【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S26】
<Section 26 サーカスはミントとともに>
誰かが体を揺らしている。
呼んでいるのは僕の名前かな。
薄ぼんやりといかつい顔が目の前に浮かんでくる。
知っている顔だ。
それがニーアオだということにすぐには気づかなかった。
どうしてか昨日の夜のことを覚えていない。
頭痛いし吐き気もする。口の中がベトベトする。
いかつい顔がニーアオだと気がついた時には朝であることも認識していた。
「よぉく眠れたようだな。」
ニーアオは屈託なく笑っていた。
僕はベット座ったままサイドテーブル置かれた瓶に気が付いた。
手に取ると綺麗空っぽだった。
ひっくり返してラベル読もうとしたけど何が書いてあるか読めなかった。
ただわかることはわからない文字列の中に見え隠れする数字の数々。
その数字がアルコール度数を意味することは
このぼんやりとした頭でも理解できた。
「こいつが原因か。」僕が頭を抱えているとニーアオは大きく笑った。
「とりあえず着替えろ。あとで茶を持って来てやる。
一発でスッキリするからよ。」
ニーアオは肌触り悪い朝の服投げてよこした。僕は胸使って受け取った。
あまりにも雑な扱いだとは感じたけど懐かしい感じがした。
このニーアオという男はあのハンスによく似ている。
体大きく、大胆で、大雑把。
大きく笑うところも似ている。
そのくせ仕事となると精悍ば顔つきになりプロフェッショナルな顔になる。
それが理由で嫌な気分にはならなかった。
言われた通り着替えて表に出た。朝の村は活気があった。
広場のいろんなところから湯気が上がり、いい匂いがする。
子供たちが走り回り、たくさんの野菜入ったカゴを運ぶ女性もいた。
他は椅子に座り食事したり、話をしたりしていた。
「朝餉だよ。旅人さんも食うかい?」
小さなお爺さんが声をかけてきた。
「あ、いや。」
遠慮することにした。
すると小さなお爺さんの後ろからこれまた小さなお爺さんがやってきて
「おい。タミオ!そいつぁ昨日ニーアオさんにアレでやられてんだ。
まだ食いもん喉通らねぇヨォ!」
「あー!アレ飲んだんか?どんぐらい飲んだ?」
「あの、アレってお酒ですか?
気がついたら全部飲み干してたみたいです。」
お爺さん2人同時に大笑いした。
「全部か!やっちまったなぁ!」
「えぇ?飲まない方がよかったんですか?」
「いやそんなことねぇがな。ありゃ強い酒だ。
何日もかけて飲むもんだ。それを一晩でって。あっはっはっはー。」
かなりツボに入ったらしくひたすら笑っていた。
「妙な夢、見たろ?」
「あぁ。たしかに!」
言われるまで夢のことは忘れていた。
夢を見たことまでは思い出したが内容はまるではっきりしなかった。
「ほら、アンタ。ニーアオさんからだよ」
お爺さん2人の間を縫って膨よかな女性がコップを持って現れた。
「イッキに飲みな。スッキリするよ。」
「イッキ得意だろぉ?」とお爺さん二人がからかってくる。
「あの、これ、お酒ですか?」
そう聞いた途端またお爺さん二人は大声で笑った。
「違うよ。うちの畑で採れるミント茶さ。
“二十日酔い”にはこれが一番効くんだよ。」
「“二十日酔い”って。二日酔いじゃないんですね。」
早く早くと急かされて飲んだミント茶はミントの味はしなかった。
そのかわり口の中のベトベトと吐き気頭痛が一気に消えていった。
本当に喉を通って胃の中に収まった瞬間に消え去った。
言葉通りスッキリした。
「どうだい?スッキリだろ?」
膨よかな女性はにっこり笑ってコップを受け取り人混みに消えていった。
「おい!タキ!ウチにも二、三本ばかり付けといてくれよ!」
タミオとよばれたお爺さんが膨よかな女性の後ろ姿に向かって叫んだ。
タキよばれた膨よかな女性は振り返らず
「生い先短いジジィにはやらねぇよ。」と言いながら歩いて行った。
