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" 6分16秒という告白 " に込められた、彼女たちや彼らの " その思い " をこぼれ落とさないように [第9週・4部]

若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その作品の筆者の感想と『映像力学』の視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨で展開されているのが " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事だ。それで今回は、第9週・「雨のち旅立ち」の特集記事の4部ということになる(3部はこちらから)。


それで今回の記事は、特に第9週・45話を集中的に取り上げているわけだが・・・ この放送回には " 百音の長い一人語りのシーン " がある。実は筆者はこのシーンに心の底から感動して、" 『おかえりモネ』と人生哲学 " のシリーズを書き始めるキッカケになったのだ。そしてここまでの道程は、このシーンを語りたいがために執筆を続けてきたわけで。要するに45話は、このシリーズを書き続けるモチベーションにもなっていたわけだ。ようやく・・・ ここまで辿りついた。

それぐらい、45話の " 百音の長い一人語りのシーン " は筆者にとっても非常に大切なものであり、全120話の中でも屈指の名シーンの一つであると思っている。その強い思い入れもあってか、一旦、4部の記事が完成したのだが、その内容に納得がいかず・・・ 結局すべてをボツにして、一から書き直す事態になってしまった。本来であれば、この4部の記事は " 百音の誕生日である9月17日 " の昨日に公開したかったのだが・・・ とうとう間に合わなかった(苦笑)。

そういった経緯もあって、第9週は4部構成と告知していたが、5部構成に変更となる。この辺はご了承頂けると幸いだ。また今回の記事では45話の集中的に取り上げ、この放送回と関連性の高いエピソードについても取り上げて構成している。


この記事を執筆するのにあたっては、『DTDA』という筆者が提唱する手法 ( 詳しくはこちら ) を用いて、そこから浮き彫りになったドラマ制作の裏側や『映像力学』などを含めた制作手法・要素から表現されている世界観を分析・考察していく。さらに筆者の感想を交えながら、この作品の深層に迫っていきたいと思う。



○尊敬する彼女に背中を押されて・・・ " あの時の思い " を家族に告白することを決意する


新田サヤカ (演・夏木マリ氏)から、能舞台で華麗な舞を見せられ " 自分の思うがままの未来を歩みなさい " と背中を押された主人公・永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)。彼女は気象の世界へと飛び込むために、上京することを決意する。

翌朝、米麻町森林組合の退職話の説得をしてくれたことに対して礼を述べた百音に、サヤカはこのように語る。


『サヤカ : みんな分っているわよ。若者が決めたことでしょ。快く送り出してやんのが大人じゃないの。 』

第9週・44話より


*『快く送り出してやんのが大人じゃないの』と語るサヤカを尊敬の眼差しで見つめる百音。これも彼女に『サヤカ・イズム』が受け継がれていく瞬間なのだろう [第9週・44話より]


その後、サヤカはこのように続けた。


『サヤカ : あなたには、まだ・・・ やんなきゃいけない大事なことが一つ残っている。』

『百音 : ん? 』

『サヤカ : 気仙沼に行きなさい。行って・・・ 家族に話してきなさい。ちゃんと伝えてきなさい。あなたが胸の内に抱えてきたもの・・・ 自分の言葉で。

『百音 : はい。』

第9週・44話より


東日本大震災で受けた" 心の傷 " によって、故郷・亀島にいることが辛くなった経緯と、今はようやく自分のやりたいこと、やるべきことが見つかって、それを叶えるためには上京しなければならないこと・・・ それを百音にしっかりと家族に説明してから旅立ちなさいと語るサヤカ。 

このシーンでは、サヤカのこのセリフが語られると、百音のモードが一気に変わるところが印象的だ。


『気仙沼に行きなさい。行って・・・ 家族に話してきなさい』


このサヤカのセリフの後、急に百音の目が据わって・・・ サヤカの顔に焦点が合っていないような " 呆然 " としているような彼女の表情が、非常に印象的だ。


*サヤカが『気仙沼に行きなさい。行って・・・ 家族に話してきなさい』と語ると、急に百音の目が据わって " 呆然 " としているような表情に一気に切り替わるところが非常に興味深い。この繊細な表情の変化を捉えるために " カメラ・ドーリー " を導入し、水平移動させながら百音の正面に回り込ませ、さらにズームインするカメラワークが秀逸すぎる [第9週・44話より]


この繊細な表情の変化を捉えるために " カメラ・ドーリー " を導入して、水平移動させながら、カットを割らずに連続的(23秒前後)に百音の表情を捉えつつ、彼女の正面に回り込ませている。演じる清原氏の繊細な表情の変化を一瞬でも撮りこぼさないようにという配慮からなのだろうか。さらにズームインもしているからなぁ・・・ 心憎すぎるカメラワークだ。

さらにサヤカのこのセリフが語られると・・・ 一段と百音のモードが変わっていく。


『自分の言葉で』


*サヤカから震災で受けた" 心の傷 " を家族に話してきなさいと促された百音。不安感に襲われているためか、サヤカと目が合わせられない [第9週・44話より]


