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" 自分のまま " を受け入れ、" その人のまま " も受け入れられるような『世界』を目指して・・・
[○期間限定公開記事]
吉岡里帆氏と笑福亭鶴瓶氏のダブル主演で、BS波の「NHKプレミアムドラマ」枠で放送された『しずかちゃんとパパ(2022年 フル尺 : 49分版)』。放送当時からかなり話題になっており、昨年のテレビ関連の賞レースを席巻。第38回 ATP賞テレビグランプリ(優秀賞 ドラマ部門) を筆頭に、第48回放送文化基金賞(番組部門 テレビドラマ番組)、第60回ギャラクシー賞(奨励賞 テレビ部門)と主要なものを受賞している。
そして1年後の2023年に、地上波の「ドラマ10」枠で、再編集版(45分版)としてリバイバルされ、再び評価が高まっているわけだ。
さて作品は、シングルファーザー家庭の " 娘離れ・父離れ " や、聾者の父親を聴者の娘が支える、いわゆる「CODA ( Children of Deaf Adults ) の実情」といったものが、大きなテーマだ。
このエッセイでは、それらの視点を踏まえつつ、「継承と世代交代」や「自我の受け入れと変化の受け入れ」、「大人世代が背負う、子供や若者世代への責任」、「それぞれが思い描く " 自由な未来 " 」という視点から、綴っていきたい。
また、本編(フル尺・49分版)からも削除されたエピソードを、脚本の決定稿(『月刊シナリオ教室』・2022年8月号 )などの資料を元に、地上波の再編集版が終了した " 2023年9月の3週目の時点 " で、筆者が感じたことを綴っていきたいと思う。
○プロローグ [ストーリー展開・概要]
まず、『しずかちゃんとパパ』をまだご覧になっていない方々もいらっしゃると思うので、第1話のストーリーを簡単に説明したいと思う。作品をご覧になった方は、この章は読み飛ばして頂きたい。
舞台は関東圏(栃木県)の地方都市・美ノ和地区。昔ながらの地元商店街・ミノワ通り共栄会は、シャッター通りと寂れた風情で、大規模な再開発・「スマートシティ計画」が持ち上がっている。
主人公の野々村静(演・吉岡里帆氏)は、その地元商店街で写真館を経営する父・純介(演・笑福亭鶴瓶氏)と暮らしていた。
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父・純介と母・遥(演・島田美希)は二人共に聾者で、遥は静を出産直後に他界。したがって聴者であった静は、子供の頃から父・純介の耳代わり口代わりの " 通訳的な役割 (CODA) " を担い、地元商店街の人々に愛されつつ、父娘の二人で懸命に生きてきた。
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その地元商店街に降って湧いたような、大規模な再開発「スマートシティ計画」に、父・純介を筆頭として、商店街の店主や地域の人々は反対運動を展開。
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地元住民説明会が開催され、デベロッパー側の代表団の中に、道永圭一(演・中島裕翔氏)がいて静と出会う・・・ という展開で物語は始まっていく。
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○ " 構造疲労 " を起こし衰退化する『ミノワ通り商店街』
さて舞台となる美ノ和地区とミノワ通り商店街は、今は斜陽となって、いわゆる" シャッター街 " 化が進み、地元経済も衰退が加速する。この町が標榜するのは、「人情の町・美ノ和」だ。
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言い方を変えれば、保守的でいわゆる「よそ者は排除する」といった風情も漂う。したがって " 新しい風の入らないコミュニティー " は停滞と淀みを起こし、いつの間にか構造疲労を起こして、衰退を迎えているということなのだ。では、商店街の店主や地域の人々は、" この町の行く末 " をどのように考えているのだろうか。例えば静の幼馴染である、八木康隆(演・稲葉友氏)の父・晴政(演・松角洋平氏)などは、
『晴政 : (「スマートシティ計画」の ) 話しぐらい聞いてやっても、いいんじゃないの? 』
『晴政 : 「スマートシティ」ってのが、どんなもんか聞いてから反対しても、遅くねぇって言ってんだよ! 』
といった意見もあり・・・ 美ノ和地区の人々の反対運動も、決して一枚岩ではない。そして、
[ このままではダメだ。" 何か " を変えて新しくしていかなければ・・・ ]
と日々、薄々は感じていることも伝わってくる。しかし " 変わること " への抵抗感や「何かを変えたくても " その手法 " が分らない」ということもあり、結局は「このまま・・・ 何もしないほうが良い」と、むしろ諦めにも似たような雰囲気も漂う。
このような環境の中で、主人公の野々村静は地域の人々に支えられ、愛されながら育ち、聾者の父・純介と " 二人三脚 " で懸命に生きてきたわけだ。
○『野々村静』という人の人生
野々村静は現在28歳で、ミノワ通り商店街にある実家・野々村写真館に、父・純介(63歳・脚本)と暮らす。純介が35歳前後と遅めに授かり、また一人娘のため、「目に入れても痛くない」と言うほど、可愛がっていることが想像される。
静は聾者である母・遥を幼い頃に亡くした。聴者である彼女は、幼少期にいち早く手話を習得し、聾者の父・純介の耳代わり口代わりの " 通訳的な役割 " を担う。
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そして美ノ和地区の人々は、静の健気な姿を見るたびに「偉いね。立派だね」と声をかけてきた。したがって、父の介助が静に " 生きがい "を感じさせ、それが次第に彼女自身の存在価値と等価となり、さらに言えば自己効力感を満たす要素にもなっていったわけだ。
しかしその静も・・・自我が芽生えた頃に " その価値観 " に疑問を感じるようになる。
『静 : 小学生の時も、中学生の時も、パパが卒アルのカメラマンだったから、みんなパパのことを知ってて。通訳が必要な時は私がしてたから、先生も友達も「静ちゃんは偉いね。親孝行だね」って・・・ 町のみんなも・・・ 』
『静 : だから高校は、「出来るだけ遠くの学校に行きたい」って思ったんです。パパのことを知っている人がいない所に。』
[ " パパという存在 " と切り離した時・・・ 私って、いったい " 何者 " なの? ]
これを確認し、「個としての存在価値を確立したかった」というのが高校進学時の静のメンタリティだったのだろう。しかし・・・これは簡単には上手くはいかなかった。
『静 : (高校進学時は) 初めはすごく、" 解放感 " っていうか。" 自由 " みたいな・・・ 』
『静 : でも・・・ だんだん分んなくなってきちゃったんです。どうしてればいいのか。「聞こえないお父さんを助ける親孝行の静ちゃん」それ以外の私・・・ やったことなかったから。分んなくて・・・ 』
これが要因となって " 彼女の様々な行動 " が、高校時代の仲間の誤解を生み、軋轢も生んでいく。結果的に父・純介と美ノ和地区の人々が作り上げる、保守的で人間関係の濃密なコミュニティーの「優しい世界」の方が居心地も良く、戻っていってしまう。そして静は、これ以降から・・・ 今日まで " このコミュニティーから抜け出せない状態 " へと陥ってしまっていたわけだ。
○静は父と離れ、コミュニティー・「優しい世界」から抜け出したいと、思ってはいないのだろうか?
