メモに溢れる感情を【2024.04】
こんにちは。気づいたら4月ももうおしまい。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私は大学院に入学し、バタバタとした日々を送っています。まだ入学して1ヶ月経っていないという気持ちと、もう4月が終わるという気持ち両方を兼ね備えています。ひえ〜
慣れていない・忙しいからこそ、たくさんのことを感じ取ってメモしていました。今回かなり長い上になんだか疲れきってる文章になってます。環境の変化がわかりやすくて、とっても良い。個人的にはそんな様子も記録に残せて嬉しく思います。
1.心がざわつく機会が多くて疲れちゃう
新生活が始まってから心がざわつく機会が一気に増えました。
知らない土地で生きていくことに対するザワザワ
入学式の場所を間違っていないか心配でザワザワ
オリエンテーションの時間を間違えてないか気になってザワザワ
学校側と自分の連絡がうまく取れず、手元に学生証とメールアドレス、履修案内が届いてなくてザワザワ
乗る電車を間違えていないか考えてザワザワ
知り合いの先輩がいない中で、周りの人が仲良い先輩と話している姿を見てザワザワ
メールアドレスの2段階認証を登録するのに苦戦してザワザワ
履修登録がうまくできているのかわからなくてザワザワ
クラスメイトの名前が覚えられなくてザワザワ
入りたいゼミの倍率が高くてザワザワ
とにかく入学してからこれまでの一か月、私の心はよくざわついていました。
このざわつきは、新生活をスタートさせた誰もが頻度や強さは違うにせよ感じるものだから仕方のないものだと思って向き合っています。
もちろん新たな人たちと出会うわくわくや実践的な学びを得ることへの期待、新たな場所で過ごしていくことの楽しさを兼ね備えています。だからこそ、この矛盾した気持ち両方に向き合っていかないといけないため、とっても疲れちゃう。何より、慣れない生活に身体がついていけていない感覚。
正直、この矛盾とうまく付き合っていく方法を私は持ち合わせておらず、心のザワザワが減るように適応していくしかないと思っています。
5月を迎えようとする今、ようやく学校に通って授業受けることに少し慣れた気がしています。5月に気持ちの糸がぷつっと切れてしまわないように、自分(の心)を甘やかして過ごしたいなと感じています。
甘やかしかたはいっぱい兼ね備えているのでその点では最強です。先日久しぶりに全休があった際、初めて行く商店街で冷凍チヂミを買って、八百屋のおばあちゃんとお話しして帰りました。8枚入りの冷凍チヂミは少しずつ食べる予定だったけれどその日に全部食べちゃいました。
このくらいの幸せと甘やかしを、これからも自分から探して摂取していきたいなと思います。
2.今前を向いて頑張れているなら素敵だよね
新たな場所に引っ越したことによって、以前noteに書いた幼馴染Mちゃんと約30分で会うことが出来るようになりました。そんな彼女と先日、ネモフィラを見に公園へ出かけました。今回のサムネイルはその時の写真。可愛い〜🌟
彼女と急遽会うことが決まったのは、彼女の誕生日が近かったから。誕生日おめでとうLINEを忘れずにしたかったものの、私は不規則な出校日のせいで曜日感覚だけでなく日付感覚が狂っていました。必ずお祝いはしたいという思いから、誕生日の4日前から毎日誕生日おめでとうLINEを送るという暴挙にでました、、、。
彼女も私もLINEが得意ではないため、連絡を取ったのは多分半年ぶりくらい。誕生日おめでとうLINEを送り続けたことによって、彼女と予定を合わせて会うことが出来たんです。早めに送り始めて良かった〜
お互い進路が決定してから詳しく話をしていなかったため、どうしているのかなあとワクワクしながら会いました。彼女との関係性は話さない期間が空いていても変わらず、会っていない時のことを共有するために、1日弾丸トークを繰り広げました。
その中で、彼女がうまく学校に通えていなかった時期の話をしてくれました。前述したように、私達は普段からたくさん連絡を取る仲ではないため、その話は初耳。話を聞いていて、「え、本当に?」と心配になるような内容だったけれど、彼女は一通り経緯を話し終わった後、「まあ、今楽しく過ごせてるんだからいいんだよね。プラスに捉えているよ」と伝えてくれました。
ああ、彼女はやっぱり強い。彼女の強さというのは、脆弱性が低いという強さではなくて。むしろ、彼女は私から見て繊細というか打たれ弱い人だと思っています。彼女の強さとは、自分の打たれ弱さを認めて、その状態からポジティブな思考に変化できる強さの事を指しています。
ポジティブに考えることはとても難しいことで、特に打たれ弱い人にとって枠組みの再解釈をすることはとても難しいと感じています。辛い思いをして、ポジティブに捉え直すまでに時間をかけて向き合った彼女の様子を知って心配になった反面、嬉しくなりました。
もうひとつ嬉しかったのは、彼女がひとりで抱え込まずに助けを求めていたこと。心理学を学ぶ私からして、この行動を取れる彼女の強さを大きく感じました。
過去がどれだけ辛くても、今が幸せならそれで良いよね。
彼女は免許を最近とったらしいので、今度はドライブに行こうとしています。危ない運転をしてそうな彼女なので、考えただけで寒気がします。
3.話せるようになりたい!!