このセリフがサヤカから語られると・・・ もう百音はサヤカとは目が合わせられなくなってしまう。


[ 果たして・・・ 今の自分にそれが出来るのだろうか・・・ ]


百音は、このような自問自答と不安感に襲われているような心理状況なのだろう。そしてもう一つ百音には気掛かりなことがある。故郷・亀島を離れた理由を正直に話せば・・・ 妹・未知を責めてしまうことにもなりかねない。

それでも信頼と尊敬を寄せているサヤカの言葉だ。次の未来へと百音が歩き出すためには避けては通れない道なのだ。サヤカのセリフの後、15秒前後も考えてようやく『はい』と答える。この百音の勇気ある決断は重い。


*信頼と尊敬を寄せるサヤカの言葉に " 次の未来へと歩き出すためには避けては通れない道だ " と悟った百音は、15秒前後も考えた上でようやく『はい』と決断する。それでも不安感を拭えず、目が虚ろであるところが象徴的だ [第9週・44話より]


勇気ある決断をした百音は、すぐに故郷・亀島へと向かうことになった。



○いつもとは違う姉の雰囲気に・・・ " あ・うんの呼吸 " が妹の心遣いを感じさせる


米麻町森林組合の退職して上京を決めたことを報告するため、故郷・亀島へと向かい、永浦家に帰省した百音。


*第9週・44話より


急に帰省した百音に、父・耕治(演・内野聖陽氏)が訝しく思ったようで、そのことを探るように問われると彼女は言い淀んでしまった。いつもと違った百音の雰囲気を察した妹・未知 (みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)は、耕治の問いかけから話を逸らす。


*いつもと違った百音の雰囲気を察した妹・未知は、耕治の問いかけから話を逸らす [第9週・44話より]


この百音の上京は非常に急展開だったということもあって、故郷・亀島に向かう前日には、実家に帰省するその旨は連絡してあるはずだが、その理由についてまでは話していない様子だ。そういったこともあって、妹・未知が姉のいつもと違った雰囲気を察するのは当然のことだろう。そして、未知が咄嗟に話を逸らしたところが・・・ 姉妹の " あ・うんの呼吸 " といったところだろうか。


*姉・百音の表情や語調、帰省の経緯から、いつもと違った雰囲気を察する妹の未知。咄嗟に話を逸らしたところが姉妹の" あ・うんの呼吸 " といったところだろうか [第9週・44話より]


当然、父・耕治も急な百音の帰省が気にならないわけがない。したがって『なんか話があって来たんじゃないのか?』と食い下がって、百音に話を聞こうとする耕治。家族たちは全員、薄々そのことは感づいているようだ。

なかなか話を切り出す自信が無いためか、百音は酒の力を借りて話のキッカケを作ろうと試みる。20歳になったということで " サシ飲み " に耕治に誘う。どんどん日本酒を飲んでいく百音に戸惑う家族たち。母・亜哉子(演・鈴木京香氏)や祖父・龍己(演・藤竜也氏)も目にしたことがない百音の姿に驚く。


*第9週・44話より


結局・・・ 百音は飲みすぎて泥酔し、眠ってしまった。



○ " 6分16秒という告白 " に込められた、彼女たちや彼らの " その思い " をこぼれ落とさないように


日本酒を飲みすぎて泥酔し、眠ってしまった百音だったが、ようやく酔いから醒めて家族たちに報告することに。


*泥酔した百音の様子を心配そうに覗き込む永浦家の家族たち [第9週・45話]


まず森林組合を退職し、登米を離れて上京すると語る百音。家族の驚きの色は隠せない。


*森林組合を退職し、登米を離れて上京すると語る百音。家族の驚きの色は隠せない[第9週・45話より]


上京する理由は、気象に関連した仕事がしたいためで、行ってみたい気象情報会社が東京にあるからだと語る。それで上京するのであれば、百音がなぜ故郷・亀島を離れたいと思ったのか・・・ " その思い " を家族に話してきなさいとサヤカに促されたこともあって、帰省したと語る彼女。


このシーンは前述したとおり、筆者が心の底から感動したシーンであり、また強い思い入れがあるシーンの一つにも挙げられる。そして全120話を通してみても、 " 屈指の名シーン " の一つに挙げられると思う。

この第45話の1:36~7:52は、ほぼ百音の一人語りのシーンとなり、その時間は、なんと約6分16秒にも及ぶ。この記事では、このシーンを「百音の一人語り告白・6分16秒」と呼称したいと思う。そして筆者は・・・ 実際にこのシーンがどのように撮影されたのか、非常に興味があるのだ。


さて多くの地上波TVドラマの撮影は、『ドライリハーサル ⇒ カメラリハーサル ⇒ ランスルー ⇒ 本番 』という流れで進む。


○ドライリハーサル
 スタジオ撮影であれば、出演俳優が美術セットの中に入ってリハーサルが行われる。出演俳優が演技リハーサルを行う中で、技術スタッフなどは " カット割り台本 " を用いながら、出演俳優の段取りや所作を確認する。カメラはまだ美術セットには入れない。この後、各部門の微調整や打ち合わせが行われる

