見出し画像

夜に、生きる。-夜行性の生き方-

■夜に生きるということ。

・朝型vs夜型

以前【朝型と夜型、どっちがいいのか】って話を書いた。
結論としては“朝型・夜型、結局はどちらでもよくて問題はどちらの方が効率の良いパフォーマンスができるか”である”ということで締めくくった。

さらに社会不適合者には、夜型が多い(という個人的な統計)において
働ける場所が限られるということも示し、労働時間の短縮や残業の有無よりもさまざまな時間帯での労働枠を広げるべきではという論も書いた。

この結論は変わらない。

今回はただの「夜型」ではなく、私のような「夜行性」という
【型】(style)ではなく【性質】(property)について書く。

社会不適合者には夜行性が多い。
“社会不適合だから夜行性”なのか“夜行性だから社会不適合”なのかという
卵が先か鶏が先か論になるだろう。

それは、基本的に人間が活動する時間、大きく言うと人類が活動する時間は陽のでている間と大きな暗黙の了解があるにもかかわらず、
誕生後も幼い頃も人間として、人類として朝から起こされ生活し、
学校などへ行くというほぼ“生態”とも言っても過言ではないほど定着しているにもかかわらずなぜか「夜行性」は存在するからである。

・夜行性で生きるということ
夜行性で生きることは現社会ではわりと難しい。
当たり前だが、ほとんどのお店は夜には閉店するし、役所も閉まる。
開いてるのはコンビニ、24hスーパー、ネットカフェぐらいである。
まぁ生きるだけならなんとかなる。

しかしほとんどの会社は朝から夜まで、連絡しようにも自動音声で営業時間の終了を告げられる。
生きるだけならなんとかなるが、生きるために必要なこと、仕事や手続きなどは夜はできない。(一部例外があるが、メイン業務ではないことが多い。)

俗に言う「夜のお仕事」に適正や興味のない者は苦しみながら生きることになる。
ちなみに「夜のお仕事」はライトなものからハードなものまで多岐にわたるが、決して夜行性の社会不適合者が逃げ込む魔の巣窟などではない。
「夜のお仕事」をされている方すべてが社会不適合者だと思わないように。
日本を元気にするすばらしい仕事である。

話が逸れたが、誕生してからすぐに「夜行性」である人間は稀であろう。
もしかしたら何かのきっかけで、「夜行性」に移行したのかもしれない。
その「きっかけ」のひとつの可能性として読んでいただきたい。

そして実際に私と同じように“夜行性”の方は自分の生態についても考えて欲しい。

■夜型と夜行性の違い

・ただの生活習慣なんじゃないの?
短絡的に考えるとそうなのだ。過去の生活習慣で定着したというのが一番の解であることは間違いない。

しかしあえてこの解を“通り過ぎる”。
無視して見ないことにして通るわけではなく、その解をも飲み込み新たな問いとする。

先に書いた通り、“人間は朝起きて活動するものである”という言ってしまえばテンプレートのようなものがある。人類が生まれてずっとしてきたこと。
そして生活する上で、習慣や環境において変わることがある。
例えば仕事の事情や、家庭環境であったりきっかけはさまざまである。
それを【夜型】と定義している。要するに【style】である。

たとえば夜勤が多い職種(夜警や医師など)が転職をして朝働くことには別段苦労は要しないだろう。
たしかに体調管理や時間配分など慣れることに時間はかかってもできないことはないだろう。できないとは言わせない。
そうやって社会は回っているはずだ。
この場合は生活習慣という【型】なのであり、変更や修正が可能である。

しかし私が言ってるのは【property】、性質である。
社会不適合者の“性質”である。
私も含め、朝は“人並み以下”であったりそもそも“活動ができない”という
【性質】である。

・変更や修正が不可能な性質“夜行性”
水を冷やすと氷になり熱すると気体になる、これが性質である。
変えようがないことである。
本来夜行性である社会不適合者にどんなに朝遅刻をするなと言ったところで、それは「水を冷やして気体にしろ!」という無理難題を押し付けているのである。