では今現在の静は、父・純介と美ノ和地区から離れたいとは、全く考えていないのだろうか? 実は既に1話で彼女の内心が吐露されている。
『静 : だって関係ないじゃん・・・ パパの耳が聞こえないことと " 私の人生 " 』
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静は、潜在的には父・純介と離れて、切り離された状態で「個としての存在価値を確立したい」と考えていることが垣間見れる。さらに言えば、
『静 : こんな自分じゃダメだって。なんとか自分を変えたいと思って。でも、上手く出来なくて・・・ 』
と圭一にも吐露する。では静が " 自己を確立する " ためには何が必要なのか。彼女の語る言葉にヒントがある。
『静 : パパのことを知ってる人たちの前だと・・・ 凄く楽なんです。何て言うか、変なとこあっても許してもらえるっていうか・・・ 』
『静: でも、分んなくなっちゃうんです。パパを知っている人たち以外の前だと「どんな自分」でいたらいいのか・・・ 』
ということは、これから静が " 自己を確立する " という目的を達成したい場合、父・純介と美ノ和地区から一旦離れるか、あるいは父・純介と美ノ和地区に新しい刺激を加えて、硬直化したコミュニティーに " 新しい風 " を吹き入れて変化を促す・・・ 今作でこの二つの機能を託されたのが『道永圭一』 というキャラクターになるのだろう。
○『道永圭一』という " 独特の人物像 " が形成された背景を推察する
今作では『道永圭一』というキャラクターが、重要なカギを握っていることは間違いない。さすがに野々村親子ほど丁寧に、彼のバックボーンは描かれないが・・・ 提示されている状況証拠から " その人物像 " に迫りたい。
道永圭一は、公式HPや本編では年齢が示されないが、脚本によると " 静と同じ28歳 " という年齢設定だ。東京に本社を置く、デベロッパーの『日本創生地所』の都市デザイン課に勤務し、登場当初は実家で暮らしていた。
圭一の父親(演・小松和重氏)は設定上、名前・年齢不詳だが、都内と思われる閑静な住宅街 ( 世田谷区成城などの設定か? ) に、広大な一戸建てを構えて、かなり裕福な家庭であることが窺える。
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また、圭一の父の職業も設定上不詳だが、このセリフから推察が可能だ。
『千鶴子(母) : せめて、お父さんが帰って来てから、ね? しゃぶしゃぶでも食べながら・・・ 』
『圭一 : 学会は明後日までですよね? その夜に電話します。』
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圭一が『学会』と語っているので、おそらく大学の教授職(教職員)か、この広大な一戸建てからすると、医師(医療従事者)である可能性も否定できないだろう。
また、母・千鶴子(演・宮田早苗氏)は設定上、年齢・職業不詳だが、その食卓から専業主婦であることが推察できる。
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このように圭一は、裕福で " ハイソサエティな家庭 " の一人息子として、大切に育てられたことは想像に難くない。
○未来への啓示をもたらす・・・ 『道永圭一』というキャラクター
この美ノ和地区の再開発計画に携わる、『道永圭一』というキャラクターは・・・ 兎にも角にも風変りだ。第一回目の地元住民説明会で静の父・純介が、再開発計画事業に反対する理由を『生まれつきだ』と勘違いし、このような演説を打つ。
『圭一 :「生まれつき」なんですよね? そちらの方(純介)が、スマートシティに反対する理由です。正直、意味が分らなくて考えました。それで、思い出したことがあります。』
『圭一 : 小学校を卒業した時、僕はどうしてもランドセルを手放すことが出来ませんでした。「中学もランドセルで行きたい」と言った僕に、母が言いました。「6年間、ずっとそばにいてくれたんだから、お別れするのは辛いよね。でもランドセルを使えるのは小学生だけで、中学生が背負っていたらおかしい」と。』
『圭一 : でも僕はランドセルを擬人化していたわけでもないし、そんなことぐらいちゃんと分っていたんです。それでも手放したくない " その理由 " を、僕は母に上手く伝えることが出来ませんでした。でも「嫌だ」という気持ちは・・・ 確かに " ここ(胸の中) " にありました。』
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このエピソードから考察すると、圭一は幼少期からロジカルな思考を持ち、「 " この気持ち " は・・・ どこからやって来たのだろう? 」といったような、" 感情が発生するその源泉 " さえも探究するような、いわゆる理屈っぽい、哲学的な子供だったわけだ。
この圭一の哲学的な思考に、母・千鶴子は『「6年間、ずっとそばにいてくれたんだから、お別れするのは辛いよね』と一旦は受け止めるものの、明確な理由までは、論理的に説明しきれてはいない。では、彼の納得する " 答え " を授けてくれたのは誰か? それは・・・ 圭一の祖父だった。
『圭一 : 僕が外出している間に、(ランドセルは) 部屋から無くなっていました。でも・・・ 中学の入学式の朝、枕元に " これ (財布) " がありました。祖父が知人の革職人にお願いして、僕のランドセルから作ってもらったそうです。』
『圭一 : 形は変わってしまったけれど・・・ " これ " は確かに僕のランドセルです。』