○カメラリハーサル
 出演俳優や技術スタッフも本番同様の配置で、カメラも美術セットに入れてリハーサルが行われる。演技とカメラワークが合っていなかったり、照明やショットガンマイクの段取り、セリフの確認の必要がある場合などは、その度ごとに演技を止めて確認作業をする

○ランスルー
 各技術関連の微調整も終わり、出演俳優の演技も各技術関連も、すべて本番同様に最初から最後まで通して行う最終リハーサル

○本番
 言葉のままの本撮影。1シーン(脚本でいうところの " 柱から柱まで " )を複数にカットを割って構成するか、なるべく少ないカットで構成するか。演出家の哲学が問われる部分だ


ちなみに公式HPなどで掲載されるような、広報用に撮影されるスチール画像(静止画)は、シャッター音の関係からドライリハーサルかカメラリハーサルで撮影されたものがほとんどだ。メイキング映像などで、スチールカメラのシャッター音が入っている場合は、ドライリハーサルかカメラリハーサルの様子だと考えてよい。

したがって放映映像と見比べると、スチール画像は構図や出演俳優の動きに差異があったりするのはそのためである。


それで、1カットを長回しをする・・・ 特に1シーンをカットを割らず、最初から最後まで通して撮影する、いわゆる " 一発撮り " は、出演俳優や技術スタッフにとっても非常に緊張感が高い撮影となる。セリフや各段取りを間違えてしまうと、最初からすべてを撮影をやり直すことになるからだ。したがって、出演俳優や技術スタッフの心理的負担も非常に高くなる。

その一方で、細かくカットを割って撮影すれば良いかというと・・・ 本番直前にリハーサルを合計3回も行い、さらに細かくカットを割って、細切れに1シーンを撮っていくということは " オーバー・プロダクション " 、いわゆる " 作り込みすぎ " という問題が必ず出現してくる。

芸術作品は常に " オーバー・プロダクション " との戦いだ。良い作品にしようと手直しを繰り返し、丁寧に作り込みすぎると、表現の鮮度が落ちてしまって、どんどん中庸な表現になってしまう危険性を孕んでいる。芸術作品は " 初期衝動を生かす " ほうが、実はその鮮度は高く、光り輝いて目を惹きつける表現となることが多いのだ。これは演技についても同様なことが言えると思う。

それで1シーンをカットをかなり細かく割って、細切れに撮影していくことは、前後の繋がりも考慮して撮影されるため、同じシーンを何回も繰り返して演技することになる。この場合、いくらプロの俳優と言えども、感情の維持や集中力の維持、また演技の統一感を引き出すことが、どんどん難しくなってくるのだろうと思う。

『おかえりモネ』のセルBlu-ray・DVDのBOX3をお持ちの方であれば、既にご存じだろうとは思うが、そのオーディオコメンタリーの中で、清原果耶氏が1シーンを細かくカットを割って撮影することに対する " 演技の統一感や感情の維持に苦労する " といった内容に言及していることが象徴的だろう。

1シーンを細かくカットを割って撮るのか、なるべく少ないカットで構成するか。あるいは、あえて " 一発撮り " を選択するのか。作品における、そのシーンのシリアスさの度合やその臨場感を重視する度合、出演俳優の特性などを考慮し、演出家の哲学が最も問われる部分だろうと思う。


それで話を戻すと、百音がなぜ故郷・亀島を離れたいと思ったのか。その理由を5年という月日を経て、ようやく家族に告白する瞬間を迎えるわけだ。

この作品の " 本質的なテーマ " に迫る、非常に重要でシリアスな「百音の一人語り告白・6分16秒」。百音を演じる清原氏の、非常に繊細な感情表現を伴う " 彼女の演技の真価 " が問われ、感情の維持や集中力もかなり必要とされることが想像に難くない。また演出家は、百音の演技を受けた永浦家の家族たちの " それぞれの心の機微とその揺れ動き " をこぼれ落とさないようにと撮影・収録し、臨場感に溢れた映像を記録したいはずだ。

しかし登場人物が5人と多いため、彼ら彼女たちの表情をすべてオンタイムで撮影・収録することは難しい。そういったこともあって、このシーンは " どれぐらいカットを割って撮影されたのか " ということに筆者は非常に興味を持っているということなのだ。

さて、この第9週の演出は一木正恵氏が担当している。この作品の別の放送回などからも鑑みると、一木氏は登場人物の " それぞれの心の機微とその揺れ動き " を繊細に且つ、臨場感に溢れる映像として記録したい場合には、" 一発撮り " を選択する傾向にあるようだ。

したがってこのシーンでも、回想などのインサートカットなどが入っているのだが・・・ 映像を丹念に確認してもカットを割って撮影しているようには思えない。やはり「百音の一人語り告白・6分16秒」の撮影・収録自体は " 一発撮り " で行われたと筆者は睨んでいる(このシーンの冒頭は別カットだが)。

しかしそうなると・・・ " ある問題 " が発生する。

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