独り離れて " 物思いに耽る彼 " の心模様は・・・ " 寒色の光 " がその孤独感を代弁していた [第15週・3部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回は第15週・「百音と未知」の特集記事の3部ということになる。ちなみにこの前の特集記事となる、第15週・2部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
さて、第15週・74話というのは、筆者が特に大きな衝撃と感銘を受けた75話の " 切なさ " へと繋がっていく、非常に重要な放送回だ。 したがって今回の記事は、74話だけを集中的に取り上げていきたいと思う。ただし、この記事内容と関連が深い、他の週のエピソードについても取り上げた構成となっていることをご了承頂きたい。
それで、この74話も前回の73話と同様に、ライティングやグレーディング(映像の階調・色調の補正)に創意工夫を凝らし、映像のルック(シャープネスや明るさ、色味など)をコントロールすることで、登場人物のセリフでは語られない " 秘めた心模様 " を効果的に表現している。特にこの第15週のライティングは冴えており、この74話もライティングが見所の一つと言える。
そして今回も『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら )や、『映像力学』的な視点、更に字幕表示の対象となっていないセリフ(演者のアドリブ)にもフォーカスを当てて、ストーリー展開上の意味や登場人物の " 秘めた心模様 " についても、じっくりと分析・考察していきたいと思う。
○彼女との間には、既に " 障壁 " がそびえ立ち・・・ 隔てられていた
東京に住む、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)の前に突然現れた、故郷・亀島の幼馴染・及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)。
突然に来訪した亮に戸惑いながらも、『汐見湯』のコミュニティースペースに招き入れ、会話をしながら食事を作る百音。
百音は、ここに訪れた経緯を亮に尋ねると、銚子漁港に停泊中であり、そのついでに築地市場へと見学に来たと語る。彼女は、築地の場内はどうだったかと問う。
亮が " 海の男 " としての逞しさを一段と身に付けて、その成長ぶりを感じ取る百音。一見すると、幼馴染の微笑ましいやり取りにも感じるのだが・・・ 皆さんはこのシーンをどのように感じましたか?
筆者には、百音から醸し出される雰囲気には、「なぜ突然に・・・ りょーちんは訪ねてきたのか?」ということを、終始に渡って探りを入れているように感じられる。そしてやはり・・・ このカットが切ない。
『映像力学』の視点で捉えれば( 詳しい理論はこちら )、このカットも前話のシーンと同様に、百音は " 下手側にある未来へ " と向かって歩き出そうとしているわけだ。その未来とは・・・ やはり亮が現れる直前まで、百音が思い描いていた " 菅波と共に歩む未来 " だろう。一方の亮は、やはりその対面の下手側に陣取ることで、彼女の前に立ちはだかって足止めする " 未来への障壁となる存在 " であることが、映像で表現されている。
さらに一見すると、気の置けない幼馴染の微笑ましい光景に見えても・・・ そう!! このシーンは、実は " あの光景 " と同じ意味合いを付与されているようなのだ。
東日本大震災で本土で足止めをくらった百音が、数日後にようやく故郷・亀島へ戻り、避難所の給食室で幼馴染の亀島中学吹奏楽部のメンバーと再会を果たす。しかしこのシーンでは・・・ 百音と吹奏楽部のメンバーとの間に " 調理台 " が入って隔てられることで、両者の間には「一緒には共有できない巨大な何か」といった障壁が生まれてしまったことを、映像で表現していたわけだ。
実はこのシーンでも、亮と百音の間には " 調理台 " を入れて隔たれている状態を作っている。そうなるとこのシーンでも、亮と百音との間に境界線を引き " こちら側とあちら側には大きな隔たりがある "といったことを、映像で表現しているようなのだ。
[ 百音は今まさに未来へ歩き出して、変わろうとしている。そして百音と亮は・・・ もはや " 以前のような関係性 " では無くなり始めている ]
といった二人の " お互いへの感情の温度差やその溝 " を、このシーンでは表現しているのだろう。だからこそ、" 百音の変化 " を受け入れられない亮は・・・ どんどん変わっていく彼女の象徴である、" キャスター姿 " を見たとは、言い出せなくなってしまったのではなかろうか。
また亮にとっては、百音の何気ない " この言葉 " からも、距離感を感じたようも感じられる。
もし百音が、未だ故郷・亀島に住んでいたのならば・・・ 亮が故郷の海産物に「自信を持っている」と力強く語ることを " 自慢 " と捉えるだろうか? むしろ、彼女は " 故郷のことを誇らしい " といった捉え方になるのではなかろうか?