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これを代表例として、圭一が人生における哲学的な疑問を抱いた場合、いつも答えやヒントを授けてくれるのは、彼の祖父だったわけだ。
ではなぜ圭一は、幼少期から " 感情が発生するその源泉 " を探求するようになったのだろうか。彼は幼少期から、「空気が読めない」と周辺から言われ、今現在に至っても、同僚からは『ほんと、謎だよな。あいつメンタル』と揶揄される。そして圭一自身が、静にこのように語る。
『圭一 : 分らないんです・・・ 僕。子供の頃、「空気読め」って言われる度に、「空気中に文字が現れているんだ」と本気で思っていたんです。そうじゃないと知って、本当に驚きました。』
『圭一 : じゃあ、「みんな何を、どうやって読んでいるんだろう」って。』
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このエピソードから考察すると、圭一は幼少期に " 周りの空気 " を読まず、感情に任せた行動で、数々の失敗をしてきたのではなかろうか。だからこそ、 " 感情が発生するその源泉 " を探求するようなメンタリティへとなっていったわけだ。
また、圭一は幼少期の感情に任せた行動で、数々の失敗をしてきたからこそ、感情をストレートに表に出すことに、極度の抵抗感を示すのだろう。例えば、第4話の「けんちん祭り」で、圭一は美ノ和地区の人々に正しい情報を伝達できずに、祭りが失敗に終わった際、静にこのように語っている。
『圭一 : ダメですね・・・ 僕は。』
『静: ダメじゃないです。でも・・・ ダメでもいいです。』
『圭一 : 僕は泣いてません。』
『静: はい。でも、泣きそうに見えたんで。』
『圭一 : 僕は泣きません。』
『静: はい。じゃあ、予備です。』
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このように圭一は、感情をストレートに表に出すことに、極度の抵抗感を示していることが分ると思う。これが・・・ この後に論説する、圭一が入る「見えない檻」とリンクするとも、筆者は考えている。
いずれにしても、空気を読まずに忖度しない圭一だからこそ、むしろ " 物事の本質 " にズバッと切り込むことが出来る。特に静にとっては・・・ それはまるで " 神の啓示 " のようだ。
『少なくとも僕は助けられました・・・ " あなた " の性格に (第1話) 』
『目的は " 頑張る " ことではなくて、壁の向こうにある、" どうしても行きたい場所 " へ行くことですよね? 塀を含む壁の主な役割は " 守ること " ですから、何かを何かから大切に守ってるんです・・・ 壁は。だから「簡単に乗り越えようとするべきではない」と僕は思います (第3話)』
『夢は必須ではありません。僕も夢はありません。でも祖父が教えてくれました。「夢は探すものじゃない。向こうからやって来てしまうもの」だと (第6話)』
『 (唯一必須なことは) 法を犯さず死ぬまで生きることです。ただオプションとして、一つ心掛けていることがあります。出来る限り「自分を有効活用したい」と。あなたが今までやって来たことです。今もやり続けていることです (第6話) 』
このように" 物事の本質 " にズバッと切り込む圭一に、静はどんどん惹かれていき・・・ 二人は相思相愛となって、交際がスタートする。
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静はこの交際の中で、圭一から数々の啓示がもたらされる。そしてこの啓示によって、静の中にあった " 凝り固まった既成概念 " を打ち壊し、" 未来へと進むヒント " が与えられるわけだ。そして彼自身がデベロッパーという「古く利用価値の低下したモノやその概念を壊し、新しいモノや価値観を創り出す」という職種とリンクさせていることが、非常に興味深い。
一方、父・純介や美ノ和地区の人々は、「この地区の未来を考えると・・・ 変わっていかなければ」と潜在的には考えていたわけだ。しかし、地元住民説明会での市側やデベロッパー側の説明は、当たり障りのない、いわゆる " 絵空事 " を並べているようにも感じられ、強い抵抗感は否めなかった。しかし圭一が話し始めると・・・ やはり " 何か " が違う 。
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その圭一が醸し出す「歯に衣を着せずに本質を追及する」といった、独特の雰囲気が徐々に波及して・・・ 父・純介や美ノ和地区の人々の概念やその態度にも、 " 変化の兆し " が見られるようになっていく。
○真琴は静と町の" 敵対者 " なのか? 古い概念を壊すことは " 悪 " なのか?
圭一の同僚で、静の高校の先輩でもある長谷川真琴(演・藤井美菜氏)というキャラクター。静に対して敵対的であり、意地悪で非常に嫌味ったらしく・・・ 視聴者の間でも賛否を呼んだわけだ。
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実際のところは、静のことを羨ましく思っており、それ故の言動だったと後に語られるが・・・。
では、もし仮に真琴の言動が「静への羨望から、生まれたものではなかった」としても " その本質 " が、本当に敵対的で嫌味なものへと意味が変質してしまうのだろうか? 例えば、真琴は静に、
『真琴 : 私・・・ 大嫌いだから。この町も、この店も。』
『真琴 : でも、全然変わってない。本当、時間が止まってるみたいだね。ここも。 静ちゃんも。』
と語る。しかし真琴のこの考え方は果たして " 悪意に満ちた " ものなのだろうか?
