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【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S21】

<Section 21 草木は踊る> 


砂しかないはずの地面にところどころ草木が混じっている。
もう甘く言えば森に入ったと言っていいだろう。

ぼくは達成感を感じながらも足も感覚も緩めなかった。
この森に住むマンヘイムの民は我々街人には好意的ではないからだ。
おそらく正当な理由でない場合は
そこで一貫の終わりということもあり得る。

慎重さをなくしてはいけない。
とは言えなくしたくてもなくせないだろう。

それは草木の混じった地面に足を踏み入れたあたりから感じる視線、
かなりの数の視線を感じるからだ。

それが人であるのか、動物なのか、
はたまたどちらもなのかはわからないがかなりの数の視線を感じる。

ぼくはズンズン進む。

これはぼくには罰なのだ。ルーパの件だけではない。
これまでぼくが出会い、ぼくが寄生し、
日常を奪ったかもしれない人々からの罰なのだ。

ぼくはそれを真っ向から受けなければならない。
死んだらそれまでだ。

ただ自ら死を選ぶことはできない。
未練や恐れではない。
ただぼくができることを、しなければならないことを
やり遂げなければならないからだ。

ぼくに日常奪われた人々は苦しんで死んでくれ、と思っているだろう。

残念ながらそれは間違いだ。
死はぼくにとっては救済だ。
すべて強制的に終了し、チャラにする究極の裏技。
命の輪廻に紛れ込み、現世での罪を洗い流し、
またどこかの世界に姿を現すかもしれない。
その時のぼくはとっくに罪なんて忘れて
綺麗事を吐き、誰かに対して礼を欠いた態度で接するだろう。

ぼくにとってはこの世で生きることこそがぼくにとっての地獄。
人の中で生きることこそ地獄。
ことあるごとにルーパや世話になった人の影を思い出し、恥ずかしさと申し訳なさが込み上げて足がすくんでしまうこの世こそが
ぼくには地獄そのものである。


ぼくのこの現世での行いは褒められるものではない。
もう一度やり直せるならやり直したいと思う。
思うがたぶん道は違えど同じようなところに立つのだろう。
やり直すだけ無駄なのだ。やり直してうまくいくほど賢くないのだ。

ぼくは周りからの視線を意識せず進んでいた。
ぼく自身の目線は目の前や数メートル先ではなく
もっともっと遠くにピントを合わせている。

足元に砂はもうない。
枯葉と折れた木々で覆われているのだろう。
砂を噛む音はもう聞こえない。

その代わり枯葉や木々を踏む音がうるさい。
まるで人気のあるカフェにいるようなガザガサという耳障りな音がする。

ぼくの目は急に数メートル先にピントを合わせた。

人だ。人がいる。

男の人だ。
向こうはじっとこちら見ている。
ぼくは足を止め警戒する。

男は黒いローブを纏い頭からフードを被っていた。
腰のあたりには武器と思しき長い獲物をぶら下げていた。
その獲物には右手が添えられていた。
不審な動きがあれば抜くことも辞さないだろう。


