見出し画像

あれから約一年が経ちました。

2023年のある個人的な事件から短期の生活保護と精神病院に行ってから、
約一年が経った。そこで今の私、狂楽亭ヒトリについて少し書いておこう。

■生活の状況

▶︎生活できているか?

生活はギリギリなんとかなっている。とりあえず生きるために支払わなければならないものは支払えている。
バイトもある程度定着してきて、月単位では安泰である。
しかしこれを年単位で考えると不安である。自分がいつまた不意にバイトを手放してしまうかは予測ができないからである。
今のところそういう予兆は限りなく少ない。
なぜならば自身のことをやる上で必要な資金が必要だからだ。
お金を払うことでできることや買えるものがやっと頭の中でつながっていき、できることが増えたり手に入れた上で自身の活動に反映されることが何よりも活力になっている。
言い方は良くないが、質を求めずある程度適当にこなして月にお金がもらえて活動資金になると考えればまだバイトを手放す気にはならない。

▶︎借金は?

借金に関しては返済はできていない。まるでノータッチである。
督促状が定期的に届き、見て見ぬふりをする。
今は返済ができない。
食うのでやっとだし、死なない程度に切り詰めて少ない活動資金を捻出しなければならない。生意気な言い方になるが、バイト代は一応事業資金としての側面もある。よって返済はいまだ無理がある。
2024年をある意味で大事な年としているので、ここで何か活路を見出さなければ来年はさらに大変だろう。

■精神的な面

▶︎映画が観れなかった日々をこえて。

精神病院で検査を受け自分が抱えるものの名称を知り、人と出会うことによってなんとか精神的に持ち返したうえ、気持ちだけは少しずつ以前の自分をとり戻しつつあった。しかし一時期、映画を観れなくなったことがあった。
それはすべての映画を観れなくなったわけではなかった。ずっと前から観ていたもの、自分一人で観たものは観れるのだがパートナーだった人と観たものや新作が観れなくなったのだ。
センチメンタルっぽいと言われれば否定はできないが、そんなロマンチックなものではない。ただなんだか観てはいけないという強迫観念、罪悪感に近い何かを感じていたのだ。
しかし今となっては観たい映画をちゃんと観れるようになった。
まったく何も思わないというわけではない。
躊躇したり、再生ボタンを押す指が止まることだってある。
それでもグッと力をいれれば観ることができる。
やっぱり映画は素晴らしい。
観れば観るほど何かを得ることがたくさんあって
どんな映画もちゃんと寄り添ってくれる。
私は映画を娯楽ではなく、芸術として心の栄養として捉えている。
今回もまたたくさんの映画に救われ、これからも救われ続けるだろう。

▶︎食事ができなくなった日々をこえて。

映画と同じように食事ができなくなったことがあった。
拒食とは少し違うかもしれないが、映画と同じように
“食べてはいけない”という強迫観念や罪悪感じみたものを感じていた。
その“食べてはいけない”というのは、“私が好きなものを好きなだけ食べるという贅沢”をしてはいけないんじゃないかと感じていたのだ。
さすがに何も食べないわけではなくて一日一食うどんのみ、最低限しか食べないという枷を自分に課すことで何かを許してもらおうと思っていたのかもしれない。
今は贅沢こそしないがある程度の食事はするようになった。
私が許されることと食事をするしないは大して繋がりはないと思うようになった。少しずついろんなことを割り切っていけるようになってきている。

▶︎唯一の癒しは・・・

癒しというか、私の心の最後の砦のようなもの。
それは飼っている猫である。
一般的な猫好きととってもらっても構わないが、動物を飼うことが始めての私の人生にとってはかなり大きな要素である。
この猫は元野良猫である。
ある施設の駐車場にはたくさんの野良猫がいた。
一定の人間がエサをあげたりするものだから駐車場が汚れていた。
そこである日、施設の人か行政かはわからないが野良猫を追い払った。
それから数日後、一匹の子猫が施設内に迷い込んだ。
その迷い込んだ子猫こそ今うちにいる猫である。
追い払われるときに、家族や仲間に置いていかれたのかもしれない。
逃げ遅れたのかもしれない。そんな彼を私が引き取ったのだ。
彼は野良猫特有の警戒心と自立心を持っており、あまりベタベタしたりしない。しかしことあるごとに私を相棒と認めてくれているような素振りをみせることがある。今の私の生きる理由の一つはこの相棒がうちにきてよかったと思えるように暮らしていくことである。

