【小説】強風のバーサーカー1
芝生の上で大の字に転がった。多少、疲れを感じていたのと、思いきったことも今ならできそうで。顔の側に濃いピンク、れんげ草の花があった。
空には雲……。明度の高い青色の中に浮いている。
誰も別れには来ない。ドラマであるような逆転もなさそうだ。
三月半ばまで誰にも秘密だった。父の、気難しくしている様子を見ていると、そうした方が良いと思ったから。でも、最終的には友達の皆に伝えたのだが。
遥か西の地方へ行くことを。
観光旅行の他では、初めての土地だった。
それなら、こちらから最後の挨拶に向かうか。考えつくと同時に決めてしまって、すぐさま身を起こした。進まない片付けから逃げたいだけかもしれないが、自転車に飛び乗りこぎ出す。
強い風が、吹いている。時折、向かい風となり、横からも邪魔をする。春の風物詩。
通学路を進んでいく。闇雲でも体が覚えている。四月からは意味を為さない経験知。
―風、強すぎて。
流行りの歌を一フレーズだけ、無駄に繰り返す。
もう市立図書館も使えない。蔵書が変に充実していた。
小説に出てきた、謎多き貴族。旅の途中、ギリシャで殺人を犯し、自らも命を落とした。しかし、主人公が帰ったら普通に生きていた。
そのモデルとなった実際の貴族は、ギリシャ独立戦争に参加したらしい。そんなことが書いてあったから、今度はそれに関する本をもっと詳しく色々読んでみようと思っていたのに。
はっ、と急に気付く。
余計なことで頭を占められていたせいで、道を間違えた。いや、正しい通学路ではある。今通っている中学校ではなく、一年前に卒業した小学校の。
―まあ、いいや。
もう半分くらいまで来ていた。引き返すのもおかしい。徒労になる。そうして自分を納得させて、最初からそうであったように目的地を変えた。
音を立てて、風が体を煽る。
冷たすぎず、むしろ、ぬるくて、意外に気持ちが良いかも、と、ぼんやり思った。
久々の道は何も変わらない。もしくは、既に忘れてしまっている。
―思い出ってどういうものなんだろ。
日常に価値があるとは思えなかった。特別なものが、別にある、と何だか信じていた。
そしてそれはまだ作り上げられていない。結局ここでは、終わってしまう。中途半端のまま。
校門前で停まる。
そしてまた、はっと気付く。自分が今、立ちこぎしていたのを、誰か見ていなかっただろうか。確か、禁止事項だったはず。誰も守っていなかったが、人には守らそうとしていた。
駐輪場へ自転車を置きつつきょろきょろしていると、校庭の隅に見知った顔があった。
どう話しかけるか悩んでいると、向こうも自分を見つけた。
「ハロー」
何で英語なんだ、と思うが、陽気な男子で仕方ない。ケイというやつは。
「やあ、じゃなくて、ハロー」
下級生だが仲良くしていた。地が出てふざけても許してくれる、気のいい友人。
近寄りながら、同じノリで応じた。
「……誰だったっけ?」
すると、ずっこけさせるようなケイの一言。自分から挨拶したのに。
「イロハだよ。御崎イロハ」
特に突っ込みもなしでフルネームを名乗った。
「覚えてないか」
学年が違うし、かなり経つ。そもそも、きちんと自分の名前を言ったことも、あったかどうか。
「いや。顔は、何となく覚えてたんだけど」
そう小声で言った後、ケイは、向き直ってにかっと笑い、続けた。
「久しぶりだな」
ただそれだけで歓迎された気分になった。
「百年くらい経つな」
「そんなでもなくない」
無茶苦茶なケイの冗談に軽口で返すのは、いつものやり取りだ。すっかり安心した。
〜〜〜ここまで2024.4.30〜〜〜