「夏と花火と私の死体」、刈り上げガールと、乙一。
乙一、という作家の本を初めて読んだ。なぜ今、急に?というと、新しく出会った美容師さんに勧められたからである。
私はこないだ自分が書いた小説に触発されて、本当に頭を刈り上げたくなってしまった。
で、中だけ刈り上げたいと主人に相談したら、もってこいの美容師さんがいるとのことで、行ってきた。ご本人も刈り上げ歴20年というナイスキャラの姐さんだった。
で、私は生まれて初めてこめかみあたりにバリカンをあてられ、ヴィーーーンと言う音を耳元に叩きつけられながら、「本屋さんで働いてるんですね。あたし若い頃読書にハマってたんすよー。高校生からハタチくらいまで。なんか怖い話ばっか読んでて。いつ人が死ぬのかなーっとか思いながら。やばいっすよね、乙一とか知ってます?」と言われた。
それで、なんかそのギャップが面白くて、読んでみようかなと思った。その姐さんは、中はグレイ、外は茶色に髪を染めて、三つ編みポニー。それもフィッシュボーンとかシニヨンとかのゆるふわ女子な感じではない。どちらかというとチャイナドレスで拳法でもやってそうなキツめのの三つ編み(とはいえ中はかなり刈り上げてるので量は少ない)で、大地に両足をどっかりとおろして大きく笑いながらバリカンを構えるその姿は、中性的でヘルシー。週刊少年ジャンプに出てきそうな裏表のない少年的明るさを連想させ、第一印象では、読書とはあまり縁のなさそうなイメージだった。
デビュー作の「夏と花火と私の死体」をおすすめしてくれたので、さっそく買って読んでみた。
読みやすく、一気読みした。この物語の面白いところは、「死体の目線で描かれている」というところだ。語り手は死体。その死体とは、殺された少女なのだが、恨みとか妬みとかの感情は全く感じさせず、淡々と死体の周囲で起きる出来事を語っていく。
驚くほどではないけれど、面白かった。
でも、読み終わった後に驚いたことがあって、それはこの小説が、17歳の乙一による作品だということ。
17歳というと私が小説を書き始めたのと同じような年代だが、私の場合はとにかく「自分」にまみれていた。こんな風に自分と遠い設定で(なにせ主人公は小学生で、しかも死体)物語を書くなんて、思いもよらなかった。
そう考えると、小説を始めた根っこのところからして、エンタメじゃなかったんだな自分は、と思ったりもした。だからと言って純文学かと言われれば、そんな大層なものではないわけだが、エンタメだったらもっと読者目線でどう見せるかを考えなければいけないところを、自分に翻弄されすぎであった。劣等感とか罪悪感とか憧れとか、「自分自身の感情の吐露と昇華」が小説を書くエネルギーだったと思う。
17歳とかでこんなに客観的に、ストーリーを組み立てて、スリリングさを演出して、見せ方にこだわってきっちりと創作の物語を作って、最後まで感情に流されないというのは、すごいと思う。
が、文庫版の解説を小野不由美が書いているのだが、「17歳だからすごい説」には釘を刺された形。
小野不由美によれば、「作品がそこにあるということだけで、それを書いたのが17歳だから評価が上がるとか、60歳だから評価が下がる、とかいうものはないのだ」というのである(とはいえ乙一の場合はちょっと例外、と続けてはいるのだけれど)。確かに、そういうところは公平であるべきだと私も思う。
でも、17歳という時代を経験した大人にとって、あの年代にこれを書くことの異質さみたいなものは、やはり無視できない。というようなことは20年以上も前に議論されたことなのかもしれないけれど(この小説は1998年のものだ)、今読んだ私でもそう思う。
とにかく個人的には、自意識からの明確な距離と、結末まで感情に流されない怜悧さみたいなものに感銘を受けた。
や、だって100%のハッピーエンドはちょっとダサいにしても、40%くらいのところで落ち着かせようとか、ちょっと希望が香るくらいに…とか、17歳の私は思っていたよ。ていうか、今でも思っているくらいだ。でも、うおおそっちのラストか!振り切ってるわ、感服。と、私は思ってしまった。
ちなみに私が中学生の頃に、乙一の「GOTH」とか山田悠介の「リアル鬼ごっこ」とかが流行っていて、私だってその時から乙一にハマる可能性だってあったわけだけど、私は松岡圭祐にハマっていて、「催眠」とか「千里眼」のシリーズを片っ端から読んでいた。それから、図書館で適当に選んだ本がたまたま長野まゆみの、女性同士の恋愛の物語だったりして、当時はそれを読み通すことが出来ずじまいだったけれど、こうして大人になったいまでも、あの本は長野まゆみという人の本だった、ということを不思議と覚えている。
中高生というのは多分、刺激が欲しくてしょうがなくて、読書によってその欲求が満たされた経験があると、本というものに対する期待値がグンと上がる人も多い気がする。私はそれほど読書家ではなかったが、図書館で知らない本を適当に選んで読むのが好きで、読みきれないほどの物語がそこにある、本は読んでも読んでも終わりがないんだということに、妙な安心感を覚えていた。本に対する憧れと期待値は、その頃から持っていたような気がする。
なんにせよめでたく刈り上げ女子の仲間入りをした私は、次回の美容室で、またバリカン当てられながら乙一の話をするのが目下の楽しみである。