ゼミ決めのための研究室訪問期間が終わり、無事に第一志望のゼミに入ることが出来ました。悩んで悩んで決めたゼミ、意外にもあっさりと決まって拍子抜けしているところです。
これから仲を深めていきたい同期のゼミ生の中には耳の聞こえない方がいます。話し始めてまだ1、2週間だけど、会話がとっても難しい。今はiPhoneのメモ機能やマイク機能を用いて会話をしています。
その場で生まれた感情を感じた瞬間に伝えることが出来ないし、彼女の気持ちを受け取るのにもラグが生まれてもやっとしています。他のゼミ生も交えて話をするとなると、さらに難しさを感じます。彼女ともっと目を見て話したいし、その場で生まれた感情をそのまま伝えて受け取りたい。そんな思いから手話を勉強することにしました。
実は学部時代にも聴覚に不自由さを持った同級生がいて手話を覚えようとしたのですが、話す機会の少なさやその子の持つ補聴器のレベルの上昇(この言い方、合っているのか??)、私の聞き取り能力の向上から手話を覚えることなく終わりました。
あの時、ちゃんと覚えていたら今こんなにモヤモヤした気持ちにならなかったのになと思いつつ、これは今まで以上にたくさんの人とスムーズに話すことができるようになるためのチャンスだと捉えています。
指文字から覚えているのですが、記憶力の低い私にとって、指文字を覚えることでさえ至難の業です。「と」と「う」なんて表か裏かの違いしかないし、動きがないと伝わらないものもあって、頭がパンクしそうです。
言い訳になっちゃうけれど、私は聴覚有意(目から入ってくる情報よりも耳から入ってくる情報のほうが処理しやすい)と感じているため、手話を覚えることにとても難しさを感じています。言い訳せずに頑張ります、、、、。
学部時代のゼミ生に、手話同好会の部長だった子がいたため、勉強方法を教えてもらいました。指文字の由来を知ると覚えやすいらしい。
教えてくれたおかげで、意味を思い出しながら少しずつ覚えています。有益な情報をくれてありがとう。楽しみながら学べています。
手話も交えてスムーズに話すにはまだまだ時間がかかりそうだけど(むしろ卒業までにできるのかさえ怪しいけれど)、今以上に楽しく話せるようになるためにこれからも頑張ります。
4.みんな生きてる??
新生活が始まって1ヶ月、Instagramを見ていると友達のストーリーの数が目に見えて激減しています。1ヶ月前までは、みんな最後に思いっきり遊んでいたため、たくさんの楽しそうなストーリーがあがっていました。
ああ、みんな社会人になったんだなあという気持ちと、大変かなあ、しんどい思いしてないかなあと心配する気持ちが湧いてきました。
私は大学院生でみんなのように社会に出ていないため、社会に出ることの大変さを100%知ることはできないけれど、ストーリーの減少で少し感じることができました。あとは華金ストーリーをよく見るようになったこと。社会人すぎる〜
一緒に学んでいた友達が社会で働いていることに対する尊敬と、自分だけ置いていかれているのではないかという謎の焦りが入り交じっています。
ああ、なんだかみんなに会いたいなと少し寂しい気持ちになりました。
5.飲み会でどうやって仲良くなるの?
先日、M1みんなでの親睦会ありました。みんなと仲良くなれる素敵な機会だと思い参加する気満々だったのですが、悲しいことにゼミがあって参加することができませんでした、、、。
色んな人と話せる機会で良いな、楽しかっただろうなと思い、次の日に参加した子にどうだったのか聞いたのですが、なんだか難しかったみたい。
あれ?そうなんだ、と思ったのですが、よくよく考えてみると私たちの代はコロナ渦と大学生活スタートが被っているため、学部時代に飲み会で仲良くなる機会がほとんどなかったんです。
私の学部時代での飲み会も思い返すと、既に仲良くなっている人達との機会がほとんど。飲み会を経てさらに仲を深めるという経験はあるものの、ほぼ1から仲良くなるという機会はあまりありませんでした。
そう思うと、コロナ前はどうやって飲み会を通して仲を深めているのか謎に包まれています。それも人と仲良くなるというよりも、クラス単位で飲み会を通して仲良くなる方法。コロナの弊害がこんなところにも現れるなんて思ってもいませんでした。
6.大人になっても子どもらしくいたいね!
家から最寄り駅に向かう際に、大きな公園の横を通過します。その公園は、夜以外ならどの時間帯に行っても遊んでいる人・子どもがいて、毎日癒されながら通学しています。
17時頃にその公園を通ると、いつも小学生が大人数でドッヂボールをしている姿を見るのですが、先週の金曜日、たくさんの小学生に混じってスーツ姿でドッヂボールをする男性の姿を見かけました。
30代前半くらいと推測される彼は、屈託のない笑顔で小学生以上に外野を走り回り、ボールを投げていました。しかも超真剣に仲間の小学生達と作戦会議してる。あまり見ない光景に驚きながらもなんだかほっこりとして横を通りすぎました。
最後にドッヂボールを本気で楽しみながらやったのはいつだろう。放課後児童クラブで混じってやったりはしたけれど、慣れていなかった私は子どもが怪我をしたらという怖さからほぼ上の空でプレーしていたことを思い出しました。
「22歳になったけどまだまだ子どもなんだよな」という思いをずっと感じているけれど、もしかしたら自分が想像している以上に大人になっているのかもしれないです。というよりも、「子ども」の概念が年々変化して、それに気づかず未だに子どもだと感じているのかもしれないと思いました。
私は自分が思っている以上に大人なんだなと感じたと同時に、忘れていた子どもらしさを思い出すきっかけをくれたスーツの男性に感謝の気持ちがわきました。
大人になっても子どもらしくいたい!という言葉の「子どもらしく」は、中学生の頃に感じていた子どもらしさのこと。子どもらしくいるって難しいけれど、ふと思い出した時、忘れずに握りしめる、それだけでもできたらいいなと思いました。
激動の4月、乗り越えられた自分に拍手を送りたい!!!
来月は自分らしさを大切にしながらも、たくさんのことに飛びこんでいきたいと思います。