感情に名前をつけることは私達が思ってるほどいいもんじゃないのかもしれない
このところ、私の感情を表す言葉が見つからない。まぁこの気持ちの正体すらわかっていないのだが。そもそも感情なんて、十人十色で、わたしのかなしいとあのこのかなしいが同じものかなんてわからない。言葉に出して人に伝えるにあたって、感情に名をつけるしかないから、これまでの経験則に従って、一番近しい名前をつけているすぎない。その経験だって、誰一人同じ経験をした人などいないのだから、その名前のつけ方があってるかなんてだれにもわからない。
私は最果タヒさんのこんな一文が好きだ
『感情は名をつけたら俗物になるんよ』by最果タヒ・空が分裂する
なんとなく沸き上がってきた感情に名前を付け外に吐き出すことで、すっきりしたり、その感情をよりクリアなものにできると信じていた。でも、最果タヒさんが言うように、感情に名をつけることは、私だけのこの世界でたった一つのオリジナルの気持ちの角をそぎ落とし、それを吐き出すことで、唯一無二だった気持ちを一般化してしまう、ものすごく貧しいことなのかもしれない。
とはいっても、言葉にして誰かに伝えなきゃ、困っていても誰も助けてはくれないし、晴れない気持ちもある。名前を何となくつけることで、正体を明かした気になれ、前に進めることもある。吐き出すべきものは吐き出し、自分の中で愛でておくだけで十分心が足りるものをは内に秘めておこう。それがきっと私の気持ちを保存しておく一番美しい方法だから。
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