要するに、故郷・亀島から離れて2年が経過し、今現在は東京に住む百音は、故郷に対しても " 心の距離感 " が、無意識のうちに生まれ始めているということの表れではなかろうか。そして筆者には、百音のこのような言葉のニュアンスさえも、亮は敏感に感じ取っているように感じられるのだ。
これらのことから亮は、東京という街で百音と顔を合わせたことによって「モネが手の届かない所へ行ってしまった。" あのモネ " が変わっていく」、「モネとは、もはや " 以前のような関係性 " では無くなり始めている」ということを、改めて思い知らされた。それと同時に、" やはり・・・ そのことを受け入れたくない " という亮の感情が、『まだ見てないんだわ』と語らせたのではなかろうか。
○「俺のことを受け止める " 心の場所 " は・・・ もう無いのか?」 その彼の中に生まれた衝動性を・・・ そこはかとなく感じ取る彼女。
亮が未だ " 百音のキャスター姿 " を見ていないことを知り、彼女はこのように返す。
ということは、百音も東京という街での " 自分自身の変化 " については自覚しているということだろう。もちろん、" 照れ " というものもあるだろうが、幼馴染たち・・・ 特に亮には、「 " 変わった " と思われたくない」という百音の思いも滲む。
しかし、百音の前には " 調理台 " があって・・・ 彼女自身もまだ気づいていない " 自分の変化した部分 " というものがある。それが亮と百音の間を隔てるものになっていく。その百音を変化させる大きな刺激が、やはり菅波という存在であり、ここでは " 調理台 " がそのメタファーになっているのではないかと、筆者は考えている。
そして亮はこのように返す。
この亮の受け答えに、幼馴染に一方、今の " 自分の感情 " を悟られないようにと、百音に背中を見せる亮。
この瞬間の百音の視線移動が、非常に興味深い。亮の後ろ姿を " 頭から足元まで " 舐めるように注意深く観察して、" その違和感 " を読み取ろうとしている様子が窺えるのだ。
そして・・・ やはり " 亮の異変 " に気付いた百音は、このように語りかける。
このような状況の時、いつも幼馴染たちの前は、「何でもない」と言って微笑を浮かべる亮。しかし、百音の " この問いかけ " で・・・ 彼の表情は急変する。
と亮は珍しく直球の問いかけを返してくる。
さて、今回のように急遽、近くに来る所用がたとえあったとしても、亮は事前に連絡を全くせずに、突然に登場するような人物像ではない。もし、今回のような状況であったとしても、これまでであれば必ず、事前に連絡を入れていたでだろう。したがって何の前触れも無く、突然現れた亮に対して、『だって、急に来るから』と語る百音は、彼の中に生まれた " 何らかの衝動性 " を察知して指摘したわけだ。
一方で亮を演じた永瀬氏は、このストーリー展開とセリフについて、このように語っている。
[ モネ・・・ 俺のことを受け止める " 心の場所 " は・・・ もう無いのか? ]
この永瀬氏の話と、シーンでの『来ちゃダメなの? 』というニュアンスから、筆者は上記のような亮の心模様を感じてしまった。おそらく百音も、そこはかとなく同様のことを感じ取り、答えに困った様子だったが・・・ 辛うじて " この言葉 " が出てきたわけだ。
この百音の返答に、
[ 俺が急に目の前に現れたことで・・・ やはりモネが困惑している・・・ ]
ということを感じ取ってしまった亮。直前までの微笑は消えて・・・ 彼は非常に寂しそうな表情を浮かべるのが印象的だ。それと同時に、
[ 東京という街がモネを変えていく・・・ 東京という街に " 唯一の心の支え " が奪われていく・・・ ]
といった焦燥感が、亮の脳裏をよぎったのだろう。とうとう彼は・・・その " 核心部分 " を、百音に打ち明けようとする。
いつになく " 切羽詰まった表情 " の亮に気付いた百音は、彼が語ろうとする " 核心部分 " を、これまで以上に真剣に受け止めようとする。この百音のカットでは、その緊張感からか、彼女の表情が一気に引き締まっていくところが印象的だろう。
何かを言いかけた亮だったが・・・ タイミングよく、明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)と百音の妹・未知(みーちゃん 演・蒔田彩珠氏が帰ってきてしまう。
結局、亮は百音に話したかった " 核心部分 " を・・・ 切り出すことは出来なかった。
○『楽しいなあ』という言葉の背後には・・・ 喪失感といった " 相反するような感情 " が渦巻いていた
妹・未知と明日美が揃い、また仙台にいる幼馴染の後藤三生(みつお 演・前田航基)と早坂悠人(演・髙田彪我)ともビデオ通話を繫いで、亀島中学吹奏楽部の同窓会のような飲み会が開かれる。
久しぶりの幼馴染との和やかな飲み会に、
と亮は、思わず言葉が漏れる。
さて、母・美波の死亡届の件で " 不穏な予感 " と、唯一の心の支えだった百音を失う焦燥感に苛まれていた亮。しかし、気の置けない幼馴染たちとの楽しい時間に、心を癒されているというシーンだが・・・ 皆さんは亮の " この表情 " をどのように捉えましたか?
