「諦めの日々」を過ごしてきたが・・・もう " 憧れ " を諦めたくはない。その思いを『オムライス』という言葉に込めて。[第16週・4部 (78話後編) ]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回は第16週・「若き者たち」の特集記事の4部ということで、78話の終盤の " 残り5分間 " を集中的に取り上げた内容だ。ちなみにこの前の特集記事となる、第16週・3部(78話前編) の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
さて、78話の終盤の " 残り5分間 " の後藤三生の熱を帯びた演説は、涙なしには観れず・・・ 大感銘を受けた。全120話の中でも、筆者は屈指の名シーンだと考えている。したがって同じく大感銘を受けた、75話の " 残り3分間 " と同様に、「1フレームごと」に観察して分析と考察を重ね、今回の記事を執筆するに至った。
ちなみに地上波デジタル放送は、29.97fps (一秒間に約30フレーム) という規格となっているため、78話の終盤の " 残り5分間 " には、約9,000フレームが収録されていることになる (Blu-rayやDVDソフトも29.97fps )。したがって筆者は、全9,000フレームを " 1フレームごと " に観察して分析と考察したということになる (このような鑑賞方法を、筆者は『Dramaturgie Time Derivative Approach : DTDA』と提唱している )。
さて、この " 残り5分間 " では、主人公である永浦百音は一言もセリフを発しない、いわゆる「受けの芝居」だ。したがって、主人公・百音の繊細な心の動きを言語ではなく、 " 彼女の表情 " から映し出そうとしているわけだ。
この「受けの芝居」は、表情だけで感情の全てを表現し尽くさなければならないため、非常に難易度が高いことも想像に難くない。しかし百音を演じる清原果耶氏は、「受けの芝居」を得意とし、むしろ彼女の演技の真骨頂とも言えるところだろう。
そして78話の終盤の " 残り5分間 " を " 1フレームごと " に観察すると、ノーマルスピードでの鑑賞では気づかなかった、百音の繊細な心の移ろいなど、もっと深い味わいを堪能できるように感じられる。したがって、今回の執筆のために" 1フレームごと " に観察したことで、これまでは気づかなかった制作者や演者側の意図を改めて理解できたように思う。
さらに、この放送回では " 登場人物の配置 " や構図といったような、『映像力学』的なギミックやカット割なども非常に重要な意味を持っている。したがって、そのような視点からも丁寧に分析・考察していきたい。
またこの放送回のキーパーソンである、後藤三生役の前田航基氏や及川亮役の永瀬廉氏などのインタビューも取り上げて、登場人物の深層心理にも迫りたいと考えている。ぜひとも、この部分にも注目して読んで頂きたいと思う。
○ " 諦めとその絶望 " を語り・・・ 仲間の前から去ろうとする彼。
思いかけずに東京という街で、亀島中学吹奏楽部のメンバーが集結していた。『汐見湯』のコミュニティースペースでは、東日本大震災によって生まれた " 亮の苦悩や背負った宿命 " の話の展開になり、その場の空気が重くなる。
幼馴染の後藤三生(みつお 演・前田航基)は、慌てて話を打ち切ろうとするが、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)は『" こういう話 (震災に関連した話) " ずっと聞きたかった気がする』と呟く。
この百音の呟きがキッカケとなり、" あの日 " 以来、初めて東日本大震災について振り返る仲間たち。その中で三生は、
と、震災によって最も深刻なダメージを受けた及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)のことを気づかいつつ、釘を刺すと、