我々視聴者の多くは、既に " 静や美ノ和地区の人々の視点 " で、感情移入しながら観ているだろう。したがって『大嫌いだから』という言葉は辛辣で、どうしても悪意を持ったものに聞こえてしまう。
しかし・・・ 真琴の視点で考えみてほしい。彼女は美ノ和地区の出身ではなく、親戚に商店街の喫茶店の店主・鹿島梅子(演・萩尾みどり氏)がいるだけだ。
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この地区のように、保守的で濃密な人間関係を形成するコミュニティーは、劇中のように仲間内であれば面倒見よく接してくれる。その一方で、" よそ者や新参者 " に対しては、排他的な態度を示してくることも想像に難くない。
そうなのだ。真琴はこのコミュニティーでは、やはり " よそ者や新参者 " であり、露骨ではなくとも、よそよそしい扱いを受けるだろう。
要するに、 " よそ者や新参者 " の真琴にとっては、美ノ和地区は、決して居心地が良いわけではなく、" 過去に排他的に扱われた " という感情が『大嫌いだから』という言葉として発せられたと、考えられなくもない。
また新しいモノや概念も受け入れない・・・ だからこそ「時間が止まっている」ように見え、どんどん古くなり人々から見向きもされなくなっている・・・だからこそ、この地区は現実として衰退の一途を辿っているわけだ。
[ こんなにも排他的で古い価値観のコミュニティーは、どんどん見向きもされなくなっている。それだったら・・・いっそ無くしてしまった方が良い ]
真琴の数々の言動は、"このような思考の結果 " から生まれていると考えても、おかしくはないだろう。では真琴は、静に敵対心を抱いているかと言うと・・・
『真琴: でも静ちゃん・・・ いいの? それで。ないの? 夢とか、やりたいこととか。』
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と語りかけた言葉も、 静が常々抱いていた「自分もこの町を出て・・・ 新しいことをやってみたい」といった、潜在的な願望を見透かしていたとも考えられる。
そして真琴も圭一と同じデベロッパーだ。「古く利用価値の低下したモノやその概念を壊し、新しいモノや価値観を創り出す」という仕事を手掛けているわけだ。
『真琴: 壊しちゃったら・・・ ごめんね。静ちゃんの「優しい世界」』
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真琴の職種やその哲学を考えると・・・ 筆者には彼女の言動は、静や美ノ和地区に変化を促す、" その刺激 " になっているように思えてならない。
そうなのだ。真琴も圭一と同様に・・・ 静に " 気づき " を与える存在なのだ。
○その " 損失 " とは・・・ 一体 " 誰の損失 " なのか?
圭一は、父・純介や美ノ和地区の人々と接していく中で、ミノワ通り商店街が、" この地域での精神的支柱 " であったことを思い知る。
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そこで再開発後も、商店街だけは存続できるようにと、彼は奔走する。しかし、それは叶わなかった・・・ 。
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圭一は、商店街の存続が不可能になったことを店主たちに説明する。すると店主たちは、「自分たちがいなくなった後に、再開発を進めることは出来ないのか?」と圭一に問う。
『圭一: その30年分が・・・ 大きな損失になります。』
『晴政: 損失だ? 誰の損失なんだよ!?』
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さて、このようなドラマでは、「人情溢れる町や商店街を壊すこと」を " 悪 " として捉えがちだ。晴政の『誰の損失なんだよ!?』というセリフは、視聴者の感情を正に代弁している。しかし・・・本当に「壊すこと=悪」と言い切れるのだろうか?
では、圭一と晴政の主張の違いは、どこから発生したものなのか。この二人の視点の違いは、このようなものになるだろう。
○圭一の視点 ・・・ 現在の社会と将来に向けての公共の利益と発展
○晴政の視点 ・・・ 守り続けた商店街と地域の利益と発展
したがってこのように捉えれば、どちら側の主張にも正当性があり、正義がある。
しかし何も変えなければ、変わっていかなければ・・・ 美ノ和地区とミノワ通り商店街は確実に衰退していく。要するに " 泥舟の状態 " であることは、" 避けられない事実 " でもあるのだ。
○ " 壊すこと・変わること " は・・・ " 新しい種 " を撒き、育てること
さて、圭一の奔走もむなしく、再開発計画のプランが変更となり、ミノワ通り商店街の存続が不可能になってしまう。プラン変更後の内容を、美ノ和地区の人々に説明しようと、地元住民説明会を開催する圭一だが、住民たちの「裏切られた」という感情は強く、誰も来ないと思いきや・・・ 唯一、静の父・純介だけが地元住民説明会へと足を運ぶ。
さて、ではなぜ父・純介だけが、地元住民説明会へと足を運んだのだろうか? 実は二つのシーンが重要なカギを握っている。まずは圭一が野々村写真館を訪れて、静はパナマへは行かないことを、父・純介が知った直後の夕食時だ。
『静 : 「どうして行かないんだ」ってどこに? 』
『純介 : パナマ。』
『静 : あ・・・ だって・・・ 行ったことないじゃん。私、海外とか。無理だよ。 』
『純介 : でも・・・ 』
『静 : いいんだって。もう、決めたの。もう、この話おしまい。食べよ、食べよ。 』
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この時、父・純介は「圭一と離れ離れになる」ということに、静が落ち込む素振りを見せていることに気づきながら・・・ " その行かない理由 " を、これ以上は追及しなかった。
しかしプランが変更で、商店街の存続が不可能となり、その責任を感じてか、圭一が「パナマへの栄転話を辞退したこと」を、父・純介が知らされた直後には、
『純介 : 言って来い。「私も一緒に行くっ」て。』
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と態度を急変させ、静に強く諭すのだ。父・純介の " この態度の急変 " は、どのような理由があるのだろうか。実は・・・ やはり本編では削除されたセリフに、そのヒントがあった。
『純介 : < テーブルを叩き > あいつのところに行け。』
『静 : え。 』
『純介 : 行かないって言ってる。パナマ。』
『静 : 知ってるよ。会った、さっき。 』
『純介 : だったら、分っただろう! 』
『静 : え。 』
『純介 : 本当は死ぬほど行きたがってるって! 』
『静 : ・・・・ 』
『純介 : 分るだろう! 俺と、お前には ! 』
『静 : ・・・・ 』
『純介 : 言って来い! 私も行くから一緒に行こうって。』
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このように、本編で削除されたセリフを見れば一目瞭然なのだが、喫茶店『ぷらむ』で住民から罵られ、「責任を取るため、パナマへ栄転話を辞退した」と語った圭一の姿は、父・純介には「死ぬほど悔しそう」に映ったわけだ。
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[ 将来有望の若者の未来を・・・ 俺たちが、本当に潰して良いものなのだろうか? ]
このように父・純介は思い知ったのだろう。そしてそのことは、他の住民には分らなくても・・・
『分るだろう! 俺と、お前には ! 』
