他人への同調は思考や決断の外部委託
2020/02/12メモ 思ったことの羅列です。思考関連が多い気がします。
他人に合わせるってつまり思考や決断の外部委託だよな
相手にわかりやすい文章書くにはピラミッド構造にするのが大事という旨のバーバラミントの書く技術を少し読み始めたんだけど、こういう西洋発のコンテンツに触れる際どうしても、東洋人として、ナナメから見てしまいがちなんだけど、西洋と東洋で言語形態にちがいはあれど、双方構造化するとピラミッド構造にはなるから、結局をそれをトップダウン式に話すか、ボトムアップ式に話すかの違いなんじゃね?と思った
凡人だから人より多く思考なきゃ!だけど凡人すぎて24時間じゃ不十分!30時間くらい考えなきゃ!あっ人より早く思考すれば良いだけじゃん!!!名案!あっ凡人だからそんなの無理だった!
〇〇と一緒のにするよ~、××と同じ意見です~は思考の放棄だかんな。いや常にというかそういう側面はあるよねって意味だけど。
なんか気に喰わないとかいう感情論じゃなくて、みんなが同じ方向向いたら危ないから、反対意見も言ってるだけだもんもん(たぶん、、?)
わたし怠惰人間だから、人が10行動するところ3しかしたくないけど、人の3倍思考すれば、得られる学びの量は一緒だからいいもん。傷つく量も減らせるじゃん?でもそのためには思考力が必要だな。あ、、
説明者の考えの並べ方が、読み手の頭の中の理解プロセスとうまくかみ合っていないから、うまく伝わらない?なるほどね。よくよく考えると、私のゼミ発表、基本、私の思考の軌跡をそのままの流れで要約したものだから、割といい線いってね?気のせいか
考えに考え抜いた結果、結論がシンプルでありきたりでも、たとえ既存のものと同じでも、別に革新的でインパクトがあるものでなくとも、その過程についてちゃんと説明ができるのであればよくね?
難解なものを説明された際に、よくわらないの一言で一蹴りするのはよくないけど、でもオーディエンスは基本、その難解なものを研究していない一般人だから、わかりやすくする必要はやっぱりある程度あるよね。みんながみんなが、複雑なものを単純化せず複雑なまま理解できわけではないし。
いくら修練積んで深く思考できても結局それを素早くできないと、瞬時に反論できないし、質問されたときに自分の中でのベストアンサーできないから、速さ深さ両ベクトルは、思考訓練において必須事項だなぁ
考えること自体は好きな方だと思うけど、あくまで今、考えることが好きだと思えてるのは自分の興味に関連することや普段自分の周りで起こる身近な現象しか考えていないから好きだと思えるわけで、まったく興味がないトピックに対しても、ただただ思考という行為が好きだから、内容に関係なく楽しいと思えるかと聞かれれば全くそんなことないので、研究やその手法自体が好きというよりも自分のもやもやを説き明かしたい、後者側だなわたしは。だって自分が思いつくことって自分の実生活の経験の範疇をでないから(確かに他社の記事やネット、文献からは可能だけどそれを読む時点で自分の興味と何らかの関連性はある)、強制されてるものがない今の状況での思考って、自分に関連したことだけなんだよな。だから自ら進んで自らのためにできるんよな
>上記記事一部抜粋
文科省が追求する制度改革の趣旨は、これまでのように「知識」「技能」だけでなく、新しい入試において「思考力」「判断力」「表現力」についても評価するというものです。その観点で考えると、記述式の導入は論理的には方向性は正しいわけです。しかし問題は、それを55万人の受験者に共通で受けさせようとする場合、公平な形で導入できるのかということです。この問題を要素で分解すると、「同時に」「同じ問題を」「記述式で」「55万人分」「数日間の採点期間で」処理することができるのか、とうことになります。これらの要素が同時に満たされないから、今回撤回になったわけです。では、この要素のまとめ方を工夫して、「55万人分、同時に同じ問題を」と「記述式で、数日間の採点期間で」に分け、前者を前提条件に、後者を達成目標に設定して考えてみると、どうでしょうか。「採点者の人数」と「質」の同時確保が問題になることがわかります。(抜粋終)
共通テストに関する記事、なる。そうやって考えるのねってなった。あたしも色んな思考法で自分の引き出しをいっぱいにしておきたいものだよほんと
考えるのに技術が必要であれば、愛するのにも技術は必要だし、考える技術の習得・洗練が必要なのであれば同様に、愛する技術の習得・洗練だって必要かもだよね。その手段は違えど。知らんけど。
私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。