■今現在やっていること

▶︎小説 短編《真実と虚構の短編集》・長編《分岐するパラノイア》

ここ数ヶ月はなんだかモチベーションが保てず停滞中である。
一気読みしたいという稀な方は今がチャンスかもしれない。

▶︎Stand.fm《ひとりでもしゃべれるくんラジオ》

こちらも今は少し休んでいる。理由はいろいろあるのだが単純にもう少しクオリティを上げるにはどうしたらいいかで悩んでいる。
そもそもこのラジオは構成も台本もなくただ思いついたことをしゃべるだけなのだがこの方法はあまり受け入れられないようだ。
フォロワーもリスナーも増えないし、LIVE配信をしてもずっとひとりでしゃべっているだけである。そろそろ本意気でちょっとでいいから“やってる感”が欲しくなってきた。

🔽Stand.fm

▶︎セルフドキュメンタリー映画《嗤う狂人》制作中

現在、自分自身を題材としたドキュメンタリーを目下制作中である。

▶︎他にも、アクリル画や《AMOS(AmbientMusic Of Story)Project》という
アンビエントミュージックの作曲などがある。

もはや何の人かわからなくなっている状態である。
しかもそのほとんどが実入りのない、金にならないものばかりである。
もっぱら生活の糧はアルバイトからで、フリーターと言われても仕方のない状態である。

■これからのこと

▶︎現在やっていることをスケールする(確定)

・小説→Kindle出版
できることなら、というか目標としては2024年の6月か7月までには完成させたいと考えている。しかしやっぱりなかなか筆は進まず停滞している。
言い訳のように聞こえるかもしれないいが構想とメモ書き程度の文章ならある。それをきちんと話の筋が通るように調理し皿にのせるところがうまくいかないのだ。主に自分自身のモチベーションの問題なのだ。

・セルフドキュメンタリー映画《嗤う狂人》→国際的な映画祭へ出品
今制作している映画を大きな映画祭へ出品する予定である。
予定というか、決定事項でよほどのことがないぎり出品する。
しかし大きすぎる映画祭のため、何か賞をとったり話題になることなんてないだろう。ではなんのためにわざわざ映画を作り、海外の映画祭へ出品するのか。その答えは今制作している映画の中で知ってほしい。

▶︎新しいことへの挑戦(予定)

・〇〇○○の立ち上げ
これはかかねてより計画していることである。しかし資金面でどうしても不可能である。しかしバイトを始めて意外とみっちりシフトに入れられるものだから数ヶ月のバイト代を少しずつなんとかすれば意外とイケるんじゃないかと獲らぬタヌキの皮を数えている。

・〇〇○を設立
おそらく需要はあるものの、人数が重要で要件があるのでなかなか
動き出すことができない。悲しいことに人脈も人徳ないので賛同してくれる人や話を聞いてくれる人がほとんどいない。悲しい。
それでもなんとかしたいと常に策を考えている。

・そのほか
他にもまだまだ計画にすらなっていないアイディアの種が複数個ある。
それが実際の行動として表れるか、世に出るかはわからない。
ただ今の私には一筋の光さえあればそこへ手を伸ばさなければいけないという謎のカルマを背負ってしまった。
このアイディアの種も、いつかは姿形を変えて出現するかもしれない。

■問題は山積みだが同じくらいできることはある

借金の額も減らず、生活はバイトでしか稼げずギリギリではある。
しかしまだまだできることはあるようだ。
私には社会的に不可能なことがある。
借金はそのまま、督促が続いていて、
未納滞納未払いのせいでクレジットカードを作ったり、
ローンを組んで買い物といったことはほぼほぼ不可能である。
しかしまったく不可能というわけではなく、人よりも少し手数や工数をかけたり、金額に拘らなければ可能なことが多々あるのだ。

できないこととおなじくらい、いや冷静に考えればできることの方が
格段に多いはずだ。今の私ができないことは単純に人間が決めたこと、
社会の中でのお話。そもそも社会の外で生きる私に社会でできないことなんて気にする必要なんてなかったのだ。

あの時からやっと1年。
私はまた走ろうとしている。
私はまだ走ろうとしている。





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集