うが、
芸術ではわりとフルヌード的なものだってある。
勝手な解釈だけど、女性の裸を見たいがために
「芸術」だと言ったかもしれない。
下心でいっぱいのエロ本を壁に飾りたかったのかもしれない。
「芸術」と言われれば「まぁ仕方ないか」でよかったのかもしれない。
言いたいことは、エロ本を壁に飾りたいということではなくて、
実は今、芸術とされているものも当時は「アート」であったかもしれないということである。
だれかの「不健全」がだれかの心に刺さったのである。
この不健全というおもしろさはエロ本的なものだけではない。
教会の天井に描かれたでかい絵は物語になっているらしい。
まだ映像技術がなかったから、どうやって宗教のすばらしさを伝えるかと悩んだ結果、「でかい絵を描こう!」「天井に描こう!」となったかもしれない。
「絵画」といより現代でいう「映画」に近いかもしれない。
わざわざでかくなくていいのだ。
そこにはおそらく「でかい絵を天井に描いた」という
フックで人がたくさん集まるからである。
Youtube的には「自宅の天井いっぱいに絵描いてみた」である。
これはもう「エンターテインメント」である。
思うに「芸術」というのは、もとは「エンターテインメント性」の高い、
ある種「商業的な」意味合いも含む「アート」だったと考える。
その「アート」が「歴史」というエッセンスを得て、「芸術」に進化したのではないだろうか。
■まとめ
アートというものは芸術よりもっと「エンターテインメント性」が高く、
アナーキーなものだと感じる。たしかに芸術とされるものの中にもそういうものが多数あるかもしれない。
しかし「芸術」や「アート」の評価が「受け取り手の知識の含有量」と
「受け取り手の感覚」である以上明確な線引きは難しく、
明確に分ける必要もないから「芸術=アート」という括りにした方が都合がよいのかもしれない。
先に書いた教科書の問題は、大学を出てほとんど何の経験もせず教職の免許を取り、学校に赴任させられた一般の教師には、
「アートとは」を子供に教えることが不可能だから、誰かがどこかで「教えやすいもの」として「芸術」を選び、教え方まで指定しているのだろう。
その線引きというものが学校では「学問」がメインであるから、
「エンターテインメント性」の高い「アート」はなかなか壇上にあがらない。
一般の教師がエンターテインメントを教えることなんてできないからである。
さて、お気づきではないと思うが、私は最初の「9つの芸術」の中で触れていないものがある。
第六の芸術 「舞台」である。
この舞台芸術については次回、詳しく考察したいと思う。