オレンジ色に染まる " 艶やかな姉 " の背後には・・・" 東京の象徴 " がそびえ立っていた [第15週・5部 (75話後編)]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回は第15週・「百音と未知」の特集記事の5部(75話後編)ということになる。ちなみにこの前の特集記事となる、第15週・4部(75話前編)の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
さてこの第15週・5部の記事は、75話の残り3分間を取り上げたものとなっているのだが、この " 3分間の中 " に筆者がこの作品に虜になった「全てのエッセンスが詰まっている」と言っても過言ではない。
放送開始からちょうど3周年を迎えるこのタイミングで、75話の残り3分間の記事を公開できるとは・・・ 2年間書き続けてきた甲斐があった!! もう既に感無量だ!! したがって、思いが強すぎて・・・ 3万1千字を超える記事になってしまった(苦笑)。
この75話の残り3分間は、百音と妹・未知とのやり取りのワンシーンだ。しかも就寝中のシーンでもあり、登場人物は寝具の上で " 半身を起こした状態 " での演技となるため、配置の移動や大きな所作を伴った感情表現は最小限となっている (最後尾は激しい配置の移動や大きな所作もあるが)。したがってカメラワークやカット割りも、かなり限定された " 制約のある撮影環境 " となるため、今回の記事では『映像力学』的な分析・考察は非常に少ない。
一方、75話の残り3分間には、5,400フレーム(コマ)が収録されている。筆者はこの記事を書くにあたって、3分間の5,400フレームの全てを " 1フレームごと " に観察して分析と考察を重ねた。
もっと言えば、前回の第15週・4部(75話前編)の記事も、1フレームごとに観察して分析と考察している。したがって75話の15分間の全27,000フレームを、1フレームごとに観察したことになる。要するに、筆者の提唱する『ドラマツルギー・タイムデリバティブ・アプローチ ( Dramaturgie Time Derivative Approach : DTDA) 』を正に最大限に駆使して、特に登場人物の心情や演者の心情を、その仕草や表情から読み解こうと試みたわけだ。
また後半の章 ( ○彼女たちや彼らの " 成長のドキュメンタリー " を見守っている感覚が・・・ 独特の没入感と魅力へと繋がっていく )では、この作品の " 最大の魅力 " について、主演の清原氏や共演者のインタビューなども踏まえて、筆者なりの考察と解釈を書き記している。この章は、『おかえりモネ』・ファンだけではなく、" 清原果耶ファン " にぜひとも読んで頂きたい。
では長文のため、前置きは程々にして・・・ 早速始めたいと思う。
○プロローグ(前回の記事の振り返り)
この章は前回記事の振り返りのため、前回の第15週・4部 (75話前編)の記事を既にご覧になった方々は、この章は読み飛ばして頂きたい。
主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)の故郷・亀島の幼馴染・及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)が失踪した。その経緯を、百音の母・亜哉子(演・鈴木京香氏)から聞かされる永浦姉妹。
亮に思いを寄せる妹・未知(みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)は、混乱して急いで電話で連絡を取ろうとするも・・・ 彼は出ず。妹・未知に急かされた百音が電話をすると・・・ 亮が電話に出る。彼はこのように語る。
と普段はめったに弱音を吐かない亮が、百音に " 自分の本音 " をさらけ出す。初めて露見した " 亮の弱さ " を目の当たりにして・・・
妹・未知は、この後に亮から語られる " 次に続く言葉 " を予測し、そして既に " 覚悟している " ような表情を浮かべる。そして、
百音の声を聞いた瞬間に、ホッとする気持ちと同時に、直前まで抱いていた " 百音との決別の意志 " が完全に崩壊して、
[ こんな時の " 俺の心の支え " は・・・ 結局のところモネしかいなかった ]
[ 自分にとって " 最も大切な存在 " は・・・ やはりモネだった ]
とギリギリのところまで押し止めていた " 亮の本音 " が、とうとう溢れ出た。亮の気持ちが " 自分の方へと向かっている " ことに驚くものの、
とハンズフリーモードで会話の一部始終を、妹・未知が目の前で聞いていることさえも忘れて・・・ " 女の性 " と " 艶めかしいほどの女性の色気 " を思わず醸し出してしまう百音だった。
○彼や彼女が逃れたかったのは・・・ 責任感やそのプレッシャーから生まれる " 息苦しさ " だった
その後に『悪い。また連絡する』と言い残し、突然電話を切った亮。呆然とスマートフォンを見つめる百音だったが、すぐに我に返って、
と語るが、妹・未知とは目を合わせることが出来ない。気まずい空気が流れる中、まくしたてるが如く、
