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ワタクシ流☆絵解き館その88 青木繁「わだつみのいろこの宮」デッサン下絵にあって完成画では消えたものを探る。

「わだつみのいろこの宮」のデッサン下絵と油彩の完成画を比べると、いくつもの大きな相違点があり、下絵と言うよりはエスキース(草案)の色合いが強い。今回は下絵の細部に目を止め、完成画では消えたものを見つめたい。

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下絵デッサンへの描きこみアレンジをした図を下に掲げる。人物の手足を赤の実線でなぞり浮き上がらせてみた。
山幸彦は、手を上方向に伸ばしており、何かをつかんでいるように見える。(下の図の①)
山幸彦のこの動作の意味は、「古事記」の記述にある動作を表しているのではないだろうか。こういう場面だ。山幸彦が水を求めたので、侍女が玉器に水を汲んで差し上げたが、山幸彦はこう対応した。(以下「古事記」の記述を引用)

「水を飲まず 御頸(みくび)の璵(ろのたま)を解き 口に含(ふふ)み其の玉器に唾き入れ 於是(こにおいて)其の璵(ろのたま) 器ものに著(つ)き 婢(はしため)璵(ろのたま)を離(はな)ち得ず」

つまり、山幸彦が首につけていた珠を首からはずしている場面を描こうと、構図を探っているのではないだろうか。
豊玉姫の方は、完成画とは向きが異なる。侍女も前を向いている。捧げた瓶は、下絵では侍女だけが持っている。(下の図③)
下絵にはひれらしいものが、豊玉姫の腰のあたりを流れている。(下の図④)それが完成画では、体に添う薄い緑の藻のようになっている。

また豊玉姫は、右の手のひらを開き、何かを支え持っているのか、あるいは、青木が以前に描いた「大穴牟知命」のキサガイヒメのように、乳房に手を添えているかのように見える。
この右手は完成画では、瓶の縁をつかむ姿に変わっている。
完成画では、手の動きを抑えて簡素な姿にし、豊玉姫に明瞭な意思を語らせまいと意図している気がする。それは、絵を見る者が、いかようにも画中の人の心へ入り込んでもらうためのありようを意識してのことだろう。

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下絵の山幸彦の肩にまといついているのは、蛇ではないだろうか。(部分拡大A図) なぜ蛇が?
上代文学研究者、都留文科大学の鈴木武晴教授の「蛇神と雷神」という興味深い論文によれば、古代では蛇は霊力を持つとみなされてきたという論旨のもとに、
「天神の降下する際にカツラの木に降下し、またカツラの側に立つことが多いと指摘されているが、カツラは、もともとつる植物の葛をさしたものが、後に桂の木をもさすようになり、葛と桂が、共に蛇の象徴物としての意味を持つようになったのではではないかと思う」と説いている。
また、山幸彦をわたつみの国へと送り出した塩椎神(しおつちのかみ)がその乗り物として与えたカゴについてこう述べている。
竹で固く編んだ、すきまのない小舟を造り、その舟に火遠理命=山幸彦を乗せて流す。この竹が、先に見たように、蛇に見たてられた植物とすれば、塩椎神によって蛇神としての力をそなえられたということができる。(中略)竹は蛇の象徴物としての役目を担っているのである」
そして神話において蛇を神と見る思想は、「日本霊異記」や「古今著問集」などの説話文学に表れている、と説く。
青木が描いているのが蛇だとすれば、日本の古典文学を読み込む修養の中で、山幸彦と蛇の結びつきを直感させたと言えるだろう。

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しかし、完成画には蛇の姿は消えている。あえて深読みすれば、体に、巻きついているようなカツラの枝は、蛇が形を変え、あるいは象徴させたものだろうか。

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地面近くの、カツラの幹と交わる線を拾ってゆくと、井戸の桁のような形が見えて来る。(下の図ⓐ ⓑ)
しかし完成画で描かれた井戸の方は、湧水源を囲う縁石のような形になっている。
完成画の全体から感じられる雰囲気は、やわらかな曲線だ。体の線も、瓶も、カツラの枝ぶりも。曲線の雰囲気に合わせるために、井戸もアール調に造形したのではないだろうか。
よくわからないのは、カツラの木の根元部分(下の図Ⓒ)置き物の台の脚のようにも見えてくる。そうだとしても、完成画の方に、それに対応するものは何もない。

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筆者の想像では、エスキースともいうべきこの下絵と、完成画(油彩の下絵も含んで)の間に、もう一枚、より完成画に近い構図によるデッサンの下絵があったのではないかと思う。そう考えられるほど、大きく構図を変えている。
「わだつみのいろこの宮」が最終的に、山幸彦と豊玉姫の静かな見つめ合いにフォーカスされ帰結してゆく過程を思うのも、青木という画家が見つめていたものを味わう愉しみだろう。
                                                                              令和3年12月 瀬戸風  凪






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