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【長編小説】分岐するパラノイア-schwartz-【C9】
<Chapter 9 大きな宇宙の中の矮小な話>
上村リョウという男がいる。
この男のことは中学の頃から知っていて、
高校卒業後は私がよく行っていたファミレスで働いていた。
たまたま私がファミレスにいて、上村は仕事終わりで厨房から出てきた
ところでお互いに気づき、それ以降よく集まりに参加するようになった。
彼がファミレスの厨房で働いていたのは料理人志望であったからだ。
彼は現在県外の店で料理人として働いている。
店が忙しく会う時間はなかったが電話で話を聞いてくれるとのことだった。
電話口の声は懐かしい感じがした。
軽い口調のなかに見える賢さが彼の持ち味だった。
彼とは当時から気が合っていたので話しやすかった。
本当に昔の友人になんとなく電話したような気軽さがあった。
とりあえず那実のことを尋ねてみた。
「それに関しては知らなかったなぁ。あの子、死んじゃったのか。」
「よく連れてた子でしょ?おれは2、3回しか見かけたことないなぁ。」
そうなのか。この男とはさほど絡んではいないのか。
しかしほとんどの集まりにはいたはずなのに
2、3回とはどういうことだろう。
「あん時のお前は酷かったもんなぁ。」
上村リョウは電話の向こうで苦笑いをしていたに違いない。
「荒れに荒れてたしなぁ。破天荒とか無茶無謀とか暴虐無人というか。」
たしかに当時の私は今と違って、かなり自分らしく自由に生きていた。
それはおそらくそれでよかったからである。
まだまだ社会というものにどっぷり浸かりきっていない、
世間を知らず、井の中の蛙同然だった。
そして歳を重ねる上で、いろんなことや、人や、環境の壁に四方を囲まれ、
身動きが取れなくなってゆく。
私は私自身のありのままの生き方をずっと否定され続けているような感覚で生きている。
あの時のように自由に気ままに生きてはいけないものかと本気で悩んでいる節すらある。
大人になるということが、自分を捨てることだと言う事をわかってなお、
私は私でいたいと思うのだ。井の中の蛙で何が悪い。
世界地図を広げればその井の中を覗く者でさえ“井の中の蛙”なのである。
東の果ての小さな島国。
そこに住むしがない小さなアジア人でしかない。
はたまた望遠鏡を覗けば幾万の星があり、
その果てしない宇宙に広がる小さな太陽系のたったひとつの
運がいい星でしかない。
片田舎に住む者、日本国の都会に住む者はもちろん“蛙”でしかなく、
その蛙が住む“井の中”を覗くアメリカや中国、ロシアといった大国でさえ
宇宙からすれば立派な“井の中の蛙”である。
想像の領域になるが、もし宇宙という次元より
もっと高次元の世界があるとしたら、
宇宙ですら“井の中の蛙”になってしまう。
上村は那実の死を知らなかった。
増山カホのように近しい人間から聞いていたわけでもない。
増山カホは“あのこと”の後から、
ほとんどの人が連絡すらしなくなった、と言っていた。
するとこの上村も、“あのこと”の当事者なのか。
“あのこと”があったから連絡を取り合わなかったのか。
ふと、疑問が浮かぶ。
上村はいつ県外へ発ったのか。
私は県外へ出ている事をこの件を調べ始めて初めてわかったことだ。
集まりがなくなる前までは確実にいたわけだから、
集まりがなくなり、みんなが連絡を取り合わなくなってから
発ったということなのか。
“あのこと”について尋ねてみる。
「なんかあったの?知らないけど。ただあれだけ好き勝手やってたんだから
他人の人生の一つや二つぐらい壊しててもおかしくないよね。」
彼は冗談のつもりで言ったのだろうが、私にはそう聞こえなかった。
上村は、“那実の死”も“あのこと”についても知らない。
“あのこと”はごく限られた一部の人間に起こったことなのか。
そうだ。ひとつ思い出したことがある。
20歳の時である。成人式の数日後に上村と会った。
その時はなぜか二人だった。
そして話題はやはり成人式だった。
私は出席しなかった。上村は出席したそうだ。
そして成人式の日、父親と二人住まいの自宅に帰り
自分の部屋でくつろいでいたところ、
隣の部屋にいるはずの父親から
「成人おめでとう」というメールをもらった、
というエピソードを話してくれた。
これはまぎれもない事実である。
私の家族は「おめでとう」の言葉どころかメールすらよこさなかったし、
成人式の日も普段通りで、上村のエピソードに感動したことを覚えている。
すると、私は20歳の成人式の年にはこの地元にいたことになる。
18歳で高校を卒業、そして大学を2年で中退。
私が地元にいてもおかしくないタイムラインだ。
おかしくはないはずだ。
その時、那実はいたのか?
いたに違いない。確実にいた。
なぜなら、那実と那実の友人である中村麻衣子が
“とある人物”に出会っているからである。
しかしこの“成人式”と“とある人物”というワードは私の記憶が“分岐”する
キラーワードであることは知っている。
上村とはたわいもない話で盛り上がり、電話を切った。
約20分の会話。
おそらくこれから先、
上村に電話をかけることもかかってくることもないだろう。
電話口の向こうから聞こえてくる楽しげな声が私の世界と
上村の世界を大きく隔てているような気がした。
言葉や口調では友達のように振る舞うことができる
立派な大人になっていた。
私の意味不明な話をうん、うんと言って聞き、
聞かれたことに残念な気持ちを与えぬよう配慮をした回答。
しかしどこか心はこちらではなく、電話口の向こうにあるような
まるで亡霊に話しかけているような気がしていた。
それは当然だと思う。
誰かも言っていた。
“ちょっと知ってる他人に成り下がる。”と。
彼はちょっと知ってる他人に対して、
きちんとした礼節を持って対応したのだ。
“あのこと”を知らない上村。
“那実の死”を知らない上村。
情報としてはゼロに近いのだが、彼の存在はきちんと私のバラバラになった
記憶パズルのピースの一つであることははっきりした。
しかし次はあの男だ。
私の記憶の最大の謎である男。
記憶のピースは次の男でまた、バラバラになる。