と強く静を諭す・・・ そうなのだ。" 聾の世界 (CODA) " で、生きてきた静と父・純介。この世界では " 言語的コミュニケーション(手話・口話) " よりも、身振り手振り、そして表情などの " 非言語的コミュニケーション " の方が、より重要な場面がある。
[ 他の住民よりも・・・ 我々の方が " 圭一の心情 " を、より敏感に汲み取らなくてどうする? ]
だからこそ、父・純介は『言って来い』と、強く静に諭したのだろう。そして他の住民は、たとえ説明会をボイコットしたとしても 「俺だけでも・・・ 話しを聞いてやろう」 そのような心意気が、父・純介の足を向かわせたのではなかろうか。
さて、このようなドラマでのストーリー展開を考えると、圭一をヒロイズム的に描こうとすれば、紆余曲折があったとしても、最終的にはミノワ通り商店街の存続が決まって、大団円とするだろう。では、そのようなストーリー展開にあえてしなかったのは、なぜだろうか? 圭一の " このセリフ " が、キーワードであると感じられる。
『圭一: 商店街は残りません。でもこの町は・・・ " 未来に撒く種 " になります。』
『圭一: この種は・・・ いつか世界中で花を咲かせます。僕は一度、約束を破ってしまいましたが、今度こそ守ります。必ず伝えます。この花の種を撒いたのは・・・ 僕の大好きな、美ノ和の皆さんだと。』
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この作品で訴えたかったことは、
[ " 壊すこと・変わること " は必ずしも悪いことではない。" 壊すこと・変わること " は未来への種を作って撒き・・・ " 新しい豊かな世界 " の創造と繁栄につなげていくことだ ]
ということだろう。これを圭一が、静の父・純介に手話で懸命に訴えかける・・・ 純介が粋に思わないわけがない。さらに本編では削除されたが・・・ このセリフには続きがあり、脚本の決定稿ではこのようになっている。
『圭一: 静さんの同意を得られたら、二人でこの町に帰ってきます。そして、伝えます。" この花 " は、皆さんが、人生をかけた " この場所 " を、譲り渡してくれたからだと。』
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[ " 壊すこと・変わること " は・・・ 次世代にタスキをつないでいくこと ]
これからの時代を静と圭一、そしてその子供たち・・・ さらに " その先の世代 " にも託したい・・・ この圭一の言葉に、純介の心が動かないわけがない。
さて、実はこの " 変わる " ということに対する哲学や考え方は、今作の様々な放送回で伏線として張られているのも、非常に印象的だ。
『静 : 「過去って変えられない」って思ってたけど、変わっちゃいました。あそこで働いてて、悪口言われて、良かったです。ありがとうございます。変えてもらって。』
『圭一 : さっき、言ってくれましたよね。「ありがとうございます。変えてもらって」っと。これ (再開発) が実現した時には、あなたや町の皆さんに、そんな気持ちになってもらえるように頑張ります。 』
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『圭一: 静さん、ありがとうございます。僕を変えてくれて。』
『静: そっか。無くなるだけじゃないですよね。" 変わる " って " 楽しくなる " ってことですよね。みんな(再開発後の人々)・・・ 楽しそうですもんね。』
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既存のものを壊して、新しく創り変える・・・ 当然、不確定要素も多いため、その結果は " 必ず良くなる " とは限らない。
しかし、未来が良くなることを願い、そして祈ることが・・・ " 変化を受け入れる勇気 " を我々にもたらしてくれるのではなかろうか。
○『私は" パパと一心同体 "。 一生、傍で支えるのが私の使命』 静は 「自分の作った檻」から・・・抜け出せなくなっていた
※2023年9月16日・大幅加筆
圭一がパナマの再開発プロジェクトに抜擢され、栄転となる。彼は静に「一緒にパナマについてきて欲しい」とプロポーズする。
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しかし聾者の父・純介を幼少期から支え、二人三脚で懸命に生きてきた静は、パナマへの渡航を思い悩む。そして・・・ 彼女は渡航を断念する。この経緯を父・純介に話す。
『静: 困るでしょ。寂しいでしょ、パパ。私がいないと。気が楽なんだよ。離れて心配するぐらいなら、そばにいた方が。』
父・純介は喜ぶと思いきや・・・ このように言い放つ。
『純介: バカにするな。母さんと会うまで、俺は一人だった。一人で生きられないのは、お前だ! 俺が「聞こえないことに逃げてる」だと? 違う。それはお前だ! 寂しくて、怖いんだ。俺と " この町 " から離れるのが。』
『純介: お前の臆病を、俺の耳のせいにするな! 』
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父・純介は既に覚悟を決めていた・・・ 娘が " この家から旅立ちたい " という時には、「不安なく気持ちよく送り出してあげたい」。その父親としての「娘からの自立の準備」の一つが、" 移動手段の確保 " のための自転車乗りの練習だったのだろう。
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その一方で、父・純介には気掛かりなこともあった。
[ 俺と " この町 " から離れることを・・・ 娘は寂しがり、そして怖がっている・・・ ]
そう、" 娘の心模様 " は・・・父は既に分っていたのだ。
さて、第7話「パパの深い海の底」では、切なさが最高潮まで達するのだが・・・ 特に " このシーン " が非常に印象的だったのではなかろうか。
圭一の母・千鶴子との初対面で、圭一がパナマへの栄転話を打診されていることを偶然に知る、静の父・純介。
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父・純介は複雑な思いを抱えたまま、酒を飲んで遅くに帰宅。静は圭一とのパナマへの渡航を、純介に相談しようと待っていたが・・・ 『出て行きたきゃ、勝手に出てけ! 』と、話を聞くことさえ完全に拒否する、父・純介。
『静 : 「出て行きたきゃ、勝手に出て行け」って言ったよね? いいの!? 本当に、私、出てって。』
『静 : 無くなるんだよ。車も、ご飯も。「おはよう」も、「おやすみ」も、「行ってやっしゃい」も、「行ってきます」も、「お帰りなさい」も、「ただいま」も・・・ 無くなるんだよ、全部! 』
『静 : ダメじゃん・・・ 』
『静 : ダメじゃん。私、一生・・・ パパの・・・ 傍で、ずっと " 深い海の底 " にいないと・・・ 』
『純介 : そんな風に思っていたのか? 』
『純介 : 俺が思わせたか? 』
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さて、この作品の初見の際に、筆者は静の " このセリフ " に、そこはかとない違和感を感じたのだが・・・
『ダメじゃん。私、一生・・・ パパの・・・ 傍で、ずっと " 深い海の底 " にいないと・・・ 』
このセリフは、皆さんはどのように感じられましたか? 正直に言うと筆者には、
[ パパのせいで・・・ だから私は一生、" パパの傍 " に居ないといけなくなる・・・ そんな私、ダメじゃん ]
というニュアンスに聞こえてしまった。しかし・・・ 「 " あの優しい静 " が、ここまでハッキリと父を傷つけることを、果たして語るのだろうか? 」とも感じてしまって・・・ そこはかとない違和感が残ってしまったわけだ。もちろん、激しいやり取りのシーンのため、上記のような意味合いを込めたことも、考えられなくもないのだが・・・ 皆さんはどのように考えますか?
