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”恋人ではない"私と彼の生活

私の職場へ車で15分、彼の職場へ徒歩20分。
築4年、駐車場無し。
そんなワンルームでの私と彼の生活。

始まりは多分、私の車の故障だった。
ただでさえすっからかんなお財布に打撃を食らった私は、かなり疲弊していた。

そんな様子を電話で逐一聞いていた友人の彼。
以前、静岡で働いていた職場の同僚だった7つ年上の男性だ。
――と言ったが、短い期間ではあったものの、いわゆる「元彼」である。
「転職して、そっちに行こうかな」
経済的にもその方が楽でしょ、と軽く提案される。
ご飯なら2人分作って折半する方が安く済む。一理あるかもしれない。
「あなたがそれでもいいなら、私はいいけど」
「ん、仕事探すね」
 こうして、あっという間に彼は静岡から石川まで追っかけてきてくれたのだった。

彼が有給を消化し始めてからは、
転職先が決まるまで私の家に転がり込むという形に。
その後、住居を共にするかどうかは、仕事が決まり次第。

なんの不都合も感じず、同居生活が続いていく中、急変化が起きる。
私が適応障害になったのだ。
へとへとで家に帰ってきては泣き、朝起きては仕事に行きたくないと泣き。
ボロボロになっていく姿を、彼は間近で見ていた。

そんな中、順調に彼の次の職場が決まる。
給与面でも、勤務時間でも、前の職場より待遇が良い。
こんなに安心なことはない。

「一緒に住もう、その方が助かる」
区切りを告げたのは私からだった。

あの時、ひとりで生活するには、心も体も限界を迎えていた。
私が生きるのを止めないように、見張っていてほしかった。

「同居人」私がそう呼ぶ「彼」は、
学生時代、カウンセラーを志して心理学を学んでいた。
おかげでうつに対する知識も、理解もあった。
尚且つ、私の生い立ちや考え方まで知っている数少ない大事な友人である。
あの時の私にとって、それがどれだけ救いだったか、計り知れない。

私と彼は、恋人ではない。

彼は、私のことを女性として愛してくれている。
でも私は、彼のことを男性として見られない。
心の深いところまで踏み込んでもらった結果、
限りなく家族に近い存在となってしまったのだ。
でも彼は「それも想定内」と言う。
その覚悟があって、踏み込んでくれた。
私がどんなに人生に絶望を感じても、いつでも抱きしめ落ち着かせてくれた。

だから私は、彼のことを「パートナー」という存在だと名付けている。メンターと言ってもいい。

私たちは男女の関係もなく、同じベッドで眠る。
お父さんと娘が一緒の寝室で眠るように。

そんな関係性が、あってもいいだろう。

「ねぇ、明日は何する?どこ行く?」
「ご飯の買い出しと、お風呂掃除。あ、駅に買い物も行きたい」
「じゃあお昼はお寿司でも食べよっか」
「やったー!」

私と彼の、なんでもない日常。

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