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【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S5】
<Section 5 ミスターライトニング>
ここは植物と電気の街ノーフェア。
大きな木や蔓が張り巡らされ、その合間合間に人の営みがある。
そしてこの街には3つの神様がいる。
爬虫神と馬神とヒトの神エイデム。
爬虫神はトカゲの神様で、馬神はその名の通り馬の神様。
人神エイデムはヒトの神様。
それぞれに使える従者がいて仕事をしてる。
爬虫神はこの街の空気や気温、植物の調節など
生きるための基本的なことが仕事だ。
街の“喜怒哀楽”を決めているのが馬の神。
“喜怒哀楽”というとよくわからないかもしれないけど規則みたいなものだ。
誰かにこんなことをしてあげると喜ぶ、とかこれをしたら誰かが怒るとか。
そういう規則みたいなものを決めるのが馬の神。
そして人の神エイデム。
この神は3つの神様の中で一番頭がいいそうだ。
難しいことを考えたり決めたりする。
従者は5人いてどの従者も優秀だ。
ボクはそんな街の図書館の歴史書のコーナーで働いている。
この街や街の外の歴史を取り扱っているんだけど、
なかなか古いコーナーのためかすこぶるガタがきている。
本棚は右端と左端で高さが少し違うし、高いところの本をとるための
脚立だってギシギシと音をたてる。
ボクの仕事は歴史書の貸し借り、管理、そしてなによりも大事なのが
この街の出来事を記録する【記録士】の仕事。
これが一番大事な仕事。
「おう。久しぶり。ミハイル。変わりはなかったかい?ん?客かい?」
「あぁ。ちょっと待ってくれ。」
ボクはとある作家の作品リストを印刷していた。
コンピューター上に表示されている印刷完了までのバーを確認して
後ろにあるプリンターの方を向く。
その時はすでに用紙の半分ちょいは印刷されていて、
プリンターのお尻からだらしなく垂れていた。
用紙の端に手をかざして、下に落ちるのを防ぐ。
このタイミングを逃すと、なぜかいつもプリンターを置いている
棚の下にスーッと入っていってしまって二度と出てこない。
印刷した用紙をデスクの前に立つ客に渡す。
「はい。これ。お探しの作家の作品リストね。
他の国とかで出版しているものは載ってないけど。
それはまた別の手続きが必要でけっこう審査が厳しいんだ。
もし、このリストの中の本を全部読み終わって、まだ読み足りないならその手続きをやってあげるからまた声をかけてよ。」
やっと来てくれた彼は大事そうに絵本を鞄にしまい、
丁寧にお礼を言った。
次の客人に気を使ってこの場を立ち去る彼の背中を笑顔で見送った。
彼はその次の客人である大男に軽い挨拶をかわしていた。
「そちらこそお変わりは?ハンス。」
ボクの目線は彼の背中に余韻を残したまま、
“ハンス=リーベルス”という大男に言葉を返す。
この街のお役人さんだ。
ぴっちりとした制服に勲章をギラつかせている。
ハンスは相変わらずさ、とため息と一緒に答えた。
「今日はおめぇにやってもらいたい仕事があって寄らせてもらったんだ。」
「仕事?いやぁわざわざ来てもらって申し訳ないが仕事ならあるんだよ。
見ての通りこの図書館の歴史書コーナーがボクの仕事場さ。」
ハンスはデスクに積み上がっている本の一冊を手にとって
読むでもなくパラパラとめくる。
大きな手で本が小さく見えて、
今にもぐしゃっとなりそうでハラハラする。
「わかってるよ。大変な仕事なんだろう?休む暇もないって聞いたぞ。」
「まぁね。時間は常に流れているからね。
起こったことはきちんと【記録】しないと。」
ハンスから本を受け取り、一安心した。
あのままだと大切な本がこの大男のパワーで破れてたかもしれない。
「中には【記録】する必要のないことだってあるだろうになぁ。」
ハンスは見た目に似合わず心配性であり、肝っ玉が小さい。
性根はすごく優しく、子猫のような男だ。
すぐ他人の仕事を肩代わりしたり、頼まれると断れない性格だ。
それはハンスが女兄弟の中で育った末っ子だからかもしれない。
「そうだね。でもそれは僕が決めることではないからね。
僕は【記録】するのが仕事だから。」
「そうか。でもこの仕事やってみないか?
