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心に薔薇を。

これを執筆したのは、金曜日。
明日は、お休みの人も多いと思うので、少し長めのエッセイを。
眠れない夜の、睡眠導入剤としてお使いください。


8年前の2月の京都。

あの日は、足先まで凍りそうな寒さの真っ只中。
しかし、ボクのいた自動車教習所内の部屋は暖房が効きすぎて、
むしろ暑いくらいだった。

チャイムが鳴り、教官が入ってきて開口一番。
「今日の授業は、救急対応の授業です。皆さんにはマネキンを使って
人工呼吸の練習をしていただきます。」

教官が授業の概要を説明する。
ボクを含め10人の生徒が、狭い教室の中に押し込められて、救命方法に関する長い説明を聞いていた。みんな暖房の暖かさと、暇な授業で睡魔と戦っていた。何なら、寝てる奴もいた。

では、実際にやってみましょうということになった。
最初にデモンストレーションをする教官。ぼそぼそと説明をしながら、
マネキンに顔を近づける。

すると、突然

『もしもーし!!聞こえますかー!!』

と、地声でハウリングを起こすほどに叫ぶ教官。
飛んでいく睡魔。ビビって漏らすやつ。

これは、意識の有無を確認するために、呼びかけを行う重要な行為なんだけど、あまりにも声がでかい。実際の現場では、これくらいの声量が必要なのかもしれないが、狭い部屋ではうるさい。
完全にスイッチが入った彼は授業の間、情熱の真っ赤なバラを胸に咲かせていた。

「マネキンが3体ありますので!!皆さんには!!3グループ作って実習していただきます!!!!!」

ボクらは、ローズ教官に言われるがまま、3つのグループを作った。
ボクのグループは4人グループになった。まぁ10名に対し3体なので、
必然的に1グループは4人になるわけだ。(教官曰く、本来は3の倍数でその講習は組まれるらしいのだが、ボクの時は何故か10人だった。)

各グループで順番に、マネキンにキッス(もちろんビニールの専用器具を通して)していくのだが、友達同士で組みやがったグループは、和気あいあいと順番を決めていく。ボクのグループは、全員他人なので「じゃあ、じゃんけんで決めますか…」となっていく。結果ボクは一番最後になった。こういうのは、真っ先に行うのがいいのだが…。

「皆さん順番は決まりましたか!?では、最初の人はマネキンの側まで出てきてください!!!それでは、私と一緒にやっていきましょう!」

そう言うと彼は、改めて叫び出す。「もしもーし聞こえますかー!大丈夫ですかー!」
生徒たちはというと、いかにもやる気のない声で、「聞こえっすかー?」みたいな感じで行なっている。すると「そんなんではダメだ!!もっと大きい声出して!!!」と教官の叱責。するとちょっとだけ大きい声で「聞こえっすかー?」
やる気が出ないのは分かる。見知らぬ人を前に、大声でマネキンに話しかけるのだ。単純に考えて、恥ずかしい気持ちになる。

教官は、彼らのやる気の無さにもどかしくしながらも、授業時間を気にしてか、次の順番に回した。
とまぁ、この流れが順次続くのだが、ボクはかなり焦っていた。
何故なら、この人たちは同じ順番の人が他のグループにもいて、他のグループの人と同時に実習をしているではないか…。叫んでも恥ずかしさ半減。
じゃあ、4番目のボクは誰とやるんだよ…。単独でこれやるんか…?と、考えを巡らせた結果、「あっ!1番目の人が2周目入るから万事解決じゃん!」と、何の根拠もないままそう思うことにした。

そんなこんなで、3番目も終わり、4番目の人の順番に。すると教官が急に冷めた感じで、

「あぁ残りは君だけか。他の人は皆やったしな。じゃあ最後一人でやってもらおうか。ごめんね。」

一瞬、時空が曲がったように見えた。

あんた今なんて言った。
おいっ!!俺は一人かよ!!
この「声かけ意識確認」を俺一人で!?やだよ!恥ずかしい。
あんたバカか!俺の立場も考えてくれよ!
何なんだこの人…。狂人じゃねぇか。

と、心の中で思ったが、当然そんなことを言える人間ではないので、
「あっ…はい…。分かりました…。」

「じゃあ、お願いしまーす!!」

いや、急に戻んなや。すげぇハードル上げるじゃん!
そして運命に抗えないボクは、他の生徒9名に凝視されながら、「声かけ意識確認」を半泣きの状態で敢行。
全員が哀れんだような目で、自分じゃなくてよかったと安堵の表情で、ボクを見守る。震える声で行うそれは、案の定声が小さくて、教官からのリテイクが入る。

「もしもし、聞こえますかー」
「もっと大きく!!」

「もしもし、聞こえますかー」
「もっと大きく!!」

まさに生き地獄。全員の好奇の目がボクに集中する。
しかも他のグループよりもリテイク数が多い。
前世で人命救助しなかったツケでも持ってんのかよ、俺…。

何度目かの、リテイクの後に終業のチャイム。

終わった…。何もかも…。これからボクはこの教習所で一人で絶叫してた人のレッテルを貼られ過ごしていかなくてはならない。そう思うと涙が出て、天を仰いだ。

この時間、全人類の羞恥を一手に引き受け、人柱となったボクは、恥ずかしさと暖房のお陰で、寒空の下Tシャツで家に帰った。



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