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読書記録 - 乙一 「失はれる物語」
「きみのやることは、幽霊らしくない。たまには、おどろおどろしいことでも、やったらどう?」子猫のいるあたりを向いて、幾分、意地悪く言った。
次の日、テーブルの上に、彼女のものらしい恐怖の書き置きがあった。紙に、『痛いよう、苦しいよう、さみしいよう……』という小さな文字をびっしり書こうとして、飽きて途中でやめたようだ。
ここ好き。
愛しさと切なさとちょっとした不思議の短編集
乙一さんといえば『GOTH』に代表されるグロテスクなホラーテイスト (黒乙一) や、なんとなく切ない読後感を味わえる作品 (白乙一) をイメージされるかと思いますが、本書の中心はどちらかと言えば白乙一。
ただその中にも微かなホラーの香り漂う作品があったり、ちょっぴり微笑ましいファンタジーがあったりと、十二分にその幅広さを味わえる短編集となっております。
書き下ろし小説の『ウソカノ』を含めると全部で8篇の作品が収録されていますが、今回はその中でも特に印象に残った3篇をご紹介しましょう。
失はれる物語
目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故により全身不随のうえ音も視覚も、五感の全てを奪われていたのだ。
残ったのは右腕の皮膚感覚のみ。ピアニストの妻はその腕を鍵盤に見たて、日々の想いを演奏で伝えることを思いつく。それは、永劫の囚人となった私の唯一の救いとなるが……。
表題作。それでいて一番精神的にダメージを受けたのがこの作品。
ある意味「真の地獄」を見せられているようで、本当にキツい。
ただ印象に残った作品という意味では、これはもう外せません。
ストーリーだけではなく、その文体にも注目したいところ。
乙一さんの文体って、割と短めの文章をトントン繋げていくようなスタイルが特徴的ですよね。
この作品の文体はそれを限界まで尖らせたような、ひたすら一定のリズムを刻む文体が用いられていて、ある種の音楽のよう。
美しさと同時に、どこにもたどり着けない絶望を感じる。
雰囲気的には決してホラーではないんだけど、胸をギュッと掴まれるような息苦しさを感じる名作です。
手を握る泥棒の物語
俺は金に困り、古い温泉宿の一室から金品を盗み出そうと、外から壁に穴を開ける。
しかし差し込んだ手に触れたのは、そこにいるはずのない女性の手で……。
冒頭は割とシリアスな感じで始まるんだけど、途中からもう、コメディにしかなりようがない展開に転がり始める、泥棒を主人公としたドタバタストーリー。
吉本新喜劇観てるみたいで楽しかったです。
マリアの指
陸橋の上に遺書を残し、電車に轢かれてバラバラに砕け散ったマリア。
その指が家の庭に持ち込まれたのは、果たして偶然だったのか。
ホルマリン漬けの指を隠し持ちながら、僕は密かに調査に乗り出す。
本書で最も長い『マリアの指』。
前半の雰囲気からホラーかと思いきや、しっかりミステリです。
バラバラ死体は自殺なのか、他殺なのか。
他殺であれば、犯人は誰なのか。
本書の中で唯一と言ってもいい、正統派本格ミステリをお楽しみください。
守備範囲の広い一冊
読み終わった直後の感想は「さすが」の一言。
誰でも1つや2つや3つはハマる作品があるんじゃないかと思わせる守備範囲の広さ。脱帽でございます。
短編集なので、1つ1つのお話を読むのに時間がかからないのも良いですね。
はじめての乙一作品としてもオススメ。