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想像よりも深く複雑な " 彼女の心の傷 " を突き付けられて・・・ その勇気の無さに愕然する・・・ 彼。 [第9週・2部]

若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その作品の筆者の感想と『映像力学』の視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨で展開されているのが " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事だ。それで今回は、第9週・「雨のち旅立ち」の特集記事の2部ということになる(1部はこちらから)。

それで今回の記事は特に第9週・43話を集中的に取り上げていく。 この第43話は、全120話を通しても非常に肝となるシーンが多い放送回だ。またこの放送回は、筆者の思い入れも強く、非常に長文になってしまった(苦笑)。できれば最後までお付き合い頂けると嬉しい。

また記事を執筆するのにあたっては、ストーリー展開やセリフで気になるシーンや重要に感じられるシーンを1コマずつ進め、特に重要なカットでは完全に静止させて分析する、


『ドラマツルギー・タイムデリバティブ・アプローチ ( Dramaturgie Time Derivative Approach : DTDA : 作劇の時間微分的鑑賞法)』


という筆者が提唱している手法を採用し、そこから浮き彫りになった『映像力学』などを含めた制作手法・要素から表現されている世界観を分析・考察していく。さらに筆者の感想を交えながら、この作品の深層に迫っていきたいと思う。


○ " 二人挽き鋸 " を通して・・・ その生き様や死生観を彼女に伝えたい


新田サヤカ (演・夏木マリ氏)が、先祖代々から大切に守ってきた樹齢300年のヒバの木。とうとう、その伐採当日である2016年3月10日を迎える。所有者であり、施主であるサヤカを筆頭に登米能保存会や伐採作業員、そして森林組合職員が総出で伐採を見守ることになった。まずは樹木伐採神事が厳かに行われる。


*第9週・42話より


作業員たちの倒木方向の最終的な打ち合わせが終わると、ついに伐採作業に入る。施主のサヤカが鋸入れを行うのだが、昔ながらの " 二人挽き鋸 " のため、もう一人が鋸入れに必要となる。サヤカが指名したのは、なんと・・・ 主人公・永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)だった。


『翔洋 : (鋸入れを) お願いします。』

『サヤカ : モネ・・・ そっちは、あなたが持って。 』

『百音 : え? 』

『サヤカ : ほら、早く。 』

第9週・42話より


*第9週・42話より


サヤカに指名されたことに驚き、戸惑いながらも " 二人挽き鋸 " のもう一つの取手を握る百音。サヤカと共同作業で鋸入れをする彼女だった。


このシーンはあまりにも象徴的すぎて・・・ 既にグッとくるものがある。

古来、樹木には精霊や神が宿っていると考えられ、それを " 木霊 " と呼び、人々は畏怖の念を抱いてきた。伐採を行う際は木霊を鎮めてから丁重に行う・・・ 樹木伐採神事にはそのような意味合いが込められているわけだ。

庭木であっても、樹木伐採神事を行うこともあるため、樹齢300年の樹木ともなれば、より一層厳かなものになるのだろう。

それで " 鋸入れ " に関しては、最近では個人住宅を新築する際、特に大黒柱を伐採する場合には、施主が行うことも多いそうだ。その際は施主は、チェンソーの取り扱いを事前に練習してから行うことも増えているらしい。


さて皆さんは、この " 鋸入れ " に百音が指名されたことに驚きませんでしたか? 筆者はこのシーンの初見の際は、非常に驚いたことを覚えている。

樹齢300年ともなれば、当然その植林は江戸時代にまで遡るわけだ。サヤカの・・・ 新田家の先祖が4~5代も受け継ぎ、大切に守り続けてきたもので、ある意味、米麻町の象徴的な存在でもあっただろう。このヒバを切るとなれば、下手をすると町長や地元TV局までが馳せ参じるのではなかろうか。

そのような存在の鋸入れともなれば、施主のサヤカの相方には、本来であれば地元の名士や登米能保存会の役員、あるいは森林組合の古参職員である川久保博史(演・でんでん氏)や課長の佐々木翔洋(演・浜野謙太氏)が指名されるのが筋合いというものだろう。しかし・・・ サヤカはその大役に、入職たった2年目の百音をあえて指名したのだ。百音が驚いた表情になるのも無理はないだろう。

そして伐採に立ち会う者の中からも、百音の鋸入れに対して異議を唱える者はいなかった。ということは百音の日ごろの仕事ぶりを認め、そしてサヤカとの関係性をその面々が重々承知していることに他ならない。


*サヤカに鋸入れの相方を指名された百音。その表情から " そんな大役を私でいいんですか? " といったような驚きが窺える [第9週・42話より]


そしてサヤカが百音を指名したことに " 百音に対するサヤカの思い " というものを、どうしても筆者は感じざるを得なかった。

前回の記事(第9週・1部)でも指摘したとおり、サヤカは登米能の4月の定例会で " 仕舞 " を舞うと言い出したわけだが、その理由としてはサヤカの生き様や死生観のようなものを、百音に仕舞を通して伝えようとしていた節があったわけだ。

