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【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S4】

<Section 4 図書館へ>



5階に住む老人が気になっていた。
本当に作家ならば、何かしらの本は出してるはずだ
書店にはなくとも、この街の出来事を記録しているあの図書館なら、と。

気乗りは全くしないが、行って確かめれば早い話である。

あの飄々とした、馴れ馴れしい男の世話になるのはいささか
気ががりではあるけれど、もう頼りはあの男しかいないような気に
なっていた。

図書館までの道中、何度も引き返そうと思った。
どんどんあの茶色いレンガで囲まれた要塞のような図書館が見えてくる。

その背後に馬鹿でかい電球がこちらを見下ろしている。
電球はチカチカと点滅したり、急にまばゆい光を放ったり、
かと思えばすっと光を放つのをやめてみたり。

この街の、いやこの国の誰もこの電球のしくみなんて知らない。
ただ、光やエネルギーを供給し続ける謎の大きな電球。

いつだれが創ったのか、はたまた誰かが持ち込んだものか、
なんのために、そんなことは一切わからない。

ただこの国の人はその電球に頼り切って生活している。
だれもその電球のはじまりを知らずとも、ありがたがり、
崇め、そして酷使する。

図書館に近づくにつれ、電球は大きな茶色いレンガの壁で見えなくなった。
電球も馬鹿でかいが、この図書館も大きな建物である。

図書館の入り口には衛兵が立っていて、人々の出入りを監視している。

この図書館はただの本の貸し借りをするだけの場所ではなく、
この国と街の情報が網羅されている。
悪用されると困るので、衛兵は怪しい人間がいないか
見張っているのだ。

しかし僕が知っているかぎりは“怪しい人間”を取り締まったという話は
一度も聞いたことがない。

衛兵も一度もそんな人間を捕まえたことなんてないだろう。

それはおそらく、3つの神様のおかげで“怪しい人間”なる者が
出現しないということかもしれない。

“おそらく”と“かもしれない”で推測を強調しておこう。

衛兵は僕には目もくれず、じっと前を見据えていた。
前しか見ていない衛兵2人の間にある扉を通る。

図書館の中に入るとまず目に飛び込んでくるのは受付。
長いカウンターに幾人かのスタッフが座っていて、
何やらコンピューターをいじったり、本を積み上げたり、
来館者と話したりしている。

この受付は大きなホールになっていてカウンター以外の部分は
何かの展示やイベントが行われている時もある。

今日は【この世に存在しない魚類展】という珍妙な展示が行われている。
存在しない魚類展はまた今度にして、受付の壁にある図書館の案内図をみることにした。あの男は歴史書コーナーだと言っていた。

歴史書コーナーを探すが、何せ広い、でかいでどこがどこやらわからない。
仕方がないのでぶらぶら歩いて探してみようと
壁の案内図から目を離した時、受付の若い女性スタッフが声をかけてきた。

「何かお探しですか?」

見た目は若く、幼く見えるがおそらく僕と同世代だろう。
声の質や、抑揚、振る舞いに経験を感じた。

「歴史書コーナーはどこですか?」

女性スタッフはニコリと笑い、かしこまりましたと言いながら
コンピューターに入力した。

「では、こちらをご覧ください。」
彼女は自分に向いていたコンピューターの画面を僕の方に向けた。

画面には壁の案内図と同様のものが表示されている。
唯一違うところと言えば、壁の案内図にはない赤い点が表示されている。

「この赤い点が現在地でございます。歴史書コーナーへ行くにはまず
あちらにあります“国家・郷土”というカテゴリーから入ります。
真っ直ぐ進みますと、【虹の渡し船】というコーナーがございます。
そちらを右に入っていただきますと、【四角い雲の遊牧民】のコーナーがございます。そちらを・・・」

「あ、もうけっこうです。なんとなくわかりました。」

まったくもってわからなかったが、
これ以上聞いていたら頭がおかしくなりそうだった。

女性スタッフはまたニコリと笑い、コンピューターを戻した。
僕は言われた通り“国土・郷土”と書かれた札に向かった。

そのあとはやはりぶらぶら探すか、と思っていた。
その時、聞き覚えのある憎たらしい声が館内に響いた。

「ヤァ!君ィ!来てくれたんだね。うれしいよ。」
例の男である。両手に本を抱えていた。

「こんにちわ。あの、今日はちょっと頼みがあって・・・。」
言い終わらないまま、男は歩き出した。
こっちだよ、と言わんばかりに目配せをしてズンズン進む。
僕も慌ててついていく。

「まずはボクのオフィスにきなよ。
それからゆっくり話を聞こうじゃないか。」

一応さっき僕が言いかけたことは聞こえていたようだ。

さっきの女性スタッフが言っていたわけのわからないコーナーの札が
見えた。どんどん通り過ぎ、一番奥まで辿り着いた。

そこはオフィス、というよりただの窓際だった。
窓を背にして、デスクが置かれている。

「どうだい?ここがボクの城さ!」
男は自信満々な表情だった。
デスクの上には名札が置かれている。

【歴史書コーナー・記録士・ミハイル=ステイグリッツ】

「さて。図書館嫌いの君がわざわざ来てくれたワケを聞かせておくれ。」
図書館の男、ミハイルは古い椅子をゆっくり引いて座った。
そして僕にはミハイルが座る椅子より少しだけ新しい
ソファタイプの椅子を勧めた。

