機能実装に至るまでのプロセスは誰がどのくらいの内訳で意思決定したのでしょうか? 1/2
こんにちは!
フマです!
この前20代最後の車中泊というテーマで車の中で止まってみたら寒くて3時間くらいしか眠れなかったです。昔はもっとぐっすりできたが、、、
あと、この前とある知り合いのバンドメンバーと話したのですが、今彼は日本中を旅していて車中泊200日くらいやっていると言ってました。
夏とかは流石にホテルに逃げ込むこともしばしばらしいですが、本当にすごいなあって感じました。。。
さて今日は、インターネットを思想化する、プロクロニズムの思想と実践をちょっと前に読んで、早速「お」ってなる一文があったのでそれについて考えてみます。
まず「お」文はこちら。
この引用を元にすると、SaaSプロダクトをはじめとした、改善(or改悪)した内容が組み込まれるサービス・製品といった生産物は、広義で言えば成長する生物という形であると言えるでしょう。
狭義的かつ厳密な定義では、無機物を生物とは言えないですが、 生体的プロセスを自身の身体に刻印(=内包しているコード/データベースの実装)し、外界に表出(=ユーザーインターフェースを介して視認化)させている状態という意味では、ここで議論する内容に限り生物と同義として論じることも許されると考えています。
※最近自分でも内省しているのですが、プロダクトを生物に例えるの好きなのですかね??(笑)前はカニにしてみたり、これから象とか熊とかいろいろな動物さんたちがもう予約投稿候補にはスタンバってます笑
刻印=履歴:内訳をかんがえる
さて、生物としての流動性を孕むプロダクトが、その自身の成長過程に履歴を有していること。
その事実が示唆することと、その示唆が私の日々の仕事にどのように還元されているのか、自身が考えていることをここに述べていきたいと思っています。
私は、SaaSのプロダクトマネージャーをしていますので、webサービスを例に考えてみます。
プロダクトの一行一行のコードや、DBのレコードに於いては、キマイラ的に混ぜ合わせた意思同士が衝突、もしくは交雑しています。
それらの最大公約数、もしくはどれかが採用された結果が、プロダクト実装の履歴として刻まれていることとなります。
ここで重要なのは、果たしてその意思決定には、どのような内訳がなされているのかを知ることによって、次に我々が刻印するべき意思決定への示唆も得られる可能性があるということです。
例えば、最初期のプロダクトのコードは、意思決定者が少数という意味で内訳はシンプルで、そういった意味でプロダクトの透明性・純度が高いと言えます。
創業者のアイデアを具現化したものの割合が初期は高いものの、やがてステークホルダーが増えていくにつれ、当然ながらその履歴ひとつひとつに関わっている意志の主体も増加し、それと同時に個々のプロダクトに反映された意思の割合は希薄化していきます。
成長する(=成長させたい)プロダクトを観測する際、そうした一連のアナログな履歴の束を、時系列上の任意の時点で切り取ったとき、そのプロダクトの断面図には、果たしてどのような要素が、どの比重で構成されているのか。その視点を常に意識することが重要です。
意思決定ポートフォリオの例
あまり具体例を述べられないのですが、私自身が一定の期間を要する開発についての具体的なデザインまで設計した時の例です。
一定の課題があることは実体験ベースでもヒアリングベースでも確認したつもりですが、そのソリューションについては、ユーザーが望んでいない内容であることが観測されました。
このケースでは実際の実装に入る前に軌道修正できたのですが、ここで昔の私に言いたいことは、
「そのときの意思決定の構成要素の比重を常に意識すれば、発生するリスクについても一定構えることができたのでは?」
ということです。
この例では、あえて定量的に表現するのであれば、
35%=自身のドメイン知識から、成立する業務であることを確認
35%=既存の仕様から大きな路線変更をしないで済む開発内容
25%=UIの修正も機微で済むことによるリリース速度
15%=顧客からの要望内容
10%=対象ユーザーの拡大(アカウントの増加=売上目線)
※組織全体というより、今回は個人的な感覚としてのポートフォリオとして挙げてみました。組織でも、個人でも同様に使えると思います。
といった内訳でのプロジェクトでした。
上記を考えると、顧客の声についての比重が今までの実装の意思決定と比較すると明らかに少なかったです。
※ここで補足として、もちろん顧客の声は大事ですが、優れた意思決定=100%顧客からの要望とは限りません、俗にいうビルドトラップなどは、顧客の声を優先しすぎて、プロダクト間の二律背反が起きているような事象がそのうちの一例であると考えます。また後述しますが、必ずしも顧客に限らず、誰かに意思決定の比重が寄っていることもリスクになり得ます。
それよりもここで主張している重要なことは、上記のように、100%を上限として、何の意思がどのくらいの割合で内包されているのかを考えることは、比重が多い少ないに関係なく、その比重と内訳から想定されるリスクについても導出できるのではないかということです。
例えば今回の例で言うと、ユーザーへのソリューションフィットが果たして本当にされているのか?本当に対象のユーザー全域で価値提供ができるのか?といったユーザー目線で起因する手戻りが発生するのではないか、といったリスクについて孕んでいることを、今までと比較して顧客の声の内訳が少ないことから導出することができました。(きっと)
これは必ずしも割合が少ない場合に限りません。わかりやすい例で言えば、現場や顧客の意図を全く無視したオーナーからのトップダウンの支持は、ほとんどをオーナーの意思で占めている意思決定となります。
そうした内訳であれば、意思決定への参与をしていない者からのハレーションが発生することは容易に想像できるでしょう。
このように、その意思決定には、誰がどのくらいのウェイトを占めているのかを100%の上限の中で恣意的に内訳を分析してみる思考を、意思決定ポートフォリオを作ると勝手に呼んでいきます。
PART1のまとめ
さて、ここからが本題なのですが(遅すぎ)、改めて冒頭の引用をば。
私の冒頭の文章も再喝。
ここまでは、上記のように意思決定ポートフォリオの構成から、なんのリスクがどこに孕んでいるかを想定することができるのではないか。という内容を抽象的ですが考えてみました。
ちょっと長くなったので今回はここまでとしますが、次回は以下を中心に論じたいと思っています。
①前に投稿したカニ化の記事もほぼリンクしてくるのですが、進化の先を発散(多様化/差別化/ユニーク化)として捉えるだけではなく、一見他者と類似している状態も、収斂進化論的には一種の最適解であると言う論調を改めて深掘りたいと思います。
②後から入ってきたメンバーは、原則今までの刻印に履歴がない状態です。そんなメンバーがどのようにプロダクト開発への寄与率を高められるのかの思考方法をいくつか考えてみました。(まだ私としては小規模ベンチャーなので実践の場はこれからなのですが、今のうちに考えておくべき内容でした。)
実質PART1が前置きという記事になってしまいましたが、是非次回も見てください!