自己表現
自己表現のためにアートを使うのと、自己肯定(承認)のためにアートを使うのとでは違うのかな、前者の主語はスケールが違うかな?自己表現は他者を意識せずとも出来るが、自己肯定は他者からの承認や反応が無ければ成立しない。
北野武の「アキレスと亀」の最後、たしか大火事でぐるぐる巻きになった主人公マチスが一つの錆びたコーラの缶を道端で10万で売るシーンでエンドロールだったと思うが、錆びたコーラの缶を10万で売るのは、あれは承認を求めているのか、それとも自分を表現している(過大評価されて錆びついた自分、それでも表現活動をせざるを得ない)のか。あ、違う思い出した、元嫁が来てその缶を10万でください、でエンドロールだったような。もし嫁じゃない誰かが買いに来ていた場合、主人公は「評価そのもの」への皮肉を感じて、心は動かなかっただろうけど…
よし、わからん、ここからはAIに丸投げだ