
「本を読みましょう」と言われても…読書に利点はあるのか?【現役高校教員のエッセイ】
高校生に向けたエッセイです。実際に、教室に掲示しています。
「国語の先生」=「読書が好き」というイメージは、ほとんど全国民が共通して持っているものだと思う。
しかし、残念ながら僕はこのイメージに該当していない。全く読まないことはないが、読んでも月に1冊か2冊くらい。時間を忘れて、とか、暇さえあれば、のような経験をしたこともなく、世間で話題になっていたり本屋さんの入り口で平置きされていたりする本を読む程度だ。
ただ、国語を教えている以上、生徒に対して「本はたくさん読みなさい。」的な指導をすることがある。すると、決まってこの質問が。
「先生、どうして本を読まないといけないんですか。」
最も安易に答えるならば、「テストで良い点数を取るため。成績を上げるため。」となってしまう。
しかし、これではあまりにもお粗末すぎるし、僕でも納得がいかない。
本を読むことで良いことがきっとある。僕もそれを知りたかった。
ということで、僕なりに考えてみた。
先に結論から。本を読むことで2つの良いことがあります。超個人的意見です。
1つ目は、語彙力の向上。
つまり、ボキャブラリーを増やすことだ。
ふと考えてみると、僕らが普段使っている言葉は極めて限定的なものになっていないだろうか。同じような地域・年齢・職業の人と話をしていると、どうしても似たような言い回しをしてしまうし、なかなか新しい単語や表現に触れる機会がない。「ワンチャン」とか「やばい」とか「草」とか、なんとなく偏りがあるはず。
そもそも、日本語の単語を集めると広辞苑ほどの厚さになるはずなのに、僕らが使っている単語なんてせいぜいノート1冊にも満たないほどの薄さにしかならない。
だから、本を読むことで自分のテリトリー外の普段使わない、聞かないような単語に触れ、新たな語彙を獲得することができると思う。
2つ目は、疑似体験。
僕ら人間は一生のうちで限られた経験しかできない。
それも平凡な毎日がほとんどで、大きな出来事なんてそうそうない。
殺人現場を見ることもなければ、奇跡的な恋愛もしない。特殊な能力も持っていないし、タイムスリップも転生もしない。
ましてや、魔法学校に入学なんて絶対にしない。
本を読めば、そんなことを体験できる。それなら、TVでも映画でもできるじゃないか。と思うかもしれない。しかし、それらと読書は別物だと僕は思う。
TVや映画は見て、聞いて認識する。これは受動的な行為のように思える。あくまで他人の言動を外から見ているだけにすぎない。
これに対して、本は読むことで認識する。これはかなり能動的な行為だと思う。1つ1つの字を読み、音から単語に変換し、さらに単語をつなげて文として認識する。さらに、その文から得た情報から人物や言動を想像していく。
「読む」というのは、ものすごいことなのだ。「いやいや。そんな大げさな。」と思うかもしれないが、実際みんなこれだけのことをやってのけているはずだ。そうでなければ、ただ字を記号として見て、何の意味も情報もなく、ページをめくっていることになってしまう。そんな人いないでしょ。明確に「読む」意志を持って字を追っているはずだ。
ということで、本を読むことで語彙を豊かにし、他者の経験を疑似体験することができる。
ちなみに、「読書が好き。」と聞くと、どこか陰湿で消極的なイメージが浮かんでしまう。
しかし、前述したとおり、「読む」という行為は能動的な行為だ。
つまり、読書が好きな人は極めて意志が強く、積極的な人なんだと思う。