信じて疑わなかった " 封建的な価値基準 " が、知らず知らずのうちに・・・ 彼を縛り付け、苦しめていた [第16週・2部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回は第16週・「若き者たち」の特集記事の2部ということで、77話を集中的に取り上げた内容だ。ちなみにこの前の特集記事となる、第16週・1部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
さて、この77話は第16週の放送回の中で、音楽用語で言うところの " ブリッジ (繫ぎ) " 的な役回りを担っていると思われがちだ。しかし筆者としては、" 80話に向けての助走 " といった意味合いが大きいと考えている。
77話の各シーンにおける、登場人物のセリフや表情、仕草、構図やカット割り、ライティングやグレーディングなどに至るまで、あらゆるところに80話のストーリー展開や、百音と菅波のセリフの伏線が散りばめられている。したがって、「あの感動の80話の世界観」をより深く堪能するためには、この77話の各シーンが持つ意味合いを " その助走 " として、しっかりと把握しておく必要があるだろう。
さて76話と同様に、この77話においても菅波に " ある気づき " がもたらされる。このことが、80話での菅波の " とあるセリフ " へと繋がっていくわけだ。今回の特集記事ではそのヒントも、それとなく書き記しておきたい。
それで今回の77話でも、『映像力学』的なギミックは基本的なものが多いため、あまり取り上げてはいない。その一方で今回も、『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら )を積極的に活用し、登場人物の表情や仕草から、セリフでは語られない " 秘めた心模様 " にフィーチャーしている。
また、今作の脚本を担当した安達奈緒子氏や、チーフ演出の一木正恵氏のインタビューも交えながら、80話に向かって描かれていく " その世界観 " に迫りたいと思う。ぜひともこの部分にも、注目して読んで頂きたい。
今回の特集記事は3万3千字を超えているため、前置きはほどほどにして、早速本題に入りたいと思う。
○ステンドグラスの " ブルーの光 " を浴びる彼からは・・・「" 俺の痛みの全て " を・・・ 本当に受け止められるの? 」という思いが滲む
主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)は、幼馴染の及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)が故郷・亀島へと帰ることを引き止めるため、彼が高速バスの時間調整で滞在する、深夜営業の喫茶店へと駆けつける。
さて、この放送回の初見の際に、「亮が単独で、東京の深夜営業の喫茶店で時間を潰す」というシーン設定に対して、筆者は少し違和感を感じた。
亮の人物設定は水産高校を卒業してすぐに、地元で漁師となった。及川家の状況も考慮すると、家族で旅行することはほとんどなく・・・ そうなると亮が上京した可能性が高いのが、せいぜい学生時代の修学旅行ぐらいだろう(漁師ということで、首都圏の港を巡っている可能性はあるものの、東京の都心部まで出向くことは、少ないだろうと考えている)。
「上京経験の少ない亮が単独で・・・ 東京の深夜営業の喫茶店に入ることは、少々ハードルが高くはないのだろうか?」
今振り返ってみるとそのことが、初見の際の筆者の違和感だったと思う。そして亮は、直前まで失踪していたわけで、独りの時間を過ごしたかったことは想像に難くない。そうなると・・・ 夜明けまで時間を潰したり仮眠するのであれば、個室のあるネットカフェを選ぶ方が妥当であり、また待ち合わせに使えないこともない。放送回設定の2016年前後であれば、宮城県や気仙沼にも既にネットカフェはあっただろうし、デジタルネイティブの亮たちの世代であれば、むしろネットカフェの方が使い慣れている可能性は高い。
ではなぜ亮は、見知らぬ東京という街で、あえて使い慣れない深夜営業の喫茶店を選んだのだろうか? やはり次のストーリー展開のために、「周辺の座席の客の姿」と「昔ながらの喫茶店のメニュー」をアイテムとして用いたいという、制作者側の思惑もあるのだろう。しかし筆者には、" 亮の二つの内心 " というものが影響しているのではないかと考えている。その一つは、
[ 東京の人々は、対外的には " 心の鎧 " を纏い、すました顔で生活している。そういう俺自身も、モネたちの前では " 心の鎧 " を纏い、すました顔で日々をやり過ごして・・・ 。 今だけは " 心の鎧を纏った人々 " の中に紛れ込んで、その思いを共有したい ]