「あの、この作家の本を探してほしいんですけど。」
あの老人の名が書いてあるメモを渡す。

ミハイルはそのメモをちらっと見て大きく息を吸い込んだ。
「この国には沢山の作家がいてその全てがここに貯蔵されてる。
それは紙媒体以外にもデータとかもあってかなりの量があるからなぁ。」

それは探すことが難しいということか、と不安になった。
「ちょっと待ってよ。検索してみるよ。」
受付のコンピューターより少し古いのだろう。
内部のファンが回る音がうるさかった。

「あ、一応いくつか作品があるみたいだねぇ。幾つかの短編と・・・
あれ、ちょっと待てよ。これって・・・。」
ミハイルは画面に顔を近づけた。

「ふふふ。これはすごい奇跡だね。
この作家の著書で君が今すぐ読める本があるよ。」

「え。あるんですか?この図書館に?」
すぐ読めるということよりも、
あの老人が本当に作家だったということに驚いた。

「ほら、前にアパートの前で会った時に
ボクが君に読んでほしい本があるって言ってたでしょ?
あれね、ずっとぼくの手元に置いておいたんだ。
君がいつ来てもいいようにね。」

ミハイルはニンマリと笑う。僕はこの笑顔が嫌いなのだ。

「その本がなんとこの作家の作品の一つなんだ。」
ミハイルは、デスクの引き出しから一冊の本を取り出した。

【ぼくのおとしもの】

「絵本、ですか。」

「とりあえずこれ読んでみない?
他の本は探すのに時間がかかるから少し時間をくれれば探しておくよ。」

「あ、いや時間がかかるんだったら結構です。なんか悪いし。」
探されたらまたここへ来て、この男と会わなければならない。

「いや、いいんだ。そんなに冊数もないみたいだし。
少しの時間で揃えられると思うよ。」

男は強引に絵本を僕の胸に押し付けた。もう手に取るほかなかった。

「えっとね、他の本のタイトルリストを印刷してるから
ちょっと待ってね。」

ファンがうるさいコンピューターをカタカタやっている。
リストはそんなに必要ないとは思ったが、僕はこの男の前では
口答えや意見はできない。言ったってどうせ聞かないだろう。

カタカタやっている間に、
僕のとなりに大きな体格の男がやってきて、ミハイルに話しかけた。
どうやら知り合いのようだ。
コンピューターから目を離さずその大きな体格の男と挨拶を交わす。

「はい。これ。お探しの作家の作品リストね。
他の国とかで出版しているものは載ってないけど。
それはまた別の手続きが必要でけっこう審査が厳しいんだ。
もし、このリストの中の本を全部読み終わって、まだ読み足りないならその手続きをやってあげるからまた声をかけてよ。」

リストを受け取り立ち去ることにした。お礼を言い、絵本を鞄にしまう。

大きな体格の男と目が合った。
その男はにっこりと笑い小さい声で「やぁ。」と言ったので、
僕も軽い会釈をした。

この男が役人であることは一目でわかった。
制服を身にまとい、左胸にはキラキラ光るバッジがついていた。

僕はそそくさとその場を立ち去り、帰路についた。

今、僕のカバンにはあの老人が書いた絵本が入っている。
そう思うと何か悪いことをしているような、スパイのような気持ちだった。

本人に尋ねることが一番だということはわかってはいるが、
以前のあの調子で話が噛み合うか心配だったのだ。

この絵本をあの作家が。

【ぼくのおとしもの】


彼が言った言葉が耳の奥で反芻される。

“何かをなくして、いや、もしどこかに落っことしたりしたら
君はワニの杖を探すかね?”

“ワニの杖を探そうと思えばまずどこに行くかね?
そりゃもう物語を紡ぐしかないだろう。”


彼は何か大切なものをなくしたのだろうか。
大切な何かを落としてしまって、
それをいまだに探し続けているのだろうか。
彼はその大切なもののために作家になったのだろうか。

空がうっすらと赤く焼けついている。
大きな電球の周りを鳥がぐるぐると旋回している。

夜に備えて少しづつ電球の光が強くなる。
鳥たちは気味悪がっているのかもしれない。

こんなものに頼っているぼくたちを気味が悪がって
あんな空高くを飛んでいるのかもしれない。

電球の光は見上げなければ見えない。
おとしものは、俯いてこそ見つかることもある。

赤く焼けついた空を夕焼けだとやっと気づいて腕時計を見た。

“オレンジは本当に時計仕掛けか?”

耳の奥ではまだあの老人の言葉が響いていた。

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