ワタクシ流☆絵解き館その224 青木繁迷路📚第三編・これがヒントを与えた絵?
青木繁の絵の着想に影響した作品探しを、直感を頼りにこの絵解きシリーズで何本も記事にしてきた。どこからでも、どれかの絵につながってゆくと言ってもいい教養の入り組みが青木繁にはある。青木繁迷路と名付けた所以だ。
それは青木研究の面白さでもあるようで、美術史の学者先生や研究者たちも盛んにそれをやっている。その仕事の中から、青木の諸作品との類似点が見られ作画のヒントになったという作品のうち、ぜひ紹介したいものをピックアップした記事の続編。その第三編目。
■ 「海の幸」の着想に影響した絵として
◎ 三輪英夫 1991年刊行 東京文化財研究所編「美術研究/350号」収録の「黒田清輝と構想画」より。三輪英夫先生は、東京国立文化財研究所の美術部・第二研究室室長。黒田清輝の研究家。
青木が、黒田が教授を務める東京美術学校西洋画科に学んだのは、1900年から1904年。その後も黒田の主催した「白馬会」に、1905年まで出品した。
この論考の中で黒田清輝の「漁舟着岸図」画稿を引き、こう述べている。
◎ 1963年 ( 昭和39年 ) 造形社刊 岡田清著「美術鑑賞入門/鑑賞教育のありかた」の中で、青木繁の「海の幸」が、真っ先に連想させる力強い印象の芸術品として、ロダンの「カレーの市民」を挙げている。
岡田清先生は、「幼年美術の会」を主宰した美術教育指導家。この見方には、なるほど!という思いがした。こどもの感じ方で、群像をとらえている。
どちらの作品にも、作品の底に虚無とも見える感覚が熱をもって沈んでいる。
■「天平時代」の着想に影響した絵として
◎ 1973年 宮崎大学教育学部編 「宮崎大学教育学部紀要」の中の論考 中村義一「ロマンティック時代の藤島武二 明治美術における19世紀イギリス美術思潮」において、下の絵を挙げている。
中村義一先生は、宮崎大学教育学部教授。近代日本美術の研究家。
◎ 1964年刊 角川書店刊 桑原住雄「東京美術散歩」において、青木が下宿から近く、ときどき歩いた東京根津神社の透塀から、「天平時代」の背景をイメージしたのであろうと述べている。
筆者も「天平時代」の格子は、どこからイメージしたのか、青木絵画の絵解き記事の中で考察したことがあるが、(こんなに身近な場所の風景からの着想だったのか!)と目からうろこが落ちる思いになった。
桑原住雄先生は日本の美術評論家。筑波大学教授、武蔵野美術大学教授のち名誉教授。『東山魁夷 美の道 祈りの旅』講談社 1995年 他著書多数。
■「春」の着想に影響した絵として
◎ 上と同じ出典。1973年 宮崎大学教育学部編 「宮崎大学教育学部紀要」収録の論考 中村義一「ロマンティック時代の藤島武二」において、下の絵を挙げている。なお、藤島武二「天平の面影」が、青木に天平時代をモチーフとさせる刺激になったのは、他にも複数の研究者が指摘している。
令和5年2月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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