そこで脚本・決定稿を読むと・・・ 筆者が感じた " その違和感 " が、解けていくような感覚に陥ったのだ。
『静 : 「出て行きたきゃ、勝手に出て行け! 」って言ったよね? いいの本当に?! 私出てって。』
『純介 : ・・・・ 』
『静 : 無くなるんだよ! 車もご飯も「おはよう」も「おやすみ」も「行ってやっしゃい」も「行ってきます」も「お帰りなさい」も「ただいま」も ! 無くなるんだからね、全部! 』
『純介 : ・・・・ 』
『静 : < ふいに涙が込み上げ > ダメじゃん。』
『静 : ダメじゃん。私も一生、パパと一緒に " 海の底 " に沈んでなきゃ・・・ < 嗚咽が込み上げ --- 俯き > 』
------- ふいに、純介が静の顔を上向かせ、-------
『純介 : そんな風に思っていたのか? 』
『静 : ・・・・ 』
『純介 : 俺が思わせたか?』
放映本編版と脚本・決定稿版では、セリフとそのニュアンスが、全く違うものに感じられるのだが・・・ それは筆者だけなのだろうか? 要約すれば筆者は、放映本編版と脚本・決定稿版の " セリフとそのニュアンスの差異 " を、このように解釈した。
『ダメじゃん。私、一生・・・ パパの・・・ 傍で、ずっと " 深い海の底 " にいないと・・・ 』
○筆者の解釈
[ パパのせいで・・・ だから私は一生、" パパの傍 " に居ないといけなくなる・・・ そんな私、ダメじゃん。]
『ダメじゃん。私も一生、パパと一緒に " 海の底 " に沈んでなきゃ・・・ 』
○筆者の解釈
[ 私は・・・ " パパと一心同体 " なんだから、一生、傍で支えていくのが、私の使命と宿命なんだ ]
筆者としては、これまでの " 静の生き様 " から鑑みると、脚本・決定稿版のセリフの方がしっくりくる。それと同時に・・・ 静の中の「見えない檻」が、より深く強固に構築されていることが、浮き彫りになったようにも感じられたのだ。
ではなぜ放映本編版では、このようにセリフとそのニュアンスを変更したのだろうか? 吉岡里帆氏と中島裕翔氏が出演した、『土スタ』・2023年8月5日の放映で語っていたことが、ヒントの一つになると思う。
この放映では、第1話でのクライマックスである、父・純介が『お前が嫌われているは・・・ 俺のせいか?』と語るシーンの " 撮影時の裏話 " を、吉岡氏がこのように語っていた。
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『吉岡 : 台本には、本当に「(純介が)泣く」っては書いてなくって。むしろケンカのシーンになってるんですよね、台本上は。「なんで、" そんな風 " に言われなきゃいけないんだ」みたいなことを、お互いになるんですけど。』
『吉岡 : 多分、" (静の) 痛み " が伝わり過ぎて・・・ 鶴瓶さんに。静に愛があるから。鶴瓶さん泣いちゃって、プロデューサーの方が走ってきて「ここで泣かないでください! この後の話で良いシーン、いっぱいあるから、そこに取っておいてください 」って。』
『吉岡 : 「(鶴瓶氏曰く) ここ何回やっても・・・あかんわ・・」 って、何テイクやっても、やっぱり涙が出てきちゃって。もうそのシーンは " 泣いちゃう " ってシーンに。』
『吉岡 : 私も鶴瓶さんの顔見てたら、涙腺がウァーってなって、「私だけでも泣かないぞ! 」みたいな気持ちになるぐらい・・・ 私も鶴瓶さんの表情に、すごく胸打たれました。』
このように、脚本や台本で決められたことがあっても、出演俳優の感覚や感性、演技を展開する中で " 生まれてくる感情 " などを、俳優の間でもディスカッションする。また俳優側と演出側、場合によっては脚本家側とも相談し、「決定稿のセリフや演技プランも変更することもある」ということなのだろう。
話を戻すと、放映本編では、「パパのせいで・・・ だから私は一生、" パパの傍 " に居ないといけなくなる・・・ そんな私、ダメじゃん。」といった、ニュアンスのセリフへと変更した理由には、静が " 父をより深く傷つける言葉を浴びせる " ことで、この後に続く、父・純介の『そんな風に思っていたのか? 俺が思わせたか?』というセリフを、" より切ないものへと増幅させる " といったような効果を俳優側や演出側が、あえて狙っていたのではないかとも考えられるわけだ。
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しかし、脚本・決定稿の方では、「私は・・・ " パパと一心同体 " なんだから、一生、傍で支えていくのが、私の使命と宿命なんだ」というニュアンスにすることで、 静の中の「見えない檻」を強調することを狙っていたのではなかろうか。
要するに、娘が父の介助をすることで、彼女自身の存在価値を実感し、町の人々の庇護のもとで居心地良く過ごしていた。しかし・・・ そのことは、静の中で「見えない檻」を、より深く強固に構築され、抜け出せない状態であるということを、父・純介が改めて思い知った・・・ このことを脚本家側は、セリフとして強調する狙いがあったとも考えられるわけだ。
いずれにしても父・純介は、「自分の作った見えない檻」から静が抜け出すことを、もちろん手助けしてやりたいだろうが・・・ 父と娘の関係は難しい側面もある。そこで二人と親交の深い、鈴間さくら(演・木村多江氏)に話をしてもらう。
『さくら: 静さん、私ね・・・ 息子のことずっと、卵だと思ってて。こうやって「大切に守って、あっためてないと、壊れちゃう」って。でもね、鳥だったの。いつの間にか、手の中にいたのは。』
『さくら : ふふ。飛んでっちゃって、静さん。大丈夫だから。』
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さくらの言葉に背中を押されて・・・ 父・純介から離れ、" 自分の人生と未来へ " と歩み出すことを決断する静。
一方、静が「自分の作った檻」から抜け出せずにいることを、幼馴染の八木康隆(演・稲葉友氏)も気づいていた。このことを圭一に話す。
『康隆: 引っ張り出してやってくれよ・・・ あいつを。』
『圭一: この町からですか? それとも野々村さんから・・・ 』
『康隆: ちげえよ。』
『康隆: 誰も頼んでねえのに・・・ あいつが勝手に入ってる、何つうか、
こう・・・ "見えない檻"? みてえな。』
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要するに、静が個としての存在価値を確立するためには、もはや自らが能動的に行動することは難しく、何らかの外的な力や刺激が必要であることを示唆する。そして今最も適任なのが・・・やはり圭一という存在なのだ。
