![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162906528/rectangle_large_type_2_347a09d803e8df60a14e5fdfd0cd1fb2.jpeg?width=1200)
0206 京都最古、縄文時代から京都を守り続ける「下鴨神社」(京都府)
下鴨神社のご利益
縁結び、美貌、安産、子授け・子宝、子育て・育児、家庭・夫婦円満、勝負運、厄除け、仕事運、社運隆昌・事業発展、合格祈願、病気平癒、交通安全、五穀豊穣、国家安泰
下鴨神社(楼門・舞殿前)の360度ビュー
下鴨神社について
玉(宝石)のように美しい玉依媛命がご祭神で、古くから縁結び、美麗、妊娠、出産、子宝、育児など女性守護の神様です。
縄文時代から京都を開き、守り続けた神社で別格のパワースポットです。
![](https://assets.st-note.com/img/1732330907-rNZAjc7oOGRL32tSvegsa4dP.jpg?width=1200)
北に行けば100メートル足らずで楼門(わずかに右下に映っています)。
南には広大な糺の森が広がっています。
日本サッカーのシンボルマークになっている、初代・神武天皇を勝利に導いた「八咫烏」。八咫烏は加茂建角身命の化身。加茂建角命は玉依媛命の父であり、下鴨神社のご祭神なのです。導き、勝利、物事の始まりの神様です。
![](https://assets.st-note.com/img/1732330928-Djhqnv6bkBAyEN4OTPHiwcRZ.jpg?width=1200)
二の鳥居から楼門の左手前には縁結びスポットの「相生社」があります。
古代の京都を開いた加茂建角身命をまつる神聖な下鴨神社で、平安京をつくるとき、造営祈願がなされました。以降、国民の平安をご祈念する神社と定められました。まさに別格の神社です。平安京は400年近く続きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1732330970-7NAwbGIa6s2kgS13FBiLXlZU.jpg?width=1200)
奥には本殿へ通じる中門があります。
振り返ると先ほどくぐった楼門が左手に見えています。
山城国一宮で、世界遺産に登録されているのはもはや納得でしかありませんが、京都で最古、日本でも最古クラスの神社です。縄文時代の神武天皇2年(B.C.658)には神様をまつっていたことが日本書紀に記されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1732331199-SjAul1fL3Pavxptm6igRrWKk.jpg?width=1200)
中門をくぐると本殿の前に七つ並んでいます。
広大な境内には30社もの社が点在し、124,000㎡(東京ドーム3個分)の原生林、糺の森があります。(平安時代には今の40倍の面積がありました)
「賀茂御祖神社」が正式名称です。賀茂一族の祖神をまつっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1732336694-VpukFZW17Lm8SX2rOHKBwYg0.jpg?width=1200)
南北に広い境内の南の方にある「河合神社」での美容祈願「鏡絵馬」が特別で人気があります。絵馬に描かれた顔にメイク道具で化粧をします。裏には願いを書いて奉納します。参考→ 河合神社での鏡絵馬の奉納
![](https://assets.st-note.com/img/1732331191-vsdtihp49MAnPq7LlWreyO3g.jpg?width=1200)
下から湧き出した清水は御手洗池を経由し、御手洗川となって糺の森を南に流れていきます。
なお、この地の御手洗池が発祥となった団子が「みたらし団子」です。
![](https://assets.st-note.com/img/1732331209-TxHJCnFE7BWiSAaMD1O3IyYj.jpg?width=1200)
南口鳥居を北にくぐり、すぐ左手にあります。
国歌君が代にうたわれています。
![](https://assets.st-note.com/img/1732331224-eaO6B3hjEP0JqY2u95lILAmZ.jpg?width=1200)
糺の森は明治44年(1910)旧制三高(現京都大学)の学生が、
ラグビーを初めて教わった、ラグビー発祥の地です。
最後に紹介するのは一の鳥居です。 ↑↑
二の鳥居までですら、御蔭通をはさんで糺の森を通り700mほどあります。
下鴨神社コンプリートを目指す、数少ない人向けのスタート地点です。