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ピルの副作用をご存知ですか?⑨(ヘパリン自己注射編)

先日の記事では、流産が確定したところまでお話ししました。

流産の悲しみは計り知れなかったです。
ただ、今回はピルの副作用の弊害についてお話ししたいので、流産の時に受けたダメージは別の機会に詳しく出来ればと思っています。

流産確定後、しばらく塞ぎ込んでいました。
なぜ流産してしまったかはわかりません。
でも私は、ずっと自分を責めました。

よく流産してしまった方にかける言葉で、「忘れ物を取りに戻っただけ」という言葉があります。
これ、人によってはNGワードだったりする危険な言葉掛けなのですが、私にはこの言葉が一番救いでした。
私の子は、忘れ物を取りに戻っただけ。
だから、すぐ帰って来てくれる。
そう思い込むことで、何とか生きる希望を得ました。

日常生活に少しずつ戻りました。
そして、2ヶ月後。
忘れ物を取りに戻ったあの子が、また私のお腹に戻って来てくれたのです。

今回は、急ぎヘパリン自己注射を始めることになりました。
まずヘパリン自己注射をするにあたり、手技を学ぶために病院に2泊3日入院しました。
初めは怖くて手が震えました。

自分で自分に注射するって、普通に考えて怖くないですか?
特に、注射が嫌いで痛みに絶望感に弱い私は、恐怖心で押し潰されそうでした。

自己注射のやり方自体は簡単です。

❶皮膚の消毒をします。
❷注射器本体に針をセットします。
❸本体をデコピンみたいに弾き、少し押し出し空気を抜きます。
❹太ももの内側で注射を打ちたいところを軽く摘み、そこを狙って針を刺し、薬を注入します。

以上です。
以下の写真は実際のものですが、先端恐怖症の方は念のためご注意ください

一番細い針にしてもらいました。
右奥の青い袋は、消毒綿が入ってた袋です。
私は途中でアルコール消毒でかぶれるようになって
しまったので、こちらに変更していただきました。
打ち終わったら、ペットボトルに捨てます。
これをまとめて病院に持って行って、
医療廃棄物として病院に捨ててもらいます。

このヘパリンは、12時間しか作用しないので、1日朝と夜の2回打ちます
私は9時と21時に打つようにしました。
病院では、看護師さん2〜3人に見守られながら自分で打ち、ダメ出しをもらって(そんな大したことではないですが)、2泊3日を終えました。

これを毎日、1日2本。
私にとってはとてもしんどかったです。
太ももの内側に打つのですが、上手く行けば痛くないところもあるけど、打つ回数が増えると皮膚も固くなり、どこに打っても痛くて痛くて、段々と億劫になっていきました。
人によってはお腹に打つそうです。

どのくらいだったでしょうか。
妊娠中期くらいには、注射を打たなくなってしまい、先生に「もしまた血栓が出来たら死んでしまうかもしれないんだよ?」と静かに怒られました。
「せめて1日1回でもいいから打ってほしい」と譲歩してくれ、頑張れる時はもちろん頑張りましたが、でもやっぱり自己注射は辛かったです。

そして、私は妊娠5ヶ月くらいの時に、自殺未遂をしたことで、病院→保健所に連絡が行き、後日保健師さんから連絡を受け、訪問看護を利用することになりました。
保健師さんからは「もっと早く連絡していれば良かったね。ごめんね」と言われました。
当時、私はメンタルクリニックに通っており、最初の妊娠の時とは違い、メンタルクリニックの先生の判断の元、精神薬を服用していたこともあり、肺血栓の既往歴と共に「ハイリスク妊婦(妊娠)」として扱われていたため、保健師さんも連絡するタイミングを見計らっていたようでした。

産科の先生と話し合い、自分で注射が打てなくなってからは、その訪問看護の看護師さんに週2〜3日来ていただいた際に代わりに打ってもらうことにしました。
全く打たないよりはマシ、と判断されました。

これは、出産直前まで続きました。
またこの話は別の機会にお話ししますが、私は35週(通常は37週以降です)で子どもを出産しました。
後期早産と言われるものです。
そして、帝王切開でした。

帝王切開後の血栓症のリスクは、経腟分娩と比べて7~10倍程度高まるといわれています。
これは、帝王切開後にベッドで安静にする時間が長くなり、血流が悪くなることが原因とされています。
また、出産時には出血から母体を保護するために血液が凝固しやすくなる性質があるため、血栓ができやすい状態になっています。

通常だと入院期間は、病院によりますが、経膣分娩ですと3泊4日、帝王切開だと4泊5日になります。
ただ、私はただでさえ血栓のリスクが高いのに、帝王切開になったことで更に血栓のリスクが高まったため、結果的に2〜3週間程入院することになりました。
術後動けない間は、フットポンプという両足のふくらはぎにマッサージ機のようなものを巻き、血栓予防をします。
歩けるようになってからは、弾性ストッキングという着圧が強い靴下を履きました。
これ履くの大変だし、着圧強いので痒くなったりして嫌で、履かないこともあって、見回りに来た先生に怒られました

後は、前回の入院同様、点滴と薬の服用で血液コントロールをして、治療を進めました。
また、これもまた前回と同じく毎朝採血がありました。
完全母子同室ではなかったのが救いですが、早産だったこともあり我が子の悩みは尽きず、自分の治療もしながら、我が子の心配もし、コロナ禍で誰にも会えず孤独で、ストレスが半端無かったです。

9/17に入院し、退院出来たのは10/7でした。
約3週間でしたね。

次回の記事でこのシリーズは最後予定です。


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