○実は圭一も・・・「自分の作った檻」から抜け出せなくなっていた
康隆は、圭一の部屋へと出向いて酒を酌み交わす。康隆はさらに、圭一にもこのように語りかける。
『康隆: 無表情なお前も、面白えけどよ・・・もっと、こう、出してもいいんじゃね? 感情とか。』
実は圭一も・・・ 前述した「見えない檻」に入って、抜け出せない状態であることを、康隆は敏感に気づいていたわけだ。だからこそ康隆は、「感情を表に出せ」とばかりに『よっしゃ~!』と絶叫することを、圭一に要求したのだろう。
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とはいっても、静がパナマ行きを躊躇うのは分るものの、このままではかなりの " 超遠距離恋愛 " にもなってしまう。そもそも・・・ なぜ圭一は、静が日本に残ることを了解したのだろうか?
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実は、本編では削除されているのだが・・・ 脚本の決定稿には、最終話の公園での滑り台でのシーンで、 " このようなやり取りとセリフ " が入っていた。
『静 : 本当にごめんなさい。一緒に行けなくて・・・ 』
『圭一 : その件に関して、二度と謝らないで下さい。静さん。』
『静 : え。』
『圭一 : 僕が人にされて一番嫌なことは、何かを強要されることです。なので、それを自分が誰かにしてしまわないように気をつけています。謝られてしまうと、僕が静さんにパナマ行きを強要したことになってしまいます。』
『圭一 : だから謝らないで下さい。僕もパナマに行って、ごめんなさいとは言いません。』
『静 : < 寂しいがしっかりと > はい。言わないで下さい。』
『圭一 : はい。』
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『僕が人にされて一番嫌なことは、何かを強要されることです』
この圭一の言葉・・・ 皆さんはどのように考えますか? 筆者は、この時も圭一は、自分の感情を抑え、ロジックだけで静に向き合おうとしているのではないかと考えている。要するに、
[ 彼女とパナマに一緒に行きたい・・・ 彼女と一緒にいたい・・・ ]
という圭一のストレートな感情を、「見えない檻」で封じ込めているようにも感じられるのだ。だからこそ、商店街の存続が不可能なプランに変更されると、圭一は一転してパナマを断念・・・ そこでの真琴との " やり取りのシーン " にも辻褄が合ってくる。
『真琴 : 道永くん、ちょっと待ってって! 信用できない? 私のこと。』
『圭一 : いえ。』
『真琴 : だったら、美ノ和は私に任せて、道永くんはパナマに行って。』
『圭一 : できません。』
『真琴 : 静ちゃんと離れてでも行こうとしたよね? 』
『圭一 : それは静さんが、残ることを望んだからです。美ノ和の皆さんは今、望まない選択を迫られています。残していくことは出来ません。』
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『美ノ和の皆さんは今、望まない選択を迫られています。残していくことは出来ません』
この時も圭一は、自分の感情を抑え、ロジックだけでパナマ行きを断念したように感じられる。
[ 美ノ和を捨て、彼女と離れても・・・ パナマに行きたい・・・ ]
このようなストレートな感情も、圭一は「見えない檻」で封じ込めているのではなかろうか。この圭一の封じ込めた感情さえ・・・ 康隆は鋭く見抜く。
『康隆 : ( パナマ ) 行けよ、お前。』
『圭一 : 行きません。 』
『康隆 : お前さ・・・ 本気でそう思ってんならよ。何で、そんな悔しそうなん? 』
そうなのだ。静と圭一、それぞれの「見えない檻」を示唆し、そこから抜け出すことを後押ししたのも、康隆だったのだ。
『康隆 : 俺がここ (この町) にいるのは、出て行けねえからじゃねえからな。選んだんだよ。俺がここを。』
『圭一 : はい。 』
『康隆 : だからお前も、選んだ場所に行け。静と一緒に。』
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「感情のままに・・・ 自由に生きること」を諭し、そして圭一の背中を押したのも・・・ 実は康隆だったのだ。
○縛るものは何もない・・・ 自由に生きろ
静の父・純介と美ノ和地区の人々の後押しもあって・・・ 静と圭一は結婚し、一緒にパナマへと向かうことを決断する。そしてパナマ出発前に、静は父・純介と酒を酌み交わし、亡き母・遥(演・島田美希氏)の自分への思いを知る。
『純介 : お前が " 聞こえる " と分って、母さんが言った。』
『静: 何て? 』
『純介:「可哀想だね・・・ 聞こえるなんて」』
『純介:「私達の知らない " 聞こえる世界 " で一人で生きなきゃならない。私の大好きな " 聞こえない世界 " で生きられない。守れない」 だからお守りに " 俺たちの世界 " の名前を付けた。』
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聾者の父と母は・・・ " 自分たちが経験したことの無い世界 " で、娘に向かうべき方向性を示すことが出来ない。しかし・・・ " 静 " という名前に祈りを込め、そして美ノ和地区の人々に支えられながら、" 聞こえる世界で生き抜くこと " を教わったわけだ。
そして父・純介は、このメッセージを娘に託す。
『純介 : お前はどちらでも(聴者の世界でも聾者の世界でも) 生きてる。どっちの世界でもお前は一人じゃない。行け。「愛と海のある」ところ。』
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さてこの作品では、圭一が赴任する「パナマ」を、第7話と最終話の2話分で、" 合計9回 " もセリフとして用いている(第6話も含めると合計10回)。特に、父・純介と康隆に至っては「パラマ」と間違うことで、圭一に「パナマ」と、" わざわざ言い直し " をさせているところが非常に印象深い。
「パナマ」という地名を、これだけ反復して用いるということに、脚本として " 何らかの意味と意味合いを全く持たせていない " とは、とても考えにくく・・・ 視聴者にサブリミナル的な効果を狙って、やはり潜在的に " 何かの印象 " を意図的に刷り込んでいることが考えられるわけだ。では「パナマ」という地に、どのような意図や意味合いを込めたのだろうか?