と既に目を覚ましつつ、仲間たちの話の行方を見守っていた亮。ついに起き出して話に加わる。野村明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)は、亮が話をどの辺から聞いていたのか・・・ 気が気ではない様子だ。
と三生は誤魔化そうとする。百音も笑みを浮かべるが・・・ その笑みは引きつったものだった。仲間たちの話の流れに乗るように、亮も語り出す。
[ たとえ・・・ 家族同然の幼馴染であったとしても。 " その苦しみと痛み " を話したくても・・・ 話せない ]
といったような、実は仲間たちが直前まで話し合っていた、「被災地域の人々の心の分散と関係性の分断」というものが足枷となり、亮も本音を話せなくなっていたことが伝わってくる。
そして " あの日 " 以来、仲間に対しても " 強固な心のシャッター " を閉ざしていたが・・・ 意外にも " 震災についての心情 " を吐露するかのような素振りを見せる亮。百音は驚きの表情を隠せない。彼女の脳裏には、
[ りょーちんの苦しみと " 心の痛み " を、私は・・・ 果たして受け止めることが出来るのだろうか? ]
といったような自問自答が渦巻き、その表情が一段と引き締まっているようにも感じられるのが印象的だ。そして、
と意外にも・・・ サバサバとした雰囲気で話を続ける亮だった。
さてこのシーンで注目したいのが、それまでソファーのある居間側にいた亮が、仲間たちが集うダイニング側に入ってくるという段取りだ。
過去の記事でも述べているように、この『汐見湯』のコミュニティースペースでのシーン設定では、引き戸(黄色の線)を境界線として「ここを境に世界が二分化されている」ということが提示されている。もっと言えば、亮が座る居間側(赤色の矢印側)が " 亮の心の殻の内側 " のメタファーであり、引き戸が " 亮の強固な心のシャッター " と見立てることも出来る。
やはり亮は " あの日 " 以来、仲間に対しても " 強固な心のシャッター " を降ろして " 心の殻の内側 " に閉じこもっていたことを、映像で表現しているわけだ。その彼が、
と語る時には、引き戸(黄色の線)の境界線を自ら越えて・・・ 要するに、自身の心の殻の内側から飛び出して、 " 仲間がいる世界へ " と歩み寄って入ってくるわけだ。
さらに、明日美や三生の手を取る亮。これらの言動によって、" あの日以来から閉ざしていた心 " をついに開放して、「震災が生んだ苦しみや " 心の痛み " 」を率直に話すのかと思いきや・・・
と " 仲間との埋められない溝 " と関係性の分断について語り出すのだ。なぜ亮は、このようなことを語るのか。このセリフの中に、ヒントが隠れていると思う。
亮がここで語る " UFO " とは、それぞれの「憧れ」や「なりたい自分」、望む幸せ、将来への夢や希望のメタファーだ。
[ UFOに祈ったあの頃は・・・ 一途に " みんなの心は一つ " になっていた。しかし " あの日 " 以降は・・・ それぞれの心に溝が出来て、分断が起きてしまっていたじゃないか ]
[ 俺たちも大人になって、それぞれの居住地域も「憧れ」や「なりたい自分」、望む幸せ、将来への夢や希望もバラバラだ。そうなれば「自分の幸せ」と「仲間たちの幸せ」が対立し、軋轢が起こることもあるだろう。今さら " 心を一つ " にして、一途にみんなの幸せを祈ることなんて・・・ 綺麗ごとだ ]
だからこそ・・・ 亮は " 諦めの表情 " を浮かべつつ語るのだろう。そして、このセリフが入っていることも頷ける。
特に、幼い頃から心が通じ合っていた百音さえも・・・ 「島から逃げてしまった」といった彼女自身が抱える後ろめたさや、今では " 菅波と歩む未来 " といった「自分の幸せ」というものが脳裏を占めており・・・
亮の語る『結局、誰も何も言えないし・・・ 』とは、今の百音では、" 亮の抱える痛み " を全面的には受け止められないということも指しているのではなかろうか。さらに亮は続けて語る。
[ みんなとは違って、俺は・・・ " 島で生きていくための宿命 " からは一生、絶対に逃れられない。それは・・・ 仕方がない ]