しかしこの時点でサヤカは、百音の気象予報士の資格試験の合格に気づき、また彼女が心惹かれている、東京の気象情報会社・Weather Experts社に新年度4月からの求人が出ていることも知っているのだろう。


[ もう、百音には仕舞を通して " その思い " は伝えられないかもしれない・・・ ]


サヤカの脳裏には、4月になると百音が登米から去ってしまう可能性があったからこそ、樹齢300年のヒバの木の " 鋸入れという大役 " を彼女に指名した可能性が高いと思うのだ。そしてサヤカが4月に " 仕舞 " を舞うということと、それを百音に観てもらえないかもしれないということが、百音に鋸入れをさせるための重要な伏線として、有効に機能していることが非常に興味深い。


[ 鋸入れを通して・・・ 私の生き様や死生観をこの子に伝えたい。そして受け継いでいってほしい・・・ ]


*百音とサヤカの " 二人挽き鋸 " での鋸入れシーンは、『サヤカ・イズムの伝承と継承』といったことを表現しているのではなかろうか [第9週・42話より]


百音とサヤカの " 二人挽き鋸 " での鋸入れシーンは、『サヤカ・イズムの伝承と継承』ということを意識した画作りになっていることが非常に印象的だと思うのだ。


○彼女にとっての " 唯一の家族 " だった存在が・・・ " 命の終焉 " を迎える、その瞬間に


百音とサヤカの " 二人挽き鋸 " での鋸入れが終わり、作業員がチェンソーを使っての本格的な伐採作業へと入る。山番頭の熊谷(演・山本亨)から離れてと言われても、なかなかヒバの木のそばを離れることが出来ないサヤカ。天涯孤独の彼女にとってみれば、このヒバの木は、


[ 父であり、母であり、姉妹であり、子供でもある。唯一の心の支えであり、そして " 唯一の家族 " だった・・・ ]


というような存在だったのではなかろうか。だからこそ伐採作業が進む中、サヤカは " この身を削られるような思い " のためか、その様子を見ていられない。

 

*伐採作業から目を逸らすサヤカ。この身を削られるような思いなのだろう [第9週・43話より]


楔を打ち込まれて・・・ とうとう断末魔を叫ぶが如く、轟音を立てながら倒れ込んだヒバ。" 300年という一つの命" の終焉だ。


*第9週・43話より


さてこのシーンはどんなに言葉を綴っても・・・ " その感動 " に水を差すだけのような気もするのだが(苦笑)。

もちろんこのシーンでは編集手法やカット割り、ライティングなど様々な技法が駆使されている。前回の記事(第9週・1部)で取り上げた " プルフォーカス(FOCUS PULL) " なども入っているわけだし。しかしこの感動を最高潮まで高めているのは、なんといっても出演俳優たちの表情と所作の演技に他ならないだろう。

このシーンはこの作品の全120話を通してみても非常に肝になるところで、しかも伐採シーンであるため、やり直しがきかない。出演俳優たちは相当気合いが入った状態で撮影当日を迎えたのではなかろうか。そのような緊張感・緊迫感が溢れる現場から、奇跡のように生まれてきた出演俳優の表情たちに・・・ 本当に惚れ惚れしてしまうのだ。

特に筆者は、古参職員の川久保の " 物悲し気な表情 " にグッときてしまう・・・ 渋すぎる。


*古参職員の川久保の " 物悲し気な表情 " には、演じるでんでん氏の " 枯れた演技 " の説得力と凄みをひしひしと感じさせられる [第9週・43話より]


川久保は自身の老いと終末というものを、伐採されたヒバの木に重ねて見ているのだろうか。そして筆者が最も驚いたのは・・・ このカットだ。


*山番頭の熊谷の上手側の隣に立つ作業員が一瞬だけ " 空を見上げる " ような所作をするカット(赤い丸で囲った作業員)。" 大きな存在を失ったこと " を象徴するような所作だ [第9週・43話より]


このカットでは一番手前の下手側に山番頭の熊谷が立ち、その上手側にいる作業員が一瞬だけ空を見上げる所作をするのだ。


[ これまでは鬱蒼と枝が茂って、空を覆い隠していたが・・・ 今はこんなにも空が広く見える・・・ ]


といったような感じの所作で、やはり " 大きな存在を失ったこと " を象徴するようなカットに感じられたわけだ。このように配役の隅々までがしっかりと演技をしているところが、この作品の重厚感と説得力につながっていると筆者は感じ、それと同時に非常に丁寧な作品作りに改めて感心させられた。

さらに言えば " この演技 " が隠し味となって、この直後のカットの感動を際立たせることに成功しているわけだ。このカットだ。

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