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【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S30】

<Section 30 森と本>

ここは図書館。
一般に言われる図書館とは少し違う。

もちろん本はたくさんあるのだが、本以外にも展示物やら
貴重な文化財などが保管されている場所でもある。

さしづめ図書館と博物館と研究所がまとまったものだと思って貰えばいい。

そんな図書館では今、歴史展が行われている。
この国、バシレウス共和国の歴史にまつわるものが展示中である。

そう。この国の名は“バシレウス共和国”。
聞き慣れないかもしれないがこのセカイのどこかにそういう国があるのだ。

おそらく君が思っている“セカイ”とはちょっと違う。
違う、というのは少し言葉足らずかもしれない。
君が存在している“セカイ”だけの話ではない、ということだ。

そういう“セカイ”があるってことを意識したことはあるだろうか?

今、ある数人がその“セカイ”を越えようとしている。
今いる“セカイ”から飛び出し、別の“セカイ”に踏み入れようとしている。

図書館に話を戻そう。
今、とある部屋の前に立っている男が3人いる。

老主、ロングロング=スリーム。
歴史書コーナー新米記録士、今は案内役をしているホンス。
そして、偶然と必然に流されこの場にいる男、
名をノイン=ロス。

今までは彼ら自身の体験として語っていたから
名前なんて知らなかっただろう?

これからは違う。
これからは僕が語ることにする。
僕が誰かって?それは追々わかるだろう。
どうしてかって?

おそらくもうすぐ終わりが近いからだ。
この場合の“終わり”というのは物語の終わりではない。

はっきり言っておくと、この物語は今もまだまだ続いている。
現在進行形で。
だから物語の終わりなんてのまだまだ先の話だ。

では“終わりが近い”とはどういうことか。
それは、“答えを知ってしまうこと”である。
今は誰も答えを知らない。
だから今は“答えを知るための物語”なのだ。

そしてもう一人紹介しておきたい男がいる。
この男は今、呪われた森と呼ばれる場所にいる。
名をミハイル=ステイグリッツ。

彼はさっきの図書館で記録士として働いていた。
図書館にいるノイン=ロスの案内をしているホルスの前任者だ。
今はとある件で呪われた森、【マンへイムの森】にいる。
そしてその森に住む集団の長からとんでもない事実を聞かされた。

この二人は、この“セカイ”の核心に触れようとしている。
でも簡単にはいかないだろう。
それが僕にはわかるのだ。

ミハイルはこの国の根幹である【三神】の異変の原因を探ろうとしている。
ノインはこの国に隠された秘密を知ることになる。

これは違うことのようで同じことである。
【三神】の異変とこの国の秘密は同じところにある。

さぁ。続きを語ろう。

ミハイルは、ファダムが言う【イマジナリーワールド】の意味がまだつかめていなかった。
このセカイが架空の話だとは思えなかった。

この国の歴史を【セカイキューブ】を軸に展開する話は理解できた。
おおよそ図書館で読んだ歴史本で知っていたこともある。
しかし【セカイキューブ】などという言葉は一言も、
まして【イマジナリーワールド】という言葉も
一文字も出ては来なかった。

今はそれを事実と思うしかないと思いながらも、
この世界が架空のセカイだとは思えなかった。

なぜなら現にファダムが語った歴史や歴史本で解説されている歴史が、
架空のセカイだという事実を邪魔しているからだ。
架空のセカイでありながら、歴史そのものが存在しているという矛盾を
ミハイルはどうしても拭いきれなかった。

その矛盾に気がついた時、ミハイルは自分にもその矛盾の種を持っていることに気がついた。
そっとズボンのポッケに手をやる。硬い何かが手のひらに包まれる。
ミハイルは覚悟をしなければならいようだ。

図書館にいる三人の男、ノインとスリーム、ホンスは
普段は制限がかかっている部屋を開いた。

部屋の中は壁も床も天井も全て黒で統一され、
展示物のあるところにだけスポットライトが当てられている。

広さは申し分ない。
いや、ノインは全ての部屋は見ていないが、この部屋は他の部屋よりも
確実に広く設計してあるという感覚だった。

ノインは文字通り生唾を飲み込んだ。

数分前に図に乗って老主に軽口に近い言動を放った自分が恥ずかしかった。
この部屋に入るだけでこんなにも鼓動が高まり、変な汗が出る。
案内をしてくれているホンスでさえ、凛とした顔つきを保ち、
変な汗なんてかいていない。
ホンスは慣れているのだろう、と自分に言い聞かせることだけが
ノインにとって変な汗と生唾だけで
この状況に立ち会うことを許している。