これから静と圭一が向かうパナマには、太平洋と大西洋の " 二つの海 " をつなげる「パナマ運河」がある。
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そして静は、28年間の人生の中で、" 聾者の世界と聴者の世界をつなぐ架け橋 " を担ってきたわけだ。
[ 今度は圭一と共に手を携えて・・・ " 日本とパナマをつなぐ架け橋 " になれ・・・ ]
脚本家の蛭田直美氏の" この思い " を、父・純介の語るセリフに " メタファ " として込めているようにも感じられる。そうなのだ。「パナマ」という地名を反復して用いることで、視聴者に " このメタファ " を、潜在的に刷り込んでいたのではなかろうか。そして、父・純介の、
『純介 : お前を縛るものはない。自由に生きろ。』
というセリフには・・・ 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 とも共通する「父親の娘への思い」や「将来を背負う若者たち」に託すメッセージを感じざるを得なかった。
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主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)は、東日本大震災で心の傷を負うことで、故郷にいることが辛くなり・・・ 故郷から離れ、現在は東京に住む。
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所用で上京した父・耕治(演・内野聖陽氏)は、百音の上司・朝岡覚(演・西島秀俊)と面会してこのように語る。
『耕治 : だからね・・・ 娘が東京で自由に、楽しそうに仕事してんの、もう、ほんと、嬉しいんです。』
『耕治 : 娘たちは・・・ " 希望 " だ。』
『耕治 : あ・・・ でも、娘たちだけじゃねえな。子供たち全員に、こう言ってやりてえ。「どうなるか分んねえ世の中だ。もう、どこ行ったって、構わねえ」 ただ・・・ 「お前たちの未来は明るいんだ」って。「決して、悪くなる一方じゃない」って。俺は信じて・・・ 言い続けてやりたい。』
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我々大人世代は、年を経ることに・・・ " 未来への希望や夢 " をどんどん語らなくなっていく。もちろん、それは " 厳しい現実 " というものを突き付けられ、心が折れたり、時を経れば " 自身の余命が少なくなっていく " ことで、希望や夢を語る必要が無くなるということも、その要因なのかもしれない。
もっと言えば、むしろ我々大人世代は、年を経ることに・・・ " 未来への不安 " の方を、多く口にしてはいないだろうか? そして我々大人が発する" 未来への不安 " を、散々聞いた子供や若者世代が、果たして " 未来への希望や夢 " に持つことが出来るのだろうか?
[ 子供や若者世代が " 未来への希望や夢 " を持てないのは・・・ 大人世代の責任だ ]
『しずかちゃんとパパ』の純介と『おかえりモネ』の耕治という、二人の父親は、
[ 自分を " 自分自身で縛らず " ・・・ 好きな場所で、自由に生きろ ]
[ お前たちの未来には・・・ 絶対に希望が待っている ]
ということを、子供や若者世代に声をからして訴え続ける・・・ そのような " 勇気を持った大人たち " の代表なのだろうと、筆者は強く思うのだ。
○" 自分のまま " を受け入れ、" その人のまま " も受け入れられるような『世界』を目指して・・・
静と圭一がパナマへと旅立つ日、父・純介と美ノ和地区の人々の計らいもあって、ささやかな結婚式を催す。その新婦のあいさつで、静はこのようにスピーチした。
『静 : ここは私にとって、本当に優しい、優しい世界で・・・ 出来れば、ずっとここにいたかったけど・・・ でも行く。教えてもらったから。圭一さんに。みんなに。パパに。「世界は優しいところ」だって。』
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脚本を担当した蛭田直美氏は、作品に込める思いをこのように語っている。
描きたいのはいつでも、『優しい世界』じゃなくて、『世界は優しい』です。
往々にして起こるのは、仲間内では「優しい世界」でも、" よそ者や新参者 " に対しては、排他的な「冷たい世界」を我々は作りがちだ。そのような世界では・・・ 意味がない。
『静: 行ってきます。私のままの私で、圭一さんのままの圭一さんと。』
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[ " 自分のまま " を受け入れ、" その人のまま " も受け入れられるような世界を目指して・・・ ]
『変わらなくてもいい。しかし「変わりたい」と思ったらならば・・・ いつでも変わったっていい。この場所に居ればいい。しかし「この場所を離れたい」と思ったのなら・・・ いつでも離れたっていい』
劇中で懸命に生き切った、静と純介、圭一、そして美ノ和地区の人々から、心が少し軽くなる、「日々を楽しく生きるための哲学」を教わったような・・・ そのような " 爽やかな鑑賞後感 " が心地良い作品だったように思う。
さて、『しずかちゃんとパパ』という作品に、ここまで感動させられるとは思ってもみなかった。昨年に放映された作品ということもあり、既に多くの分析・考察も出回っていると思う。したがって、筆者のような稚拙な分析・考察は必要とされていないのかもしれない。しかし・・・
もし、この記事で反響があれば、この作品を『映像力学』などの手法を用いて、1話ごとの詳細な分析・考察を書きたいと思う。ぜひとも、この記事のコメント欄や X (旧Twitter) などに、ご意見・ご感想を頂ければと思う。
また、今回取り上げた『おかえりモネ』も今作と同様のテーマを扱っていたりもする・・・ まだご覧になっていない方々は、ぜひとも!! お奨めですよ!!
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