【女の世界・男の世界】
少し私の話をしようと思う。
私が生まれた昭和42年頃は、女性が一生仕事を続けるという価値観はなかった。女性は結婚したら家庭に入るというのが常識で、「寿退社」という言葉がまだまだ当然な時代だった。
私の両親も、もちろんその価値観を持って生きていた。だから、私は親に言われるまま中学受験をして、当時でも古風な「良妻賢母」をうたう、厳格な女子校に入学したのだった。
しかし、そんな女しかいない世界に入って、私は「なんだこれは」とどんどん違和感を覚えるようになっていく。
女の世界では、何をするにも一緒、お弁当も一緒に食べる、帰るのも一緒に帰る、トイレにいくのも一緒に、おまけに持ち物までみんな一緒。
逆に一人でいる子は、変わった子と見られてクラスの除け者にされていく。同調圧力がとても強くて、みんなに馴染めない子は、それだけで陰口を叩かれる世界だった。
加えて、私のいた女子校は校則が特に厳しく、挨拶はもちろん、持ち物も逐一チェックをされ、挙句の果てには異性とは会ってはいけないという決まりまであった。
そして、どの決まりにも、なぜそれをやってはいけないのか、どうしてそうしなければならないのかといった、【なぜ?】の部分が全くなかったのだった。
要は、私の置かれた世界というのは、女の子は外に出て自由に生きてはいけない生き物、という価値観の世界だった。
幸い、学校自体は嫌いじゃなかった私は、なんとか普通に女子校生活を過ごすことができた。しかし、女の世界に違和感を抱いていた私は、自然と男性社会というものに憧れを持つようになっていった。
男の世界のどこに憧れてたかというと、それは一言で言えば自由に生きられるところだ。
当時、外に出るなという女の世界で生きていた私にとって、男性社会というのは、政治家とか経営者とか、いわゆる長とでも呼ばれるような人達のことであって、自由に世界を動かしているように見えたのだ。そして、私も男性社会の中に入れば、そういう風に自由に生きられると思ったのだった。
そんなわけで、私は当時の女子校生としては珍しく、高校卒業後は短大ではなくて四年制の共学の大学に進むことに決めた。男性がたくさんいる外の世界に行けば、私は自由に生きることができると感じたのだ。
ところが、晴れて大学に入学しても、私が思い描いたような世界はないのだということを痛感させられる。
続きは次回に。
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