といった、" 諦めとその絶望 " の心境を吐露する亮。そして、仲間と繫いだ手を自ら離して・・・ 強固な心のシャッターを降ろし、自身の心の殻の内側へと再び籠ろうとする。そして、「もう二度と仲間にも、そしてモネにも・・・ 心を開かない」という決意を胸に、亮は " 完全なる孤独の闇へ " と向かおうとするのだろう。
○彼の " 手の温度 " に・・・ 「その物悲しさ」が語られていた
" あの日 " 以来、心を閉ざしていたが、自ら " 仲間がいる世界へ " と歩み寄り、心の殻の中から飛び出して・・・ 心を開いたようにも見えた亮。しかし、
と、亮は " 諦めとその絶望 " を吐露して、仲間と繫いだ手を自ら離すと・・・
次の瞬間に離れた亮の手を、咄嗟に掴み返した三生。その思ってもみなかった行動に、驚きを隠せない亮。
さて、ここでのカットと登場人物の所作も非常に興味深い。まず、亮は三生と繫いだ手を離した後、下手方向(赤色の矢印)のソファーがある居間側へと向かおうとする。
この下手方向の居間側は " 亮の心の殻の内側 " に相当するため、「居間側に行ってしまえば・・・ 亮は心を閉ざして、もう二度と仲間にも心を開かない」といったような心模様を、映像で表現しているのだろう。そのことに気づいた三生は亮の手を掴み返して、上手方向(青色の矢印)の " 仲間がいる世界へ " と引き戻すのだ。
この亮と三生の " 手の演技と演出 " を初見で見た時は、胸を締め付けられるような切なさと仲間たちの熱い友情を見せつけられて・・・ 圧倒的な感動に筆者は襲われた。たった2秒前後の点描表現のカットだが・・・ 78話のこのシーンとカットは、筆者の中で一生忘れることのない名シーンだと思う。この第16週は梶原登城氏の演出だが、今作では特に「百音の故郷・亀島の人々を描いたシーン」に、名シーンを多く生んだ演出家だと思う。
それでこのシーンの撮影時の心情を、三生を演じた前田航基氏がこのように振り返っている。
前田氏も語るように、亮を演じた永瀬廉氏の身体から「仲間と決別する」という思いが、既に放出されていたわけだ。そしてシーンを演じる中で、
[ 掴み返さなきゃ、りょーちんが・・・ 今すぐにでも、消えていっちゃうんじゃないのか? ]
といった前田氏の心の衝動が、「亮を " 仲間がいる世界へ " と引き戻すような立ち振る舞い」に説得力を付与し、彼の熱量が映像として記録されていたことが、圧倒的な感動を呼ぶシーンとなった理由だったのではなかろうか。
○ " あの日 " に「何も出来なかった」と、無力感や後ろめたさを感じていたのは・・・ 私だけではなかった
" 諦めとその絶望 " を吐露しつつ、仲間との決別を意味するかのように繫いだ手を自ら離す亮。三生はすかさず亮の手を、咄嗟に掴み返す。そして熱く訴えかける。
さて、三生の語った " UFO " は、亮の語ったことに対する呼応であることから、当然ながらその意味も、それぞれの「憧れ」や「なりたい自分」、望む幸せ、将来への夢や希望のメタファーだろう。
[ UFOに祈ったあの頃は・・・ 一途に " みんなの心は一つ " になっていた。しかし " あの日 " 以降は・・・ それぞれの心に溝が生まれ、分断が起きてしまっていたじゃないか ]
[ 俺たちも大人になって、それぞれの居住地域も「憧れ」や「なりたい自分」、望む幸せ、将来への夢や希望もバラバラだ。そうなれば「自分の幸せ」と「仲間たちの幸せ」が対立し、軋轢が起こることもあるだろう。今さら " 心を一つ " にして、一途にみんなの幸せを祈ることなんて・・・ 綺麗ごとだ ]
と、亮は婉曲的に語っているのだろう。もっと言えば、
[ みんなには、これから " 自由で明るい未来 " が待っているだろう。しかし俺には・・・ 未来永劫に渡って " 島で生きていくための宿命 " に縛られて生きていかなくちゃならない。その俺の気持ちを、本当にみんなに分るのか? そんなに簡単に分られて・・・ たまるか!! ]
と語り口は優しくも、亮はある意味 " 捨てゼリフ " のようなものを仲間に突き付ける・・・ 当然、「仲間との決別」という思いも込めてだ。すると、亮の意図をそこはかとなく感じ取った三生は、
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