といった感情だ。 東京の人々も、すました顔で生活していても、個々の中では苦しみや心の痛みを抱えている。亮はそのことを鋭く感じ取り、「その中に紛れ込んで・・・ " 仲間 " のように共有したい」といった感情が、深夜営業の喫茶店を選ばせる結果となった可能性は高い。そしてもう一つは、
[ 俺のことを誰も知らない東京という街で、" 孤独 " というものに身を預けてみたものの・・・ 結局のところ人肌を求めて、" この場所 " を選んでしまっていた ]
要するに、亮が個室のあるネットカフェではなく、「周りの客の姿」が見える深夜営業の喫茶店をあえて選んだのは、" 孤独感の共有と人肌の恋しさ " の表れのようにも感じられるのだ。
だからこそ・・・ 百音の注文した紅茶が届いたタイミングで、亮はこんな話を語り始めるのだろう。
それで、このやり取りは何を表現しているのだろうか? 東日本大震災で、母・美波が行方不明となり、父・新次はその喪失感から未だに立ち直れず・・・ その全てを亮が背負ってきた。そのことによって、人生の機微や " 人間の表と裏 " というものを、若くして彼は感じ取れるようになってしまったのだろう。
[ 東京で生活する人たちは、一見すると " 孤独 " を楽しんでいるようにも見えるが・・・ それはやせ我慢のようでもあり、実は " 人との繋がり " を渇望している。そして・・・ この俺も同じだ ]
といった、亮が " 東京の人々が抱える孤独感を感じ取り、共有した " ということを、このセリフでは表現しているのではなかろうか。それと同時に、百音がここに来た理由も、好意を向けられた女性としてではなく、「あくまでも幼馴染として来た」ということも・・・ 彼は敏感に感じ取ってしまった。そのことを、この話の " 文脈の中 " で匂わせているのではなかろうか。亮は冷たい微笑を浮かべつつ、続けてこのように語る。
さて、亮の語ったことの意味合いを短絡的に捉えれば、東京という街には、彼の生い立ちや宿命、苦しみ、痛みを知る人はいない。亮を気づかってお節介を焼く人もいなければ、哀れみの目を向ける人もいない。だからこそ、
[ 震災や津波というものを、故郷・亀島で経験した俺たちは・・・ 否が応でも " 島で生きていくための宿命 " を背負わされてしまった ]
[ 島にいる限り・・・ " 島で生きていくための宿命 " から、俺たちは絶対に逃れられない ]
[ 東京という街なら " 俺が背負ってきた宿命 " から解放されて・・・ 気楽に自由に生きていけそうな気がする ]
というような一期一会の関係性を作りやすい " 東京の距離感 " の方が、『楽でいい』と亮は語っているようにも聞こえてくるが・・・ それだけの意味合いしかないとは、筆者には到底感じられなかったのだ。
さて、第15・16週では、ライティングや色相によって百音や妹・未知、そして亮の状況やその心情が丁寧に映し出されている。 例えばチーフ演出である一木正恵氏が、今作のライティングや色相の演出上における重要性を、このように語っている。
一木氏の語ったライティングや色相の演出上における重要性は、この放送回でも同様だ。例えばこのシーンにおいては、百音たちが座るテーブル席、特に亮に対して " 寒色(ブルー)系の色味 " のライトが当たるような照明の設計がなされている。
これは喫茶店のステンドグラスに外光が差し込むことで、" 青い光が透過する " という状況を作り出し、この映像を成立させているわけだ。
それで、第15・16週では、百音の妹・未知や亮に " 寒色系の色味 " のライトを巧みに利用し、その顔がブルー色に染まることで、上京した百音に対する複雑な心情や " 東京という存在 " に対する抵抗感、抱えている孤独感などが繊細に表現されている。
それでこのシーンでは、『何か・・・ (東京って) いいな』と口では語っているものの・・・ " 寒色(ブルー)系の色味 " のライトを浴びて、亮の顔が青く染まっている。そうなってくると、東京に対する羨ましさを口にしつつも、その内心では 「 " 東京という存在 " に抵抗感を抱き、羨ましいとは微塵も考えていない」ということを、亮の顔の色相で表現していることが考えられるわけだ。
[ 東京で生活する人たちは、一見すると " 孤独 " を楽しんでいるようにも見えるが・・・ それはやせ我慢のようでもあり、実は " 人との繋がり " を渇望している ]
[ 人肌を求めて " この場所 " を選んだが・・・ " 俺の孤独感 " は埋められなかった ]
[ " 人との繋がり " を渇望しているにも関わらず・・・ いざとなると、人とは深く関わろうとはしない。そんな " 東京という街 " に・・・ モネは染まりたいの? ]
と東京生活を謳歌する百音に対して、亮は東京という街に " 否定的なアイロニー " をぶつけているようにも感じられる。さらに続く、
