人生がおわらない
死ぬのをやめた。
人生意外と長かった。
10代で「25までに死のう」と考えていた。
私は来年で25歳になります。
生きるのなら20代後半には成功した人間でいたいなと思っていた。
「努力してきました」就活で散々言ったセリフは
他人に「努力してきたとか、言い訳しない方がいいよ、結果が伴ってないから採算つかないよ」
といわれた。
今、卒業論文を書いています。
今まで2年以上かけて研究してきた鬱と自殺についての集大成。
2年前、これを作るまでは死ねない、これを作ったら死ぬんだ、と思った。
結果は分からない。分からない中で私がやっていること、正解なのかいつも分からない。たいてい、いつも後になって間違っていたと思うような気がする。
自分の価値を自分で守れないから「いいね!」に頼ろうとしました。だめでした。自分を自分で認められないとこの先生きていくのはキツいんだと思います。
でも私には守りたい人が出来ました。その人を悲しませたくないと思って、それだけで生きています。aikoばかり聴いて。
できるなら私はネットアイドルになって、早めに自殺をして神格化されようと思った過去がありました。凡人にはそれは許されないらしいです。
小学生とかからクラスの中で1番絵が上手いのは私だって、ルックバックの主人公みたいな生き方をしてきました。
「そんなプライド捨てたら?」
多分私の事なんて何も考えて無いそのセリフは深く刺さりました。プライドなんて持ってても何もない、徐々にそれはすり減って何も無くなる。そう気づいたんでした。根拠の無い自信も大事だと思ってたけどこれからはそれが通用しないんだと思いました。
でも、根拠のある自信ってなんですか?
地位がそうさせているんですか?
私は来年25歳になります。
20代の節目。
これからの事を考える。
螺旋階段が続いて私は目が回る。屋上まで辿り着けずにまだ登っている。
息切れして、踊り場で休んでを繰り返している
景色が回って目眩がします。
卒業制作は私にとって本当に大事な、人生を変えたいようなものでした。でも実際やっていてこれで合っているのか、分かりません。
映画も論文も、見られない限り何も起こりません。その人がアクションを起こさない限り何にもなりません。
鬱と自殺を扱うにはまだ私は未熟者すぎたかな、とも思っています。そう思いながら論文を書いていて、手が止まってしまいました。
これがまた評価されなかったら、と考えてしまいます。
気づいたら外は寒くなっていました。
また寒くなっていました。
部屋にいると何も分からなかった。
毛布にくるまって、動画を垂れ流して眠ります。
頭皮から嫌な匂いがするまで風呂に入れていません。部屋も片付かない。
今日もまたフォロワーが減りました。
いつまでこんなことをしているんでしょう。
先生は言いました。「きっと社会に出たら変わると思います」
そうなんですかね、それ、信じていいんですか?
接客をしているうちに「30代なんてまだ若い」と思うようになりました。
来年、25歳になります。
周りは結婚していってます。
苦し紛れに送った「おめでとう!!!」は宙に舞ってシャボン玉みたいに消えていきます。
この佳境が終わればと思い続けてもう25年経つんですって。
安心で安全な空間で健やかに生きられる未来があったらいいのにな。
私は「神様が脚本を間違えている」と思うのでした。
享年25歳になるつもりでした。
私は、多分来年も生きています。