追い討ちをかけるように冷たい風が三人を迎える。
部屋の中は空調が効きすぎている。
普段人の出入りがないことを示している。
人が出入りして残す温度がまったく感じられず、
空調の言うままに冷えていく展示物たち。
触らずともわかる。
ここにある展示物はすべて冷え切っている。

「ここはね、1号クラスに該当する部屋、【電球】についての部屋だよ。」

スリームは部屋の中へ進み、
腰ぐらいの高さの棚に置いてあるいくつかの冊子を指先でなぞる。
その冊子に目をやると“電球から得られる農植物一覧。管理者の声。”
とかわいいポップ体で書かれていた。
その背景には、電球の根本の前で農植物を抱えて笑う
夫婦のイラストが描かれている。

どうやら電球が生み出す【農植物】についてのチラシのようだった。
ノインはその冊子を開きたかった。特に興味のある冊子ではなかったが、
このようなデザインのチラシは最近の街ではみかけなくなっていたからだ。

幼いノインが店や本屋などに行くと必ずレジの前や、
店頭に無料で持って帰れる冊子として置かれていた。

幼い子供は、そのかわいいポップ体や描かれた絵で漫画か何かと
勘違いして見かけるたびに持って帰ったものだ。

一種の懐かしさが込み上げる冊子だった。
ノインはホンスを見た。
見ただけではなく、触れていいのかと許可を求めた。
言葉を発することはスリームの手前できなかった。

ホンスは察しのいい男だ。
ノインの目の意味を理解し、手のひらで冊子を指した。
小さい声で軽めに「どうぞ。」と言った

この軽さに少し緊張が和らいだ。
ノインは自分が客だということを再認識した。
でもあまり図に乗るようなことは控えたいとも思っていた。

冊子を手にしてパラパラとめくる。
ほんの2、3ページしかない冊子である。
ノインは農植物に関しては何の知見も持ち合わせてはいない。

知っていることといえば、食べたり飲んだりできるもの、
中には薬品のような使い方をされるものがあるということぐらいだ。

「それは農植物に関する小冊子ですね。
以前はそうやって農植物を一般に普及させようとしてました。
ノインさんの歳なら覚えがあるのではないですか?」

ホンスが冊子を横から見て解説を入れる。

「確かに。私が子供の時こういった冊子を集めていた気がします。
このイラストが好きで。子供同士で交換したりしてましたね。」

スリームはそんな二人を微笑ましい笑顔で見ていた。
その姿をノインは目の端で捉えていた。
図に乗ったことをいつ怒られたり諌められたりするだろうかと
恐れていたが、そんなことはないのだと確信した。

これでまた少し緊張は和らいだ。

ノインはもっと確信を得たいと思った。
老主というものは、いや、このスリームに関してはそんなに畏怖を感じる者ではないことの確信を得たいと思った。

そこで勝負にでた。

「スリーム様、こういったデザインのチラシが減ったのは何か理由があるのでしょうか?最近街ではこういった小冊子は見かけないので。」

ノインはできるだけ、賢そうに、さも学者のように、研究者のように
興味津々を装って尋ねた。

「そういった小冊子はあくまでも農植物の紹介と普及が目的だったからね。
今では当たり前になったから必要なくなったってことだね。
逆に今では当たり前になりすぎて、誰も農植物の生産システムに
意識を向けなくなったってことはあるかもしれないね。」

スリームはごく自然に返答した。
ノインは勝負に勝った気がした。
でもそれはほんの一瞬、刹那の勝利だった。

「それとね、君。そんなものには露ほども興味なんてないだろう?
私を試すようなことはやめてくれないかい?」

ノインはこの部屋の空調は寒すぎることを忘れていた。
ノインの変な汗は一瞬にして空調の寒さと手を組んで
寒さへと変貌する。

スリームの言葉は、熱と汗を奪っていった。






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