今の仕事を続けながらでいいんだ。むしろそっちのほうが都合がいい。」
「え?君もさっき言った通り僕には休む暇もないのに
そんなに時間はとれないよ。」
「あはは。そうだな。言い方が悪かった。別の仕事ってわけじゃないんだ。
平たく言えば昇進ってとこかな。」
笑ってはいるが、おそらく彼は悩みに悩んでここへ来たのだろう。
彼は人にものを頼むタイプではない。
頼まれることはあっても、自分から頼むことはない。
そんな彼が必死に取り繕い、何かを頼もうとしている。
「昇進?そんなバカな。ボクは昇進するほどのことはしていないよ。
毎日を記録してたまに書物を整理しているだけだからね。」
何か彼が頼まなければならないほど切迫しているのかもしれないが
さすがに昇進やら他の仕事となると深堀りしなければならない。
できることなら協力してあげたい気持ちはある。
「いやいや。実はね、おめぇが扱っているここの書物は
いろいろなところで使われているのは知ってるな?」
「あぁとてもありがたいことだよ。【記録】しててよかったって思う。」
「その書物を運ぶ係が何か得体のしれない病気にかかってしまってな。」
「ちょっと待ってくれよ。
それはボクにライトニングをやれってことかい?」
ライトニングとはこの街の花形職業だ。
この街で起こったことをボクが記録する、それをライトニングに渡して、
ライトニングはそれを各所に届ける。
届いた書物は各所でいろんなことを決めたり、
いろんなことをするときの参考資料として使われる。
記録することが間違っていたり、運ぶ時に書物に何かあったりすると
この街のシステムがおかしくなる。
だからボクの仕事はとても重要な仕事なんだけど、
それ以上に重要なのはライトニングの仕事だ。
危険な土地土地を回遊しながらその土地にあった書物を素早く届ける。
まるで“雷”や“稲妻”、“光”のようにすばやく届けることが要求される。
「まぁそういうことになるな。」
「ボクには荷が重いよ。できっこないさ。
ライトニングになるには相当難しい試験を何年もかかって受けるって
聞いたことがある。そんな仕事を僕ができるわけないじゃないか。」
「そんなことはないよ。おめぇならできると思うんだ。
でもおめぇにとっては安心することかもしれないが、
ライトニングの中の古参の連中がな、おめぇのいう通り
簡単にライトニングの仕事をさせるわけにはいかないって言うんだ。」
「ほら言わんこっちゃない。そっちが正論だとも。」
「だから一応前のライトニングの病気が治るまでの間だけって言ってみたんだ。」
「君というやつは勝手に話を進めてきたな。
それはもはや僕の意見は関係ないんじゃないか。」
「まぁそう言うな。そしたら向こうが条件を出したんだ。」
「条件?その条件を飲むのは僕かい?それとも君らなのかい?」
今の彼には皮肉さえ通じないようだった。
「その条件っていうのが
【ライトニングの業務においての書物の運搬】は“不可”。
しかし【前ライトニングが病に侵されたままこなしていた
期間の業務の修正】は“可”ということだ。」
「ん?どういうことだい?その前ライトニングは自分が病気になっていることに気が付いてなかったのかい?」
「そうなんだ。実はずいぶん前から病に侵されていたんだけど、
本人は気がつかないままだったんだ。
だから得体が知れないって言ったろ?」
ボクは言葉が出なかった。そんなことがあるのだろうか。
自分が病気になったことも気がつかず、そのままなんて。
「こんなことを言うとおめぇはショックかも知れないが、
おめぇが記録した書物が正しく運搬されていない可能性があるんだ。
それどころか書物自体に捻れや修正が加わっている痕跡がある。」
「なんてことだ。それは大変なことじゃないか。」
「そうなんだ。おれらライトニングだって何もしなかったわけじゃない。
なくなった書物を探したり、つなぎ合わせたり、
でも書物の原形がわからないから業務は難航した。
だからこそ原形を知るおめぇが適任だと思ったんだ。」
「確かに記録したのはボクだけど、
各所に散らばった書物を一から探し出して、
失われた部分も復元して原形に戻すのは大変な作業になるよ。」
「おれたちライトニングはライトニングしか持たないパイプを使って
たくさんの情報を仕入れた。
その報告のなかに不可思議なものを見つけたんだ。」
「不可思議?」
「あぁ。まず爬虫神の混乱。」
「爬虫神が混乱するわけないだろ?この街の根底だぞ。」
爬虫神が混乱するということは
おそらくこの街の生活環境に影響がでるということだ。
しかし、今の今までそんな影響は兆しすらなかった。
「次に馬の神。」
「おいおい。どういうことだよ。」
「馬の神の喜怒哀楽の低下。」
これも爬虫神と同じで影響があったかと言われると何もない。
「爬虫神に続いて馬の神もか。この街は大丈夫なのかな。」
「そして不可思議な点はここからなんだが、問題があるのは
爬虫神の混乱と馬の神の喜怒哀楽が低下したとされる期間の書物なんだ。」
「え?その期間だけ?」
「今はっきりとしている段階ってことで言えばな。」
「わからないな。書物の問題と神様たちの体調不良が
どう関係してくるんだよ。」
「おめぇはさっき失われた書物は探せないと言ったな。
そんなことはないはずだ。」
ボクはハンスが言いたいことの半分は理解していた。
でもあえてここは知らないふりやわからないふりをしておいた方が
このあと面倒なことに巻き込まれなくてすむと思っていた。
「いや。各所に渡ってしまった書物は各所で使いやすいように編纂される。
原形を保った書物があるのかどうか。」
これは事実だ。ボクが【記録】したものをライトニングが運ぶ、
その後はその記録がどう扱われるかはその場所次第なのだ。
「あるだろ。書物としては残ってないが中身を知る者が君以外に1人だけ。」
「そんな、書物を丸ごと知っている者なんて・・・まさか・・・」
ハンスは察したボクを見て苦笑いのような、困ったような顔をした。
「まさか、人神、かい?」