と声を震わせながら語りつつも " 動揺する心 " を、何とか必死に取り繕うとするが・・・百音の手を強く払い、完全拒否の妹・未知。これまでに見たこともないような強い態度に、百音は驚きの表情を浮かべる。
そして妹・未知は、
と感情を爆発させる。妹・未知の態度に驚いていた百音も、引き締まった凛とした表情に一変し、頷きつつ姉として真摯に受け止める。
さらに妹・未知の感情の爆発は続く。
さて、亮の " その気持ち " を汲み取り、傍で彼を支えようとしてきた妹・未知。最初の方の言葉は " これまでの亮の思い " を、彼女が代弁しようとしているのだろう。しかし、『逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! だって・・・ だって、誰かが残んなきゃ! 』という言葉ぐらいからは、妹・未知がこれまでに " 心の中に鬱積していたもの " が留めなく溢れ出して・・・ そして、『だって、誰かが残んなきゃ! 』というところでは、完全に百音の目を見て強く言い切っている。
そして今度は、
と妹・未知が、自分に対して言い聞かせているように語る。では、" 彼女が逃れたかったモノ " とは一体何なのだろうか。
東日本大震災時に感じた " サバイバーズギルト " と、それに関連した後ろめたさだろうか? あるいは被災地域の若手の一員として、復興を担う責任感とそれに伴う大人たちや地域住民からの期待なのだろうか? 今作のチーフ演出を担当した、一木正恵氏の言葉にヒントがあると思う。
今作では " 復興 " というセリフが、全くと言っていいほど出て来ない。この " 復興 " という言葉に、プレッシャーや息苦しさを感じる被災地域の人は少なくなく、なるべく " 復興 " という言葉を使いたくないと語る人も多いと聞く。今作はその部分に配慮を払ったため、脚本に " 復興 " というセリフを用いなかった可能性は高い。
そうなのだ。東日本大震災の被災地域の人々は、 " あの日 " から " 復興 " というものを、否が応でも背負わされてしまった・・・ 亮や未知が逃れたかったモノとは、その責任感やプレッシャーから生まれる " 息苦しさ " だったのではなかろうか。
その一方で、故郷・亀島から逃げ出し " 煌く東京という街 " で生活を謳歌する、姉・百音の姿を目の当たりにして、
[ りょーちんさんも私も " あの日 " のことに囚われ、また島の復興と未来を背負わされて・・・ 逃げたくても逃げられないのに。 それから逃げたお姉ちゃんは、東京での生活を謳歌し、 " あの日 " のことを過去のものにして・・・ りょーちんさんと私を置き去りにしたまま " 新しい日常 " へと踏み出していくんだ ]
と百音を含めた、故郷・亀島から逃げていった人々に対して・・・ " そのこと " を鋭く突き付けたかったのだろう。それに気づいて、
とショックを受けつつも、謝るしかない百音だったのだ。
○気づいていたのに " 気づかないフリ " をして・・・ ずるいよ。
妹・未知は " あの一件 " で、思わず溢した言葉を・・・ もう一度、百音に突き付ける。
さて、妹・未知が百音に突き付けた、『ずるいよ』という言葉を短絡的に捉えると、「お姉ちゃんは故郷・亀島に漂う " 息苦しさ " から逃げたのに、仕事も恋愛も順風満帆。島に残った私が到底手に入れられないモノを、全て手に入れるなんて・・・ ずるいよ」とも聞こえてくる。しかし筆者には、 " 他の意味合い " が込められているとも感じられる。その一つとしては、「お姉ちゃんは故郷・亀島から " 自分本位 " で出て行ったのに・・・ なぜ " 勝手気ままな行動 " に見えないの? そんなの・・・ ずるいよ」といった意味合いだ。
この第15週と翌週の第16週での妹・未知の様々な言動は、放映当時は「やり過ぎ」や「わがまま」と感じた視聴者も多かったそうだ。これは主人公の百音の視点で捉えて、感情移入している人々に多かったのではなかろうか。しかし妹・未知の視点で見れば、自分本位の感情で島から離れた姉・百音は、" 勝手気ままな行動 " に映るにも関わらず、家族や周辺の人々にはそのようには映っていない。そのような妹・未知が " 損な役回り " となっているフラストレーションもあってか、『ずるいよ』と百音に突き付けた可能性は高い。そしてもう一つ考えられるのは、
[ 昔から、りょーちんさんの気持ちが、お姉ちゃんへと向かっていたことを・・・ 気づかないわけがない。お姉ちゃんは気づいていたにも関わらず、" 気づかないフリ " をして誤魔化していたんじゃないの? そんなの " りょーちんさんに対して " も・・・ ずるいよ ]
といった意味合いだ。この妹・未知の心情は、73話で菅波への告白を迫った際に、完全拒否の百音に対して『ダメだよ』と、キッパリ言い切った明日美の心情と近似しているとも考えられる。
これまでの百音と亮の関係性は、亮が淡い恋心を抱きつつも、百音の方は全く気づいていないという描かれ方だ。演じる清原氏は、このように語っている。
百音の価値観は、恋愛に対しての優先順位が低いために、これまで亮の気持ちには全く気づかなかったのか・・・ しかし " この関係性 " の中で、果たしてこのようなことが成立するのだろうか?