[ 故郷・亀島から離れ、東京生活を謳歌するモネは・・・ もう " 島で生きていくための宿命 " からは解放されたの? ]
ということを、亮は百音に対して止めを刺すが如く、問いかけているようにも感じられるのだ。もっと言えば、この「東京の喫茶店」という空間には、亮の生い立ちや宿命、苦しみ、痛みを知る人はいない。" この空間 " で全てを知っているのは唯一・・・ 百音だけであり、今、彼が抱えている " 孤独感 " を埋められるのは彼女だけだ。
そして百音がこの瞬間に手を差し伸べなければ、亮は " 強固な心のシャッター " を降ろして、「完全なる孤独の闇へ」と落ちていってしまう・・・ そのようなことも、" 亮の顔のブルーの色相 " で表現しているのではなかろうか。だからこそ、この状況の中で亮は、『 (東京という街は) 楽でいい』と冷たい口調で言い放つわけだ。
[ " 島で生きていくための宿命 " から逃れるために東京に来たモネが・・・ 本当に逃げずに " 俺の痛み " を受け止めてくれるの? ]
[ " 島で生きていくための宿命 " から逃げたモネが " 俺の痛みの全て " を・・・ 本当に受け止められるの? ]
亮が強い眼差しで百音に突き付けたのは、このような思いだったのではなかろうか。一方、今ここで手を差し伸べなければ・・・ 亮は " 完全なる孤独の闇へ " と落ちていってしまう。そのことに気づいた百音は、
と亮の父・新次の酒乱事件の話を切り出したのではなかろうか。
○ " 強固な意志 " を感じさせる目の奥には、「時には " 逃げること " だって必要なことなんだよ・・・ 」という思いが伝わってくる
真夜中の電話での『俺、もう、全部やめてもいいかな』という亮の問いかけには、答えに窮した百音だったが、
とようやく返答する。すると、
と自嘲気味に言葉を吐き捨てる亮。
さて、なぜこの時に彼は、『だせえ』と自嘲したのか。そのヒントが、百音が『やめてもいいと思うよ』と声をかけた際のカットに隠れていると思う。
明らかに、亮から視線を外して語る百音。一方の亮は、彼女の様子を視線を据えて、目を凝らすように見つめていたのだ。
この時に亮は、何を感じたのだろうか?
[ 今のモネは俺のことを " 全面的 " に受け止められない。今は・・・ 俺の抱える痛みを " 全面的 " に受け止めてはくれない。だからこそ・・・ 今のモネは、俺の目を見て語れない ]
百音の心の中は " 菅波という存在 " で、占有されていることを分っていたにも関わらず・・・ 真夜中の電話では、今までギリギリのところで抑え込んでいた " 百音への恋心 " を思わず吐露してしまった亮。
そして喫茶店に現れた彼女は、「真夜中の電話の件」を意識しながらも「あくまでも幼馴染として来た」という雰囲気を、彼は " 目線を外して語った百音 " から瞬間的に感じ取ったのではなかろうか。だからこそ亮は、この状況を作り出してしまった自分自身を『だせえ』と自嘲したのだろう。そして他人事のように " 俯瞰の視点 " で語り出す亮。
さて都外暮らしの読者の方々には、あまりピンと来ないかもしれないが・・・ 亮の語る通り、地方のしかも狭いコミュニティーで生活する人々は、お互いの家柄や生い立ちなどを十二分に把握されており、否が応でもそれから逃れられない空気感が漂っている。
特にサラリーマンではない、何らかの家業を代々に渡って営んできた家柄の子供には、親戚や近所の人々から「お前はこの家の跡取りなんだぞ。将来は当然、家業を継ぐんだろうな」と散々言われ、幼い頃から " 見えないプレッシャー " が常に取り巻いている。この " 見えないプレッシャー " が、子供に「未来は決定づけられ、変えられない」ということを、どんどん刷り込んでいく・・・ それはまるで洗脳の如くだ。
そして物心が付く頃に、あまり深くも考えもせずに「将来は家業を継ぐんだ」と子供が語れば、大人たちは大喜びして「立派な子供だ!! 」と褒めてチヤホヤするわけだ。この事を今改めて振り返った亮は、典型的な流れに乗って、" その意味を深く考えなかった自分自身 " というものも嘲笑っているということだろう。しかし、
と百音は・・・ 長年に渡って " 見守ってきた立場 " として、卑下する亮を完全に否定する。それに対して、
[ やっぱりモネは・・・ 俺のことを、ずっと見守ってくれていたんだ ]
と嬉しい気持ちも伴って、心が揺らぐ亮。その揺らぐ心を立て直すように、
[ 「俺が親父を立ち直らせるんだ」と意気込みで、漁師を継ぐと自分自身で決めたのに。親戚や近所の人たちから「立派な子供だ!! 」と褒められチヤホヤされ、図に乗って・・・ いつの間にか " 引き返せなくなっていた自分 " がいた ]
[ 漁師を継いで、時が経てば経つほどに・・・" 島で生きていくための宿命 " に手足を縛られ、精神的にも追い込まれて " 不自由に苛まれる自分 " がいた ]
