【#私の遠征話】ドームに響け!最後の猪木コール!!
1998年4月4日午後4時。
僕は大学の友人2人とともに、岡山から夜行バスに乗り、目的地である東京ドームにたどり着きました。
「アントニオ猪木 引退試合」
アントニオ猪木が引退することを発表し、グレート・ムタや藤原喜明など対戦を重ね、ついにこの日がファイナルです。
僕がプロレスファンになったのは中学3年でした。
高校受験に向けて、夜遅くまで勉強していたとき、ちょっと息抜きにテレビをつけると、全日本プロレスが放送されていました。
ジャイアント馬場、スタンハンセン、ブッチャーなど往年の選手が出場しており、失礼ながら「うわ〜、まだやってるんだ!」と思ったのを覚えています。
そして、カッコよくてすぐにファンになったのが三沢光晴、小橋健太です😳
新日本プロレスは、別の曜日の深夜に放送されており、こちらもすぐにハマりました。
長州、藤波らベテランに立ち向かう橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司ら「闘魂三銃士」、馳浩(現 石川県知事)と佐々木健介の「ハセケンコンビ」も大好きでした😆
アントニオ猪木と言えば、僕が小さい頃。
まだプロレスがゴールデンタイムで放送されており、アントニオ猪木vs長州力の対戦を見たんです。
何度目かの挑戦で、長州力がアントニオ猪木から3カウントを奪い勝利する場面に興奮しました😆
その後、無事に高校に入学してからレンタルビデオ店で「アントニオ猪木vsホーガン」「アントニオ猪木vsマサ斎藤」などを借りて見てました👍
アントニオ猪木が引退…
最後の対戦相手は、トーナメントを勝ち上がった選手に決まります。
決勝は、小川直也vsドン・フライとなることは想定通りでした。
僕らの中でも、「小川直也でしょ!」「いや、ガチでやればドン・フライでしょ!」とまとまりません。
最後に勝ち上がったのは…
ドン・フライでした。
引退試合の直前にIWGPヘビー級選手権試合がありまして。
チャンピオンの佐々木健介に、藤波辰爾が挑戦するカード。
藤波辰爾選手が入場する前、田中リングアナが、あの声で(わからない人、すみません😅)
「4月4日、44歳のドラゴンが、4年ぶりに若き獅子に挑む…藤波辰爾、入場!」
なんて言うんですよ。
当時、佐々木健介ファンだった僕は、
「何その設定! 藤波さん勝つでしょ!?」
と試合開始前からガックリ…😭
案の定、藤波辰爾選手が勝利し、チャンピオンになりました☝️
そこから少し休憩を挟みまして…
いよいよ引退試合です。
先に対戦相手のドン・フライが入場してきます。
すでに2試合を戦っているドン・フライは、やや疲れてそうな素振りでした😓
そして…
田中リングアナが
「ドームに響け! 最後の猪木コール! 燃える闘魂、アントニオ猪木、入場!!」
の声とともに、7万人(主催者発表)の猪木コールが…
会場内のボルテージは最高潮。
正直、もうそのあたりは夢中で記憶が曖昧で…
てっきりチョークスリーパーで決めてくれると思っていたら、コブラツイストでギブアップという予想外の幕切れでしたが、それでも「猪木ボンバイエ」をBGMに「猪木コール」がやむことはありませんでした。
上の画像は、東京ドームで購入したアントニオ猪木タオルです。
結婚して新居に入るときも、実家から持ってきました😉
けど、今まで一度もタオルとしては使ったことはありません。
タンスの奥に大切にしまってあります。
買ったころに比べると、少し色褪せたような気がしますが…
これを見ると、大学時代の最大のイベントとなったアントニオ猪木引退試合を思い出すのです👍
今日はプロレスというマニアックな思い出話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。