しかし人間の住む世界は朝が一日のスタートであり、夜行性の社会不適合者の方が無理して合わせなければならず、水を冷やして気体にするような難題を自分を殺しながら生き、できなければ馬鹿だ、能力が低いなどと罵倒され生きることになる。

夜型と夜行性の明確な違いは、変更修正が可能かどうかである。
さらに【型】というものは性質を表すものではなく、
区別をするだけものであると考える。

血液を区別するものは血液「型」であり、例えばA型が几帳面だとか雑談としてはよくあるものであるが、「型」によって個の性質自体が表されるという科学的根拠はない、もしくは限りなく怪しいだろう。

■夜行性だった哺乳類

・もともと哺乳類は夜行性だった。
ここからは少し大きな話をしよう。

米科学誌“ネイチャー・エコロジー・アンド・エボリューション”
(Nature Ecology and Evolution)に興味深い論文が掲載された。
イスラエル・テルアビブ大学(Tel Aviv University)のロイ・マオール氏(他)の論文である。

“最初期の哺乳類は夜行性動物で、昼間の世界を支配していた恐竜の絶滅後に初めて日中に活動する哺乳類が登場し、完全な昼行性に移行した最初の哺乳類は霊長類の祖先だったとする。”

要するに、哺乳類自体がそもそも夜行性であった。
恐竜の絶滅後に始めて日中に活動する哺乳類が登場し、その後昼行性に完全移行した、というものである。

“論文によると、最初期の哺乳類の祖先が出現したのは2億2000万~1億6000万年前で、爬虫類の祖先から分かれて進化した。
哺乳類の祖先はその頃から夜行性だったとみられるのに対し、
恐竜は昼行性で、現代の爬虫類のように体を温めるために日光を必要としていた可能性が高い。”

(AFP BBNewsより引用) 

現在でも昼行性の生活を送る哺乳類は比較的少ない。
ロイ・マオール氏はAFP BBNewsの取材に、
“現代の哺乳類のほとんどは夜行性で、暗い環境で生き延びるための適応性を有している”と、述べた。
“サルと霊長類は、鳥類や爬虫類など他の昼行性動物と類似した目を進化させた唯一の昼行性哺乳類だ”とも述べている。

・恐竜という大きな脅威。
哺乳類がそもそも夜行性であるのは、古代の哺乳類が食べ物や縄張りをめぐる恐竜との競争や恐竜から捕食される危険性をおそらく回避するために長い間、暗闇に身を隠していたためであるとされる。

その後恐竜は絶滅し、昼行性へ完全移行したのは恐竜という絶対的な捕食者がいなくなったいなくなったことにより捕食リスクが減少したからである。敵がいない、もしくは少ない状態であるから日中の活動が可能になったといいうことである。

恐竜という脅威があったから言わば仕方なく夜の闇に紛れ生活していた。
進化の過程において哺乳類、特に霊長類が昼行性に移行したのは、
安全でありそちらの方が生き残りやすかったのだ。

社会不適合者はどうだろう。
夜に活動域が多い“夜行性”の社会不適合者はどうして夜行性たり得るのか。

■社会不適合者が感じる“脅威”

・恐竜という“脅威”
人は生まれてすぐ社会に不適合ということはない。

生きていく中で違った価値観や思考、経験や知見において自身で得た結論が、他者とは違うことで不利益を被る。
理不尽な道理を押し付けられ、相性が合わなければつまみ出され、
「変なやつ」と罵倒される。
“社会”という圧倒的多数からの絶対的攻撃。
そんな生活の中で負の感情が蓄積され結果的に社会不適合者へと進化する。

言わば、社会不適合者にとって“社会”というのは陽の当たる時間を支配する恐竜のような存在なのかもしれない。
恐竜の捕食から逃れるために、恐竜が活動しない夜という時間帯にしか
活動できないように、“社会”から絶対的な攻撃を受けないために
夜の活動を本能で覚醒させたのではないか。
人は生きる上での脅威を感じた時、暗がりに隠れようとするのではないか。
まさに凶暴な恐竜たちから逃れ、夜に活動していた哺乳類の祖先のように。