もちろん、『楽しいなあ』という言葉の背後には、ここ最近の亮は " 寂しく不安な日々に苛まれていた " ということを感じさせ、気の置けない幼馴染たちとの時間が、彼にとっての救いであることも意味しているのだろう。
しかし筆者には、亮の笑顔が " この瞬間を心置きなく楽しんでいる " というようには感じられなかった。むしろ、このシーンにおいても亮は " 一段と孤独感を深めている " というような " 作り笑い " のようなものに感じられたわけだ。その理由としては、やはり " この配置 " がそのことを体現していると思う。
このシーンにおいても、調理台を挟んで奥側に百音、そして手前側には亮の配置で、終始に渡ってこの配置は変化せず・・・ 結局、百音は調理台を越えて、亮が座る側に歩み寄ることは無かった。ということは、やはり二人の間には、 " お互いへの感情の温度差やその溝 " が存在していることを表現しているのだろう。したがって、
という言葉とその表情からは、決して楽しさは伝わっては来ない。むしろ、
[ モネとは・・・ やはり " 以前のような関係性 " では無くなってしまったのか。俺は " 唯一の心の支え " を失ってしまうのか・・・ ]
といった喪失感や寂しさといった " 相反するような感情 " が渦巻いているようにも見える。したがって、亮のこの表情は " 作り笑い " のようにも、筆者には感じられるわけだ。だからこそ " この言葉 " を聞いた百音と妹・未知は、彼の表情を注意深く観察したのではなかろうか。
百音のこの表情からすると、亮が突然訪れた理由はやはり " 寂しく不安な日々に苛まれていた " ということを感じ取ったのだろう。そして、それでも気の置けない幼馴染たちとの時間だけは・・・ 亮が存分に楽しんでいる様子に、百音も安堵しているといった表情に見える。
その一方で・・・ 亮が抱えている寂しさが「どこから来ているのか」というところまでは、さすがに百音は把握していないようだ。その要因としては、やはり彼女が故郷・亀島を離れて2年以上が経過し、亮と接する機会が減少していることも大きいのだろう。このことは明日美も、そして仙台の大学に通っている三生や悠人なども同様だと思われる。しかし・・・
その一方で現在も故郷・亀島に残って、亮と会う機会が多い妹・未知だけは・・・ 彼が「無理をして微笑んでいる」ということを、敏感に感じ取っているように思えるのだ。そして妹・未知も・・・ 突然に現れた亮の中にある " 何らかの衝動性 " を察知して " その不安と予感 " から、この時点で彼女の中にも、胸騒ぎが起こりつつあることも伝わってくる。
○独り離れて " 物思いに耽る彼 " の心模様は・・・ " 寒色の光 " がその孤独感を代弁していた
飲み会が終了後し、『汐見湯』に一晩泊まることになった亮は、独り離れて物思いに耽っていた。妹・未知は、彼にこのように話しかける。
やはり妹・未知は、亮の " 何らかの異変 " を、そこはかとなく感じ取っていたことが分る。それに対して、このように返す。
というように、「何でもないよ」といった雰囲気で答える亮。続けて妹・未知は、このように問う。
故郷・亀島に残り、水産業にも携わる妹・未知という存在は、亮にとっては世間話やたわいもない話が出来る相手であり、" 気晴らし " になる相手でもある。そのような存在の彼女であっても・・・ 投げかける " その微笑 " は、決して彼の心の内面を見せるものでは無い。
それでこのシーンにおいても、73話で採用されたライティング手法を駆使して、亮の秘められた心情を巧みに演出している。まず、これを見てほしい。
上記の画像のように、亮が座っている場所を境界線として、下手側に" 寒色(ブルー)系の色味 " のライティングを施し、上手側には " 暖色(オレンジ)系の色味 " のライティングが施されている。したがって、亮は " 寒色(ブルー)系の色味 " のライトを浴びることで、その表情が " ブルー色 " に染まっている。
短絡的に捉えれば、亮が月光に照らされているという状況設定なのだが、前回の記事でも指摘したように、ライティングを駆使して " 映像のルック " をコントロールすることで、登場人物の心理描写を表現することを狙っているわけだ。 ということは、妹・未知に話しかけられる直前までの " 亮の心模様 " というのは、元来から彼が抱いていた " 心の闇と孤独感 " というものに、