もしかすると、" 明日美や妹・未知の抱く亮への好意 " を知っていたからこそ、それぞれの関係性を壊さないように、「亮の気持ちに気づいていたが・・・ " 気づかないフリ " をして誤魔化してきた」という行動を " 百音自身が無意識のうち " に、これまでに行っていたとも考えられるのだ。この彼女の無意識な行動は、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)が提唱したレベルのものであると、筆者は捉えている。
しかし「百音の気づかないフリ」さえも、妹・未知は " 女の感 " で、ずっと前から気づいていた・・・ そう!! 彼女の『ずるいよ』には、そのような思いも込められていたのではなかろうか。
○オレンジ色に染まる " 艶やかな姉 " の背後には・・・ " 東京の象徴 " がそびえ立っていた
妹・未知は『ずるいよ』と語った後、さらに百音に対して止めを刺すように、この言葉を言い放つ。
さて、妹・未知が言い放った、『何で、お姉ちゃんなの』という言葉を短絡的に捉えてしまうと、
[ 私は " りょーちんさんの気持ちを分りたい " と思って、故郷・亀島を離れずにずっと傍で寄り添ってきたのに・・・ どうして島から逃げたお姉ちゃんの方へと、りょーちんさんの気持ちは向かってしまうの? ]
といった " 単純な嫉妬心 " にしか感じられない。しかし、これまでのストーリー展開・・・ 特にこの第15週の流れを見ていると、さらに様々な感情が複雑に入り混じったものが、妹・未知の中に渦巻いていることを感じさせられる。
[ お姉ちゃんは " あの日 " のことを過去のものにして・・・ りょーちんさんと私を置き去りにしたまま " 新しい日常 " へと歩き出そうとしているのに。どうして、りょーちんさんの気持ちは・・・ お姉ちゃんの方へと向かってしまうの? ]
[ お姉ちゃんが故郷・亀島から逃げて、実家から出て行ったからこそ、「故郷と永浦家の未来を作って行こう」と、私は島で踏ん張っているのに。そのお姉ちゃんは、" 煌く東京という街 " で生活を謳歌している・・・ なぜお姉ちゃんばかりが " 良い思い " をするの? 」
[ 実家を背負って守り、どれだけ故郷・亀島で踏ん張っても・・・ 私は仕事も恋愛も、全く上手くいかずに報われない。それなのに・・・ 好き勝手やっているお姉ちゃんの方は、なぜ仕事も恋愛も順風満帆なの? ]
[ 今やお姉ちゃんは " キャスターという華やかな仕事 " を得て脚光を浴び、もてはやされて・・・ お姉ちゃんばかりが、なぜ " 良い所だけ " を独り占めしてしまうの? ]
この『何で、お姉ちゃんなの』という言葉には、上記のようなこれまでギリギリのところで押し止めていた、
[ 私が " 手に入れられないモノ " を全て手に入れるなんて・・・ なぜ、お姉ちゃんばかりが良い思いをするの? ]
という " 百音に対する積年の思いと嫉妬心 " が複雑に絡み合い、とうとう抑えつけられなくなって放たれた言葉にしか・・・ 筆者は思えてならないのだ。そしてこの言葉を投げかけつつ、眼光鋭く百音の方に視線を送る妹・未知。
その時、妹・未知の視線に飛び込んできたのは・・・ 廊下から透過した白熱電球に照らされて、オレンジの暖色に染まる百音の顔だったのだ。
そして、オレンジの暖色に染まる百音の背後には、前日に亮から『可愛いね』と褒められた、妹・未知自身が " 東京で購入した白いジャンパースカート " がハンガーに掛かっていて・・・ それも同時に目に飛び込んできた。
さて " この二つ " が妹・未知の目には、どのように映っていたのだろうか。まず、オレンジの暖色に染まる百音の顔は、
[ お姉ちゃんは " 煌く東京の街 " に既に馴染み、仕事も恋愛も順風満帆 ]
[ りょーちんさんから求められて・・・ オレンジ色に染まるお姉ちゃんは " 艶めかしいほどの女性の色気 " を醸し出していた・・・ ]
というように映っていたのではなかろうか。そして " 東京で購入した白いジャンパースカート " は・・・ 初見の際に筆者の目には、「東京を象徴するスカイツリー」のようにも感じられたのだ。