「兄さん、今度いっしょに飲もうや。またアレ持ってきてやっから。」
「アレってまたあのお酒ですか?もういいですよ。アレは!」
「なんだよぉ。ちゃんと量を守って飲めば大したことねぇぜ。」
しつこく誘われていたところをニーアオが声をかけてきた。
「スッキリしたか?」
ニヤニヤと笑っている。
「いちおう。」
皮肉を込めて返した。
ニーアオは一瞬笑ったが精悍な顔つきになった。
「ファダム様がお呼びだ。準備はいいか?」
またあの祭壇のあるところへ通される。
昨日と違って、ファダム様は村人の服ではなく
おそらく礼服を着ていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
ファダムは長い髪を結いながら聞いた。
その口には紙紐が咥えられていて、
まるで子供のような喋り方になっていた。
「おかげさまで。」
ちらっとニーアオを見たが一切こちらを見ていなかった。
「さて、お話ししなければならないことがたくさんあるのですが。」
髪を結い終わったファダム様は大きな座布団へ座りながら、
僕を自分の目の前の長椅子へ座るよ手のひらで案内した。
とりあえず僕も座ることにした。
ファダムはその前に、と言いながら後方の従者に何か合図を出した。
すると従者のうちの一人が木でできたトレーを持ってきた。
なんだろうと気になって少し腰を浮かす。
そこには僕のいたテントに置いてきたはずの【織守】があった。
「あ、それ僕の。」
「これは本来ならば昨日のうちに送信しておくべきものですよ。」
そうだった。要所についたら意味のわからない旅日記のようなものを送信しなければならなかった。すっかり忘れていた。
忘れていたというよりむしろ、それをやる前にあんな酒を飲まされて
眠りこけてしまった。
「知らずに強いお酒を飲まされたんだったらそれは仕方がないですが。」
ファダムは伺うようにニーアオを見た。
ニーアオは少しバツが悪そうだった。
「すいません。あとでやっときます。お話の方を先に・・・。」
「いえ、先に【織守】を。」
どうしてだろう。一瞬にして雰囲気がピリついた。
急に空気が重たくなった。
さっきまでの和やかな雰囲気はどこへ行ったのか。
「【織守】を。」
これまで子供のような喋り方や、思春期の女の子のような皮肉の言い方をしていたファダムの短い言葉はまるで老婆から発せられたように重く、暗く、
変な圧力があった。
僕はトレーの上の【織守】を手に取り、操作をした。
とりあえず無事森に入ったことと、ファダムに会えたと記した。
赤い点滅が青い点滅にかわり、数回で点滅が終わった。
その間誰も喋ることなく、操作をする私をじっと見ていた。
ちょうどこの森に入ったばかりのときに感じた
警戒心するような視線だった。
「終わりました。」
僕は上目遣いでファダムを見た。
ファダムはにっこりと笑い、また従者に合図をした。
従者は僕の前にトレーを突き出した。
なんとなく【織守】を置いたら従者はそれを奥へともっていった。
「さぁ、これでとりあえずは安心ですね。」
「安心?そんなに怒られることではないと思いますけど。」
「美味しかったですか?」
「はい?」
急に和やかな雰囲気に戻ったようで困惑していた。
「昨日の、」と言いながら瓶を傾けるジェスチャーをした。
「あ、あぁ。おいしいかどうかよりも眠気が先にきちゃって。」
「どうせ飲み方も聞かされなかったんでしょ?」
僕は愛想笑いで返した。
ファダムは笑いながら、座布団の横にあったクッションを
ニーアオに投げつけた。
「誰か来るといつも面白がって飲ませるんだから!ちゃんと飲み方教えてあげてよね!ほんとに危険なんだから、サーカスは!」
怒ってるように聞こえるがファダムは笑っていた。
ニーアオもすいません、といいながら笑っている。
「え、サーカス?」
「あ、あのお酒の名前、“サーカス”っていうのよ。」
耳の奥で楽しそうな音楽が流れた。