「ミハイル様でございますか?」

男は見た目のわりに礼儀正しかった。

「はい。街からきました。」簡潔に答える。

「歯車マップはお持ちですか?」

僕ははゆっくり歯車マップを見せた。
見せた、と言ってもただ握ってこれです、とアピールしただけだった。

「よろしい。」
男は獲物から手を離し、右手を上げた。
その瞬間かなりの数の視線が減った。
すべてではないが、意識しなければ感じ取れないくらいにはなった。

「ファダム様がお待ちです。ご案内します。」

男がフードをおろし顔が顕になった。
褐色の肌、青い目。
フードを被っていた時より迫力があった。

「ファダム様、というのは?」

「長です。この森の。」

「その長がぼくを呼んでるんですか?」

「呼ぶ呼ばないに関わらずこの森に入った者はファダム様が見極めることになっております。」

「見極めるって・・・。」

男はズンズン進む。
話しかけてはいけないのだろうか。
何もわからぬままとりあえず後ろからついていく。

畦道を抜け村の様相が濃くなり
チラホラと動物や人を見かけるようにはなった。

その間ずっと無言で歩き続けていた。

明らかに村というか一種のコミューンのような広場にたどり着いた。

広場の真ん中には大きなテーブルがありいろんなものが置かれている。
果物や野菜、鍬や斧、土器や釣具のようなもの。

この広場にはいろんな種類の人がいた。

男、女、子供、老人、青年、中年。

その人間たちが立ち話をしたり食事したり
何かを運んだりいろんなことをしている。

僕があたりを見回していると色鮮やかなローブに身を包んだ女性が
僕の腕を掴んだ。
びっくりして腕を引いてしまった。

案内してくれた男がそれに気づき、
「世話役のソフィアです。ファダム様が降りてこられるまでお世話いたします。」と言い人混みの中へと消えた。

ソフィアという女性の世話役は私を広場の大きなテーブルに案内した。
お茶が出てきて、食事が出された。

正直喉も渇いていたし、お腹も空いていた。
すぐにでも手をつけたかったが作法が分からず、
失礼に当たることが嫌だった。

躊躇しているとソフィアが
「どうぞ。お好きにお食べになってください。
街のような作法などここにはございませんから。」

ソフィアは僕の頭の中を読んだかのように適切な勧め方をした。

遠慮なくがっついた。
その間ソフィアは飲み物のおかわりを用意したり
僕が好きなものを先回りしてどんどん用意した。

さすが世話役に任命されるだけのことはある。できた女性だ。

僕はソフィアに話しかけてみた。
「あの、僕をここに案内してくれた方はどこに行かれたんですか?」

「ニーアオは村の【先生】です。今留守中の出来事の報告を受けているのだと思います。お忙しい方なんです。」

「へぇ。先生っていうと学校の?」

「いえ。この村で言う【先生】とは学士に教える者を言うのではありません。学士に教える者は【教士】と言いますね。【先生】とは、簡単に言うと長の次に村を治める者のことです。」

「じゃえらい人だったんですね。どおりで迫力があったわけだ。」

「ふふふ。仏頂面ですからね。ああ見えても民想いのいい先生ですよ。」

ソフィアの着ているローブ柄にはトカゲがあしらわれていた。

「あの、この柄素敵ですね。」

「これは三神の中のトカゲの神、レザールを模しております。ここの民は皆レザールの祝福を心待ちにしているのです。」

「トカゲの神に名前があるんですか?初めて聞きました」

「もちろん名前はありますよ。他の馬の神、ヒトの神にも個別の名前はあります。あなたにもあるでしょう?
ただ個別の名前に関しては宗教的教義の中で使用することが多いですから
あまり一般では口には出さないのだと思います。」

この後もソフィアとたわいもない話をした。
ソフィアだけでなく周りにいた民も話に加わったりして
きちんと客人としての扱いを受けた。

マンヘイムの民が好意的ではないなんて誰が言ったんだろう。
礼儀は弁えているし、朗らかで楽しい人々ではないか。

話がひとしきり盛り上がっているとテーブルの周りび群がる人混みの中からさっきの案内役の男、ニーアオがやってきた。

「お待たせしました。ファダム様がおいでです。ソフィア、お連れしてくれ」

ソフィアが椅子から立ち上がり、僕を促した。

群がる民の声を背に受けながらソフィアの後に続いた。
連れて行かれたのは大きなテーブルのあった広場から少し離れた場所、
長がいる場所とは思えない広場の端にあるテントだった。

「ここに長が居られるのですか?」
ニーオアもソフィアも何も答えない。

スッと先にニーアオが入り、
ソフィアが僕のためにテントの入り口の幌を上げてくれた。

僕は一応、遠慮がちに入った。
一礼でもすべきだったか。

その中はありきたりと言えば元も子もないのだけど
どの民族の、どの長の家にもあるような祭壇めいたものがあった。
蝋燭の火がユラユラ揺れ、
民族風の面や動物の骨などが呪術的に飾られている。
マンヘイムの民はスピリチュアルな要素が強いと聞いていた通りだった。

ただ、僕は驚いていた。
ありきたりな祭壇めいたものにではない。
蝋燭の火や動物の骨にでもない。

そこにあるべきもの、なければならないものがなかった。

いや、“あるべき”というと失礼にあたる。

“いるべき”人物がいなかった。

祭壇の前に置かれた分厚い座布団にはいくら見ても
誰も座ってはいなかった。

祭壇の横にニーアオは直立している。
いるべき長がいないにもかかわらず何も動こうとしない。

「ヌスクゥアムから来られたミハイル様です。」

ニーアオは私を紹介した。
誰もいない祭壇の前の座布団に向かって。


「用向きは想像がつきます。三神の異変についてでしょう?」

その声は後ろから聞こえたものだった。
ゆっくり振り返るとソフィアが立っている。
ソフィアが答えたのだ。

ファダム様という長に投げかけたセリフを、世話役のソフィアが答えた。

その意味は一つしかない。この森の長、ソフィアがファダム様なのだ。


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