このスカイツリーは、実は白をベースとし、若干青みがかった「藍白」という色を採用している。ジャンパースカートという、タワーに見えるような形状の選択といい、白という色の選択も・・・ 妹・未知の目には「東京の象徴が映っている」といったメタファ―的な意味合いを、ビジュアルで印象付けることを制作者や演出家が狙っていたのではなかろうか。
まとめると、『何で、お姉ちゃんなの』と言葉を発した後に、妹・未知の目に飛び込んできたのは、
女性としての艶やかさと東京生活の謳歌を感じさせる、" オレンジ色に染まる百音の顔 " と、その背後にはスカイツリーを髣髴させる " 東京で購入した白いジャンパースカート " だったのだ。その瞬間に、
[ りょーちんさんは、東京生活を謳歌するお姉ちゃんに惹かれて・・・。褒めてくれた私の服だって、東京で買ったものだ。りょーちんさんも " 東京という存在 " に、無意識に惹かれてしまっているんじゃないの? 結局、" 東京という存在 " が・・・ 何でもかんでも奪っていってしまう ]
といった、やるせない気持ちがどんどん増幅していったのではなかろうか。
○それはまるで「地方を支配し、成果物を奪っていく東京の象徴」のように・・・ 彼女の心へと突き刺さっていく
やるせない気持ちがどんどん増幅して最高潮になった時、妹・未知は突然立ちあがり、ハンガーにかかった " 東京で購入した白いジャンパースカート " を手に取って・・・ 思いっきり百音に投げつける。
さてここでは、妹・未知の個人的なやるせない気持ちを、姉・百音にぶつけるということもあるのだろうが、
[ " 全てを奪っていく東京 " という存在に対する、" 地方の憤り " のメタファー ]
ということも、代弁している演出のようにも感じられる。初見の際にその印象を強く感じて・・・ いくつもの意味合いを何層にも込めた映像に、筆者は涙が止まらなくなった。
さて、百音としては、「" 東京の色 " に染まって故郷・亀島から気持ちが離れて、" あの日 " のことを過去のものにして、妹・未知や亮を置き去りにしよう」と考えていたかというと、彼女としてはそのような気持ちはさらさら持っていないように感じる。しかし、妹・未知の目からすると・・・ どうしても、そのように見えてしまうのだろう。過去の放送回では、菅波のこのような指摘が非常に興味深い。
[ 東京という街で生き抜くためには、その環境に順応した " 最適な立ち振る舞い " がある。それが " 故郷の視点 " から見ると、故郷を忘れて気持ちが離れてしまっているように・・・ どうしても見えてしまう ]
故郷・亀島から気持ち離れたわけではなくても・・・ 百音が東京生活を謳歌すればするほどに、" 故郷からの視点 " では、どうしてもそのように見えてしまう。今作では " 地方から上京した人々が日々抱えているジレンマ " のようなものも、映し出しているのではなかろうか。
○演者と制作者が一丸となって・・・ " 地方の憤り " のメタファーを模索する
やるせない気持ちが最高潮に達して、" 東京で購入した白いジャンパースカート " を思いっきり百音に投げつけてしまう妹・未知。
全120話の中でも、 " 作品のメッセージ性 " を強烈に印象付けた屈指の名シーンであり、筆者が2年前から " 『おかえりモネ』と人生哲学シリーズ " を書き始めるキッカケになったシーンでもある。しかし・・・ ファンの方々は既にご存じとは思うが、当初の演出プランでこのシーンは、「畳の上に置いてあった服を、妹・未知が百音に投げつける」というものだった。
それで妹・未知を演じる蒔田彩珠氏が語るには、当初の演出プランでは、リハーサルで上手く感情を作れなかったそうだ。そこで「ハンガーに掛かった服を百音に投げつける」という演出プランを提案したのが、清原果耶氏だった。
では、もしも当初のプランだった、「畳の上に置いてあった服を、妹・未知が百音に投げつける」という演出のままで映像化したことを想像すると・・・ その演出であるならば、筆者としてもここまで思い入れが強いシーンにはならなかったと思う。そして筆者の目には、 " 思慮の浅い姉妹のケンカ " という意味合いにしか映らなかっただろうと感じるのだ。この蒔田氏が語る「モヤっとしていた」というのは、
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