社会不適合者に夜行性が多いのは、過去、そして今現在も“敵”や“捕食者”の存在を感じているからである。
それは本人の自覚のあるなしではなく、本能、もっと言えば、
恐竜時代から続く隠れたDNA情報なのかもしれない。
精神や心といった精神医学でもあり、実は本能や遺伝子といった問題も孕んでいるのかもしれない。

・脅威の中で生きる—適者生存—
現代は便利な時代である。
環境が昼行性であったとしても、どうにかこうにか夜の世界でも生きられる。さまざまなサービス、コンビニや24hサービスが夜行性の生活を支えている。
しかしそれはほとんど“消費”という活動である。
例えば何かを“獲得”しようとすると途端に難しくなる。

仕事は昼よりもカテゴリが限られる。
手続きの範囲は限定され、最終的には昼間にしなければならなかったり処理自体も昼だ。

夜行性の活動の多くは“消費”であり、それは現代の恐竜が見つけた
ある種の“餌場”であるかもしれない。

ネットや雑誌の中で語られる「不労所得」、「稼げる」などの売り文句で
“社会不適合者でも稼げますよ、この本を買ったら、この情報商材を買ったらすぐ大金が手に入りますよ。”と美麗美句を並べ夜行性を誘い出している。
現代の恐竜たちは夜に逃げ込んだ夜行性の哺乳類さえも捕食できる知恵を手に入れた。そんな甘い罠や絶対的な攻撃も受け切らなければない。

しかし、そんな時代ももう長くは続かないのかもしれない。
結果的に恐竜は絶滅した。
それは現代の恐竜も永遠ではなく、絶滅の一途を辿るしかないのだ。
以前書いた記事に「適者生存」というものがある。

もし環境にマッチしないものが生き残るならば、本来ならば現代の昼行性の哺乳類でありながら「夜行性」の性質を持つ社会不適合者は、
「朝から生活する」という環境からも生き残ることができるのではないかと考える。

■社会不適合者が生き残る場所

・夜行性は大きな優位性を持っている。
単純に社会不適合者はクズだ、と切り捨てることは簡単だ。
しかしその中にある「進化のタネ」をも切り捨てていることに気がつくべきである。一般人では見えない景色が見えている社会不適合者もいるはずだ。

そして昨今いろんな事情から「働き方」が変わっているという事例もある。そんな中、日本はまだ満員電車に乗り、
都会に出ることが出世や成功の第一歩だと信じ、
朝から働きタイムカードを切ってまで残業しようとする。

社会不適合者側からすれば、勝手にすればいいという話である。
私もそう思う。
そもそも社会の動きなんてものは爪弾きにされた“不適合者”には関係がないのだ。
そう思ってなおここに書くのは、社会不適合者ですら心が折れてしまっている現状があるからだ。

“受け入れられない社会不適合者”なら受け入れられないまま生きればいいし、“夜行性”のまま生きることだって可能である。
しかし解せないのは、そこに“逃げ隠れている”という感覚があることだ。

確かに哺乳類の祖先は恐竜から逃げ隠れた。
しかし私たちは哺乳類の祖先から幾年も年月を重ねたアップデートされた
哺乳類であり霊長類だ。

本能で逃げ隠れることは仕方のないことかもしれない。
しかし逃げ隠れた先は“夜”という素晴らしい世界である。
この点に誇りを持つべきである。

むしろ昼行性の者たちが絶対に活動できない、活動しない時間帯にしかできないことがその世界にはある。
ほとんどの“社会”がいったん停止する“夜の世界”で活動できることは
大きなアドバンテージである。

・減り続ける夜の世界
しかし問題としては、24時間営業や深夜営業が減っているいう話も聞く。

私が若い頃、“夜行性”である我々はファミレスに常にいた。
夕方から深夜までずっと居座るのだ。
そこが我々の居場所だった。
安いドリンクバーをタバコをおかずにガブガブ飲む。
そんな環境の中で我々は自身の存在の理由と同じ生態を持つ者の存在を確かめ合う。