と亮は、これまで語ることの無かった、「背負ってきたものと " 心の痛み " の片鱗」というものを、今初めて百音に語ったのだ。そしてそのことに、とうとう耐えられなくなって、『俺、もう、全部やめてもいいかな』と百音に吐露したわけでもあるのだ。これに対して、
[ 故郷・亀島から逃げた私が・・・ りょーちんの抱えている " 心の痛みの本質 " を分るはずがない・・・ ]
ということを改めて突き付けられて・・・ 軽々しく『やめてもいいと思うよ』と言ってしまったことに、動揺する百音。結局、彼女は何も言えなくなってしまう。その百音の心の動揺を察知した亮は、
と話を打ち切って・・・ 心のシャッターを降ろして、百音の前から去ろうとする。しかし、
と " 強固な意志 " を感じさせる眼差しで強く訴え、必死で亮を引き止める百音。
さて、なぜ百音は必死で亮を引き止めるのだろうか。今すぐ気仙沼に帰ろうとも、それとも明日帰ろうとも・・・ いずれにしても " 亮を取り巻く現実 " は、簡単には変わらないだろう。それでも百音は、必死に引き止めるのはなぜか?
もしこのまま帰ったのならば、もう二度と亮は・・・ 百音や幼馴染に対して心を開くことはないということを、彼女が感じ取ったことが大きいのではなかろうか。また " 人肌を求めている " にも関わらず、突き放そうとする亮の手を・・・ 百音が能動的に掴みにいったようにも感じられる。そしてもう一つは、
[ 卑怯かもしれないけど・・・ 私は故郷・亀島から " 逃げた " ことで、心は解放されて救われた ]
[ そして " 逃げた " ことで、私はたくさんのことを学び、多くのモノを手に入れることが出来た。りょーちん・・・ 時には " 逃げること " だって必要なことなんだよ ]
故郷を離れて・・・ " この2年間で百音自身が得てきたもの " を、彼女は亮に必死に訴えかけようとしていたのではなかろうか。そしてこのことは、今作の根幹を作り上げている " 大きなテーマ " の一つでもあるのだ。
[ 震災を経験したからこそ・・・ 若くして、宿命を背負わざるを得なかった子供たちへ。宿命を真正面から受け止めることは立派なことだけど・・・ 時には宿命を放棄したっていい。時には宿命から逃げたっていい ]
" 強固な意志 " を感じさせる眼差しで亮を見つめて・・・ " 逃げたこと " で救われる心があると語りかける。『 " このまま " 帰っちゃダメだよ』という百音の言葉に、脚本家や制作者側の " 今作で伝えたい思い " というものが込められているのではなかろうか。
○ " あの日・あの場所 " にはいなかった人に、東京の人に・・・ 「私の何が解る」というの?
『汐見湯』のコミュニティースペースでは、亮の元へと百音が向かった事情を、幼馴染でルームメイトの野村明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)が、青年医師の菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)に説明している。
さて、菅波の話しぶりからすると、東日本大震災で及川家が負った様々な損害やそれに伴う新次の心痛・・・ その父・新次を一人で支え、背負ってきた亮の苦労話。そして、今回の父・新次が起こした酒乱事件によって、亮が失踪してしまう顛末を、明日美が菅波に説明したことは当然のことだろう。さらに百音の妹・未知(みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)が、
と、姉・百音と亮との関係性をぶちまけてしまっていたため、その " 妹・未知の亮へ思い " というものも、明日美はそれとなく菅波に匂わせておいた・・・ あるいは彼自身が、薄々感じ取ったことも想像できる。
事情説明をする明日美の方には視線を向けずに、終始に渡って妹・未知の様子を見守るような素振りの菅波。醸し出される空気感から " 百音と亮、妹・未知との三角関係 " のようなものを感じ取り、そのことに対しても気づかっていたのだろう。そして去り際も、妹・未知の方に視線を送って一礼して去っていく菅波。
さてこのシーンでは、菅波のこのセリフが印象に残った。
この『おおよその事情』とは、何のことを指しているのだろうか? これは、我々視聴者がこれまでに観てきた、東日本大震災のおける及川家の惨状とその後の亮の生き様、亮の百音への思いと関係性、妹・未知の亮への思い。それでもなお百音が亮の元へと向かったこと・・・ 短絡的に考えれば、これらのことを指し示しているのだろう。しかしもう少し深く考えてみると、
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