[ 俺はモネという " 唯一の心の支え " を失っていく・・・ ]
[ 東京という街が・・・ モネをどんどん変えていく。モネは " 未来へ " と歩き出そうとしている ]
[ 俺の中の止まってしまった時計は、未だ動き出さずに・・・ 過去に囚われたまま、俺だけが取り残される・・・ ]
といった寂しさや孤独感が更にプラスされたことで、ある意味、「 " 東京という存在 " に打ちのめされた・・・」という感慨も抱きつつ、独り離れて物思いに耽っていたのだろう。そして、その亮の感慨を " 青白い映像のルック " で表現しているわけだ。
それで亮は、
と問いかけつつ、傍らのソファーに座ることを妹・未知に促す。したがって妹・未知は、それに導かれるように傍らのソファーに座ることになる。この段取りによって、妹・未知は亮と一緒に " 寒色(ブルー)系のライト " を浴びることになるわけだ。ということは、
[ りょーちんの異変と " 今抱えている衝動性 " の源泉を・・・ 知りたい、確かめたい。それと同時に、その寂しさや孤独感も・・・ 一緒に共有したい ]
といった妹・未知の心情を、亮と同じ " 寒色(ブルー)系のライト " を一緒に浴びることで表現している考えられる。さらに言えば彼女も、最近の姉・百音の大きな変化に対して、
[ お姉ちゃんは・・・ 思うがままに東京の生活を謳歌し、東京という街が既に " ホーム " になっている。そして " あの日 " のことは・・・ 過去のものになりつつあるんだ ]
[ お姉ちゃんは " あの日 " のことを過去のことにして・・・ これからは日々変わっていく。それに対して私は " あの日 " のことに囚われてしまって・・・ 全然変われない。私だけ・・・ どんどん取り残されていくんだ・・・ ]
といった、亮と同質の焦燥感や孤独感も感じていたわけだ。ということは " 青白い映像のルック " によって、亮が抱える焦燥感や孤独感に対する、妹・未知の共感や共鳴も、同時に表現しているのではなかろうか。
さて過去の放送回では、百音が " 妹・未知と亮の関係性 " について、このように語っていることが非常に興味深い。
ということは、百音も " 亮と妹・未知が抱えている心の闇 " というものが、同質のものであることを、既にそこはかとなく感じ取っていることを意味している。
それと同時に興味深いのは、このシーンでは亮に促されているとは言え、" 彼の領域 " に妹・未知が能動的に飛び込んでいって、" 寒色(ブルー)系のライト " を浴びる段取りになっているところだ。
この亮が座るブルー色に染まる領域には、" 苦しさや寂しさ、孤独感 " が渦巻く・・・ 非常に冷たくて苦しい " 心の闇が蠢いている領域 " でもあるわけだ。本来であれば、避けて通りたい領域に、妹・未知は自ら飛び込んでいく・・・
[ りょーちんの心の闇を理解し、受け止められるのは・・・ " 同質の心の闇 " を持っている私しかいない ]
といった妹・未知の思いが、" 亮の領域 " へと、能動的に飛び込ませて、" 彼の傍で寄り添う " といった行動で表現しようとしているのではなかろうか。このシーンは・・・ 本当に胸が締め付けられるほど、切ないシーンだと思う。
○彼のかけた言葉が・・・ 「どんな時でも全力で寄り添う」という " 毅然とした覚悟 " を彼女に抱かせる
そして亮と妹・未知の語らいは、このように展開する。
上京し、ある意味において " 東京という存在 " に・・・ それぞれ打ちのめされている亮と妹・未知。それと同時に、今現在の二人の生き方は、" 逃れられない宿命 " であることも思い知ったようにも感じられる。そしてお互いの心情を慮りながら、その共感性は高まっているのだろう。
そのような中で妹・未知の語った、『1週間以上、家 離れるとか、いろいろ気になるから、早く帰りたいんですけど・・・』という言葉の背後には、
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