いいことではないのかもしれない。
人件費等の経費であったり、ワンオペがどうのという問題であったり
“溜まり場”という印象がよくないイメージが定着することもある。

私は主要都市ではなく地方に住んでいるが、かなり顕著に表れていると感じる。深夜に出歩く人間がかなり減っている。
もっと言えば私がファミレスや深夜営業の店に出入りしていた世代と同じ世代はもう少なくなってきているのかもしれない。

明らかに“過疎化”という現実味のある問題へと発展している。

私たちの若いころはネットも今ほど普及しておらず、情報も今よりだいぶ薄かった。県外へ出るチャンスは学校卒業後の就職や進学がほとんどだ。
何をしに、何のために、どうやって県外へ出るのかが就職と進学を前提としてしか存在しなかった。

そのチャンスを逃してしまえば、地方の高校卒というだけではたいした職にはつけない。
地方は物価が安いとは言え賃金も低いから、生活費でカツカツ。
個人的に県外進出を狙うには資金が貯まりづらい。

がんばって貯めていても、結局は低きに流れる。
たいしたことない友人たちと飲めや騒げやに金を使う。
そうしないと毎日のやりきれない退屈を払拭することができない。

県外へ進出できた人もいるだろう。
それには明確な目標があったに違いない。漠然とでもいいのだ。

普通にしていれば否応なく地元企業を勧められる時代だった。
しかし最近は情報が溢れ、中高校生でも安易に自分の将来の進むべき道を
Googleで検索できる。

どの県の、どこにある学校へ進学すればよいか、どの大学で学べるのか、
どの県の、どの企業であれば希望の年収が得られるのか簡単に収集できる。
自ら進んで県外への道を開くのだ。

そうやって若年層は減り、深夜や24h営業の意味はなくなってくる。

しかし、“夜行性”の社会不適合者は違う。
その県外にも出れず、悶々としている不適合者は必ず存在しているにもかかわらず、最近は夜の街で見かけることは少ない。

彼らはいったいどこへ行ったのか。

・社会不適合者が生きる場所
ほとんどは県外、いわゆる大都市に出て行ったのだろう。
地方などでは「変な人」と謂れなき差別や迫害を受けることから逃げたのだ。文字面だけ見ればいい方法である。
自身が受け入れられる可能性のある場所への移動。
まさにいい解答である

しかし、結局は同じことの繰り返しなのだ。
社会不適合者が移動しているのは“社会”という大きな箱庭に過ぎない。

地元で「変な人」と言われ、何かの才能があると信じ大都市へ行ったとしてもそこには同じ考えの有象無象がごまんといる。
その有象無象の中に、本気で光を放つ才能の持ち主がいたり、
強運の持ち主がいたりで結局そのなかでは「普通」というレベルまで
落ち込んでしまう。

物理的な“場所”ではないのだ。
物理的な距離で離れても結局は同じ人間たちが集まってしまう。
そこは恐竜という“社会”のかっこうの“餌場”なのだ。

古代の哺乳類は大きく凶暴な恐竜から逃れるために“夜”を選んだ。
“夜行性”には“夜”という大きなアドバンテージがあり、
どの物理的な“場所”とも違う世界が広がっている。

変な人間を受け入れるところは決して“東京”だけではない。
いろんな人間がいること、入ってくることを想定したよく言えば寛容さ、
悪く言えばだらしなさが“TOKYO”という文化を形作っているに過ぎない。

どこにいても、夜の世界はある。
そこに変な人間たちが集まり、何かをすることを寛容さだったり、だらしなさの許容があれば第二、第三の東京は実現可能であると考える。

それに気づき、歩み出す人間が増えて欲しいと願う。

オメラスはもう崩壊寸前であることに喜びや希望を見出すべきだと感じている。

■まとめ

・夜行性とは性質のことであり、社会不適合者に多い。

・社会不適合者が昼行性の環境で生きることは難しい。

・そもそも哺乳類は夜行性であった。

・古代の哺乳類は恐竜という脅威から逃れるために夜を選び逃げ隠れた。

・社会不適合者も社会に対して大きな脅威を感じているからこそ夜行性になると考える。

・社会不適合者の生きる場所は変な人が多い大都市という物理的な場所ではなく、単純に“夜”に生きることができる。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集